「詩季……?」
会見の行われたビルの屋上で、空を眺めていたわたしの背中に、声がかけられた。
何となく、空を見たくて。
ここが一番、空に近かったから。
地平に沈んだ太陽が、西の空にほんのりと赤を残していて。
振り返ると、濃い青を背にした彼の姿があった。
「一磨」
視線が繋がると同時に、彼の表情がフッと柔らかくなる。
そのまま彼は、ゆっくりとこちらに向かって。
わたしとの距離を少しずつ縮めてくれる。
「……久しぶり」
たったそれだけの言葉に、胸が詰まってしまって。
わたしはコクリと頷くことしか出来ない。
一磨さんと最後に会ったのは、もう3週間ほども前のことだっただろうか。
ここ最近、お互いに仕事が忙しく、オフが重なることがなかった。
「また、一緒に仕事が出来て……嬉しいよ」
「うん……わたしも……」
ふわりと胸に引き寄せられて、わたしは目を閉じる。
耳元に優しいリズムを刻む彼の鼓動。
会えなかった時間も、寂しさも、その温もりに包まれるだけで、満たされていく。
言葉なんてなくていい。
ひんやりとした春の空気が、風に乗って優しくふたりを包み込む。
満開の甘い、桜の香りが鼻をくすぐる。
「詩季は……知ってる?」
ゆっくりと、静かな声が伝わって来て、わたしは顔を上げる。
穏やかな眼差しがわたしを見つめながら、彼は続けた。
「俺たちが演じる翼と汐織……ふたりの名前は星から取っているんだって」
「え……星から?」
「ああ。翼は……春に南の空に見える、コップ座という小さな星座から来ているんだ」
そう言って、一磨さんはゆっくりと闇に染まっていく南の方角に視線を移す。
つられるようにして、わたしも彼の視線を追った。
小さな星座は、まだ暮れ始めた夜空の中では見つかりそうにない。
でも、そこに、確かにあるのだ。
「……汐織の織という字の由来は、詩季も知っているよね」
視線を戻した彼はそう言って。
「うん。織姫でしょう?」
顔をあげたわたしの頬を、温かい大きな手が包む。
やわらかく微笑んだ彼の瞳がわたしを覗き込んで。
「詩季……ダイヤモンドリングを一緒に見に行こう」
トクンと高鳴る胸の音が、自分でも聞き取れた。
「……それって……」
「ああ……」
映画の中で、翼が汐織に言う台詞だ。
「俺は……例えこの役でなかったとしても、同じことをキミに言ったと思う」
淡く頭上に輝き始めた光と、穏やかなその声色。
そして、揺るぎない瞳の強さ。
吹き抜けるやわらかな風が、わたしたちの髪をそっと撫でていく。
「俺たちはその瞬間を翼と汐織として迎えるけど……汐織を演じる詩季と、一緒に見たい」
「……うん……」
小さく頷くわたしに、嬉しそうな笑みを浮かべて。
「約束……ね?」
そう囁いた彼の唇が、ゆっくりとわたしの唇に重ねられた。