「穂積。約束通り、ちょっとお姫様を借りて行くよ」

それはちょうどわたしが昼休憩に入る時だった。

背後に気配を感じて振り返ったわたしの手をスッと引いて。

見慣れた白衣姿のその人は、そう口にした。

「小野瀬さん…?」

戸惑うわたしにフッと微笑みを向ける小野瀬さん。

それに対して室長は眉をひそめながら低い声を出す。

「小野瀬。お前、貸すとは言ったが、午後からの契約だぞ」

「穂積。そんな固いことを言うなよ。休憩時間は彼女のものなんだし…ね、白河さん。鑑識室でランチしない?」

「えっ」

室長に見えないように彼はわたしに向かって片目を閉じてみせて。

「じゃ、お姫様は俺がお預かりしますので」

わたしが返事をする前に、彼はわたしの腕を引いて捜査室を後にする。

「お〜の〜せ〜!」

背後から室長の殺気立った唸り声が聞こえた気がした。


「はぁ」

パタンと閉められた鑑識室の扉の内側で、ようやくわたしは解放された。

ため息を一つ吐き出した小野瀬さんは、ゆっくりと振り返って。

「あ…」

ギュッと強くわたしを抱きしめた。

「紡…」

「あの…小野瀬さん…?」

わたしの呼びかけに、かすかに肩が動いた気がするのに、彼は何も言葉を発しない。

「小野瀬さ…」

「…違うでしょ?」

再び呼びかけようとしたわたしの言葉。

それを彼はやんわりと、でもキッパリと遮った。

「紡」

耳元で囁かれる甘い声に、ビクッと身体が震える。

「ちゃんと呼んでくれるまで、離してあげないよ?」

痺れるような誘惑に、ドクンと胸が揺さぶられる。

抗うことなんて出来なくて、わたしは乾いた唇から声を押し出した。

「…葵」



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