「……ふえっくしょい!」
一年半ぶりの京の都に、龍馬さんの大きなくしゃみが響き渡る。
「龍馬さん、大丈夫ですか?」
わたしがそう声をかける横で、武市さんが口を挟む。
「船の上でふんどし一枚で騒ぐからだ。大方、風邪でも引いたのだろう」
呆れたように呟いた武市さんは、紡さんの仕事を増やすなと付け加えた。
あれは、京へと向かう船の上。
「潮風がまっこと、気持ちええのう!」
「龍馬さんは本当に海が好きですね」
船首に身を乗り出して、大きく伸びをしながらそう叫んだ龍馬さんは。
太陽の光を浴びて、キラキラと瞳を輝かせている。
お母さんとの思い出の海。
この波の向こうに夢見る、見知らぬ大地と見知らぬ国。
龍馬さんの視線の先には、いつも海がある。
夏の名残を残す十月。
太陽はまだ熱く、頬を撫でる海風は少しだけ、冷たい。
心地よい風を身体に受けながら、朝のひとときを龍馬さんと一緒に過ごす。
「……ほうじゃ!」
不意に、ポンと手を打った龍馬さんは、わたしを見てにししっと笑った。
そして、やにわに身に付けていた着物を脱ぎ始めた。
「えっ!?ちょ、ちょっと……りょ、龍馬さんっ!?」
驚きのあまり目を見開いたまま固まってしまったわたしの前で。
あっという間にふんどし一丁になってしまう龍馬さん。
「きゃっ!」
慌てて目を覆ったわたしをグイッと引き寄せて。
「ほがな照れんでえいぜよ、紡」
そう耳元で声が聞こえて、うっすらと目を開けると。
「にっしっし」
かすかに頬を染めて、嬉しそう笑う龍馬さんの顔。
「やっぱり海ちゅうたら、これじゃろう!まっことこのまま海に飛び込んでしまいたいくらいの良か天気じゃ!」
大声で向かい風にそう叫んで、にやりと笑顔を浮かべる龍馬さん。
「海ーーーーーー!!」
大きく一声吠えて、突然わたしを抱え上げた。
「きゃっ!龍馬さんっ!?」
「紡。わしは必ず海の向こうへ行くき……新しい世界をおんしに見せる約束じゃからのう」
龍馬さんのがっしりと厚い肩や胸に、心臓が駆け足になっていく。
ギュッと抱きしめられると、ちょうど龍馬さんの胸がわたしの顔の前にあって。
そこからはわたしと同じくらいの速度で脈打つ鼓動が聞こえた。
「あ、あの……龍馬さん……ちょっと、苦し……」
「ん?……おお!すまんのう。紡があんまりに可愛うて……ちっくと力を入れ過ぎたぜよ。にししっ」
頭をわしわしと掻きながら、龍馬さんは頬を赤らめて、わたしの背中に回していた腕を離した。
「龍馬さーん!紡さーん!」
ちょうどその時、船室の方から慎ちゃんが呼ぶ声が響いて来た。
「おっ。中岡じゃ!」
龍馬さんはそのまま、声のした方へと走り出す。
「ちょ、ちょっと、龍馬さんったら……」
わたしは目のやり場に困りながら、足元に脱ぎ捨てられた着物を拾った。
「うわあぁ!龍馬さん、止めてくださいーっ!」
「中岡、おまんも着物を脱ぐんじゃ!」
「!?龍馬……お前、何を……」
「お!以蔵!ええ所に来たのう。おまんもどうじゃ!」
「断る」
「何じゃ、おまん、つまらんのう……ほれ、中岡!」
「助けてくださいーっ!」
「……全く。龍馬、その辺りにしなさい」
ギャアギャアと、朝陽の当たる甲板で、賑やかなみんなのやり取りが響き渡る。
「もう……ほんとにあれで、すごいことをしちゃうんだから……」
そう呟きながら、わたしはみんなのいる方へ向かって歩き出した。
――End.