鶯がさえずる朝もやの中。
わたしは新緑の気配を感じて、まだ皆が夢の世界にいるであろう早朝、庭に出た。
昨夜、少しばかり雨が降ったのであろうか。
土が湿り気を帯びている。
「……綺麗」
庭の一角に、昨日まで蕾だった白い薔薇が嘆息するほどに見事な大輪の花を咲かせている。
それも、三つも。
その姿につい笑みをこぼした時。
「……紡か?」
背後から、低く穏やかな声が響いた。
「龍馬さん……おはようございます」
「おお。紡は早起きじゃのう」
あくびを堪えながらそう言って庭に下りて来た龍馬さんは、私の隣に立ち止まって大きく伸びをする。
「んー……今日もよか天気じゃあ」
太陽の光を真っ直ぐに浴びて、空を仰ぐ姿が眩しい。
この人の、こんなに無邪気で無防備な姿を見られるのは、私の特権なのだ。
「じゃがまだちくと冷えるのう。紡……ほれ。わしが温めるきに」
そう言って龍馬さんは私を胸の中へと抱き寄せる。
がっしりと力強い胸の中は、太陽のような匂いがする。
「紡はやわいのう……」
私の身体をそっと優しく包み込んでくれる腕。
この腕の中で、いつまでもこうしていられたらと、つい思ってしまう。
「ねえ、龍馬さん……」
「ん?なんじゃ?」
「薔薇の花が今朝、三つ咲きました」
「……ほうじゃのう」
龍馬さんの声が、身体を通して伝わってくる。
やわらかく、穏やかな声だ。
私はその胸に耳を当てて目を閉じた。
トクン、トクン、と、鼓動が聞こえる。
時を刻み、命を刻み、温もりを伝え合う。
「龍馬さん……三輪の薔薇の意味、知ってますか?」
不意の問いかけに、龍馬さんは『うーん』と唸った。
その様子に私はクスクスと小さく笑って。
少し身体を離して龍馬さんの黒い綺麗な瞳を見つめる。
「『愛しています』」
「……えっ?」
「三輪の薔薇は、『愛しています』という意味があるんですよ。だから……」
少し朱く染まった頬に、そっと触れる。
「この薔薇は、私の気持ちです」
ふわっと私たちを包む空気が揺れて、まるで風がささやくように、そっと告げる。
「紡には、かなわんぜよ……」
唇に触れたやわらかな温もりは、甘く優しく。
薔薇の香りと甘い吐息が朝もやに溶けていった。
それは静かな朝であった。
――End.