「紡。レモン入れるか?」
リビングのテーブルの上には、昴さんが作ってくれた朝食が並べてあった。
「うん…昴さん、先に食べたの?」
「ああ。悪いな。一緒に朝飯くらい食べたいけど…ほら」
そう言いながら、彼はティーカップをテーブルの上に置くと、わたしの向かいに座った。
「ううん…ありがとう」
忙しいのに、こうしてわたしの分も朝食を用意してくれる。
その優しさに思わず頬が緩む。
「今度はわたしが作るね」
「…楽しみにしてる」
会話が途切れて、時計の針の音がゆったりとふたりの間を流れていく。
コト。
彼の長い指が、ミルクティーの入ったティーカップを持ち上げて、口元へと運ぶ。
コクリと、小さく上下する喉。
そんな仕草ひとつを取っても、目を惹く。
「珍しいね…昴さんが朝に紅茶って」
朝は大抵、彼はコーヒー、わたしは紅茶を飲む。
わたしの問いかけに、彼はフッと微笑みを浮かべて、こう言った。
「まあな。たまにはお前と同じ朝を迎えるのも悪くないと思ったんだよ」
意地悪で、自信家で、何でもうまくこなしてしまって。
でも、その心の中は、少し寂しげで。
本当はとても優しい。
カタ。
静かに椅子から立ち上がった彼が、手を伸ばしてくる。
「…じゃ、行って来る」
「うん。行ってらっしゃい」
微笑みを返すと、顎に触れた手が、少しだけわたしを上向かせて。
ミルクティーの香りがわたしを包む。
こんなに穏やかな朝を、当たり前のように毎日迎えられたらいいのに。
でも、そんなこと、絶対に言わない。
きっと一番それを望んでいるのは、昴さんだから。
やわらかな光の射し込む朝は、甘くて深い彼のにおいがする。
離れ難いと言うように、何度も重なる唇の感触を、体温を。
刻み込むように、あなたに触れる。
かすかに甘いコロンは薔薇の香りがした。
閉まる扉の向こうへ消えた背中を見送って、彼の温もりの残る部屋へと戻ったわたしを待っていたのは。
108本の赤い薔薇の花束。
それは、彼からのメッセージ。
『結婚してくれ』
――End.