「……武市さん……?」
控えめな呼び声が背後から聞こえ、僕はゆっくりと視線を落とした。
「……おはよう。そうか……もう、朝稽古の時間だったのか」
居住いを正して、彼女は竹刀を手に庭へ下りてくる。
「……何か、考え事……ですか?」
手にしていた竹刀を見つめながら、僕はフッと笑う。
昔のことを、最近はあまり思い出さなくなった。
彼女が僕の前に現れてからだ。
「……あの日も、今日のようによく晴れた日だったな……」
竹刀を納めて、僕はまた、空を見上げて呟く。
「今日の稽古は、休みにしよう」
それは、心の傷を埋めるにはまだ幾分も時の経っていない、一年前のことだった。
この幕末の世に、人心も、力も、思想も、千々に乱れ。
正に動乱の世である。
僕は尊王攘夷を奨めるべく、土佐勤王党を設立。
その陰に後暗さがあることを否定はしない。
全ては、この国のため。
明日のために、戦う皆のために、土佐の国を変えたいという思いひとつ。
しかし、その僕の願いはあの日、絶たれた。
8月18日。
薩摩・会津藩を中心とする公武合体派が起こしたクーデターによって。
尊王攘夷を掲げていた長州藩を筆頭とする者たちが追放されたのだ。
それを受け、僕を始め土佐勤王党の同志たちは投獄されることとなった。
世の見方が、方向が変わったと言えば、それまでなのだろう。
獄中の僕たちを救うため、助命嘆願に駆けずり回ってくれた龍馬たちのお陰で、今僕はここに生きている。
思想も、願いも、身分も、この存在までもが絶たれてもなお。
ならば、いっそのこと死を選んだ方が潔いではないか。
生きる意味がこの身体のどこにある。
だが龍馬は言う。
「国を変えようっちゅう思いは同じじゃ。ならば生きて未来を切り開こう。武市にしか出来んことが必ずあろう。皆が手を取り合わねば何も始まらんぜよ」
わしは武市ほど知略に長けてもおらんし剣でも勝てん。
助命嘆願に挙兵まで考えた奴もおるくらいじゃ。
と、あいつは言っていたな。