「ちょっと……来て」
「えっ!?」
答える間もなく、そう言ってわたしの腕を引いて歩き出したのは。
「あの……瑠禾……さん?」
トロイメライのピアニスト、葉山瑠禾さんだった。
「……ん」
わたしの問いかけに、彼はフッと表情をやわらげた。
(あ……)
そのふわりと柔らかいまなざしに、トクンと胸が音を立てる。
彼はそのまま何も言わずにわたしを連れて、どんどん進んで行く。
たどり着いたのは、少し前まで華やかに彩られていたステージ。
そこに置かれたままのグランドピアノの前に彼は腰かけた。
誰も居なくなったホール。
スッと彼が息を吸い込む気配がして、一瞬の間を置いて奏でられたのは、さっきわたしがこの場所で歌った、JADEとのコラボ曲。
(え……この曲、知ってるの……?)
不思議に思いながらも、彼の指先が紡ぐ、JADEと歌った時とは全く違う音色に、思わず口をつぐんだ。
全く違う曲のように聞こえるその曲は、余計な雑音で汚してはいけないような。
そんな音をしていたのだ。
けれど。
やがてその音がプツリと途切れた。
「……なんで歌わないの?」
「えっ?」
不機嫌そうな声音に、顔を上げると、眉間にシワを寄せた彼の顔。
(え……歌え、って……こと?)
戸惑いを隠せないでいると、ボソッとつぶやく声が耳に届く。
「歌って……聞きたいから」
(あ……)
わたしが返事をする前に、再び流れ始めたメロディ。
それに身を任せるように、わたしは目を閉じて息を吸い込んだ。
「……ん。やっぱりいい」
繊細な指が最後の音を奏で、辺りが静けさに包まれた時、彼はそう言って立ち上がった。
「あの……」
「アンタの声……好き」
ゆっくりとわたしに歩み寄った彼は、表情を変えないまま、まっすぐにわたしの目を見つめた。
「お年玉、ありがと……」
突然向けられた、フワッとやわらかい笑顔。
その笑顔に目を奪われる。
心を惹きつけてやまない音色、瞳。
わたしの耳にはかすかに花火の音が届くのだった。
――End.