「詩季。桐谷翔がCDを出すことは知っているな?」
仕事が終わって、事務所を訪れたわたしに山田さんはそう話を切り出した。
「はい……?」
神妙な面持ちの彼の様子に、わたしは思わず姿勢を正す。
そんなわたしを見て、フッと表情を和らげた彼は、いつものように手帳でわたしの頭をポンと叩いた。
「そんなに緊張しなくていい。お前に……彼から直々にプロモーションビデオに出演して欲しいと依頼が来ているんだ」
「……えっ?」
思いがけない山田さんの言葉に、一瞬思考が止まる。
「撮影はCDが発売されてかららしいんだが、どうしてもお前に頼みたいと、向こうの事務所からも言われている」
驚いて固まったままのわたしに、畳みかけるように彼はそう言った。
「……詩季?」
「あ……は、はい」
「どうするんだ?」
いつものように問いかける言葉は事務的なのに、その表情はとても柔らかくて。
わたしはその微笑みに促されるように首を縦に振った。
「……はい。ぜひ、お願いします」
本当は、不安がないわけじゃない。
コンサートの後の翔くんのファンやマスコミの反応は、わたしたちを歓迎するものばかりではなくて。
事務所に嫌がらせの電話や脅迫めいた手紙が届くことも少なからずあった。
交際宣言をしようと、翔くんは言ってくれたけれど。
あれからわたしたちはお互いに仕事が忙しくて、仕事以外で会うことはなかった。
不安を抱えるわたしを乗せて、山田さんの呼んでくれたタクシーは家の前に停車する。
そしてちょうどわたしが家の門をくぐろうとした時。
「翔を返せ!」
背後で誰かの叫び声が聞こえたかと思うと。
「……詩季ちゃん!」
パシャン!
聞きたくて、会いたくて、触れたくて仕方がなかった。
その人の、わたしを呼ぶ声がどこからともなく耳に飛び込んで来て。
それと共に身体を包み込む温もりと、そして何かがアスファルトに落ちる鈍い音が響いた。