「……栗巻さん」
「うん……なあに?」
「そろそろ出ないと……他の人が……」
このままいつまでも動けなくなってしまいそうで、わたしはおずおずと声をかけた。
グッと、背中にある腕がわたしを強く抱きしめる。
一瞬の間を置いて、彼はゆっくりと顔を上げた。
赤みが戻った顔に、ふわんと優しい微笑みが浮かぶ。
まだ少しだけ冷たく感じる指先がわたしの頬をスッとなでて。
ゆっくりと近づいて来た栗色の瞳の中にわたしは閉じ込められた。
(あ……)
わたしの身体からすうっと力が抜けていく。
それは空気のような、溶けそうに甘い口付けだった。
「栗巻さ……」
ゆっくりと離された彼の唇は、そのままわたしの首筋へと移動する。
(……え……)
甘えるように首元に埋められる顔と。
でも、わたしを離さないと言うように、しっかりと腰に回された腕。
熱い吐息が胸元へと移動しようとしているのを感じて、わたしは彼の身体を押し戻した。
「く、栗巻さんっ」
「……なに?」
「あ……あの……お風呂に入らないと……」
かすかに寄せられた彼の眉。
おずおずとそう告げたわたしの言葉に、少しだけ栗色の瞳が見開かれる。
「あ……そっか……」
「そっか、って……」
怒った訳じゃないのだとホッと安心したわたしに彼は言葉を続けた。
「ねぇ……一緒に入る?」
「えっ?」
その言葉の意味を理解するまでに、少し時間がかかった。
一気に逆上せたように熱くなる頬。
動揺するわたしに彼はスッと顔を近づける。
吐息が触れそうなほど近くに迫った顔から、ふわんとやわらかい笑顔が消えた。
わたしの行く手を阻むように、片手は壁に、もう片方はわたしの腕を掴んでいる。
冷たささえ感じたその瞳が、熱をはらんで艶っぽく揺れた。
「……入るだろ?」
熱い吐息のような言葉が、わたしの肌から身体の中に入り込む。
それはまるで毒が回っていくように、わたしの全身を熱くしていった。
彼は、毒使いだ。
美しい仮面の裏に、悪魔の顔を持って、甘く優しく誘惑する。
そしてわたしは、その毒に溺れていく。
――End.