「紡」
聞き慣れたバイクの音と、ヘルメットの下のくぐもった声。
振り返ると、わたしの目の前にピンク色の何かが飛び込んで来て。
「あっ」
咄嗟に受け止めたそれは、わたし専用のヘルメット。
「行くぞ」
短く呟いて、彼は後ろのシート部分をポンと叩いた。
久しぶりに乗る、バイクの後ろ。
大きな背中に遠慮がちに腕を回すと、わたしの手をギュッと引き寄せてくれる。
「しっかり掴まってろ」
ブオンとエンジンを噴かして、バイクは走り出した。
ザザーン…ザザーン…
寄せては返す波の音が心地よい。
波間に映る大きな太陽は、もう西に傾いていて。
青い空が少しずつ茜色に染まっていく。
久しぶりに彼に誘われて、出かけた先。
それは、わたしたちが初めてデートした海だった。
「…………」
ふたりの間に流れるのは、波の音と優しく髪を攫っていく潮風で。
出会った時からずっと変わらない、無口なところも。
ぶっきらぼうだけど、ちゃんと右手に感じる大きな手の温もりも。
わたしと一緒にいる時にだけ見せてくれる、穏やかななまざしも。
その全てがわたしには嬉しかった。
キュッと握った手に力を込めると、そっと長い指が絡められる。
(あ……恋人繋ぎ……)
トクンと鼓動が高鳴って、速くなる。
ゆっくりと海に落ちていく夕陽を真っ直ぐに見つめながら。
彼はおもむろに口を開いた。
「紡……」
「……はい?」
顔を上げて返事をすると、光に照らされた横顔がフッとかすかに緩められた。
けれど、わたしの名前を呼んだきり、彼は口を閉ざしたまま。
その瞳に映る太陽の光がキラキラと美しくて。
わたしはしばらく、彼の横顔を見つめていた。
何となく、言おうとした言葉の続きを聞かないまま。
初めてここへ来た時のことを思い浮かべていた。
あれから、ずい分長い時間が経ったように感じられる。
「……紡」
「……はい?」
「……結婚、するか……」
――End.