「あの……ナツメ先輩……」
「紡」
保健室を出て教室に送ってもらいながら、私はさっきの幸人先輩とのやり取りを思い出していた。
”容赦はしない”と刺すように言い放った幸人先輩。
ナツメ先輩はそれには答えず、ただ去って行くその背中を見つめていた。
「渡すわけないでしょ」
「ナツメ先輩……」
「そんな顔しないの。紡の考えてることくらい、すぐに分かる」
立ち止まって私の顔を覗き込むナツメ先輩がクスッと小さく笑う。
下校時刻は過ぎてしまっていた。
夕陽の差す廊下はシンと静まり返っていて、外から部活動をしている生徒の声が聞こえるくらいで、物音ひとつしない。
「こっち」
突然、ナツメ先輩は私の手を取り、側にあった教室に引き込んだ。
扉が閉まると同時に、私の背中はその扉に押し付けられ、行く手をナツメ先輩の身体に遮られる。
「……先輩?」
「僕が紡を渡すわけない……誰にも、何があっても」
眼鏡の奥の瞳は、真剣だった。
その瞳がゆっくりと近づいてくる。
唇が触れる直前、小さく、でもはっきりとナツメ先輩は言った。
「だって紡は、僕専用だから」
茜色に染まっていた空は、少しずつ藍色に変化し始めている。
穏やかな空の色の変化と反比例して、重ねられた唇は次第に甘く深くなっていくのだった。
――――End.