19-1 遠くの海を船が走っていくのが見える……。 隣に立つ一磨さんがじっと海を見たままで、私は困惑して視線をさ迷わせた。 (……一磨さん、話って何なのかな) 一磨さんに呼び出されて、前に亮太くんと一磨さんと3人で来たことがある海へやってきていた。 それはいいのだけれど、たわいのない話ばかりで、なんとなく自分から核心をついたことは聞けないでいた。 (あの時も、亮太くんとばっか話して一磨さんとはあんまりしゃべれなかったっけ……) ドライブで来た時のことを思い出して、私は苦笑いを浮かべる。 大きな関係性は、きっと大きくは変わってないのに今は距離を感じて……。 (そういえば、あの頃は、こんな色々な事が起きるなんて思ってもいなかった……) 初めての舞台で、初めてのミュージカルで何も分からなくて出来なくて。 そんな全部を一磨さんが支えてくれていた……。 (私、あの時……一磨さんがいなかったら、どうなってたんだろう……) ぼんやりと、そんなことを思った時、一磨さんが口を開いた。 「最初は、あのミュージカルだった……」 「え……?」 (一磨さんも、ミュージカルのことを思い出してたの……?) ビックリして見ると、一磨さんが私をじっと見つめていた。 「あの時、俺……詩季ちゃんから色んな事、教えてもらった」 「まさか……それは、私の方で……」 慌てる私に、一磨さんはフッと笑った。 「まあ、確かに……最初のダンスはひどかったかも」 「う……ひどい」 「でも、本当によく頑張っていたし、みるみる上達したのには本当、感心した」 「一磨さん……」 「まあ、相当無茶もしてたけど……ね?」 (う、確かに……) 今思うと、ケガをしたのに他の人には黙ってくれだの、心配かけてるのに強がってみたりと、結構めちゃくちゃだった。 「なかったことにして下さい……」 「それは、ちょっと無理かな」 「もう!」 私がちょっと怒ってみせると、一磨さんは声をあげて笑った。 それにつられて、私も思わず笑ってしまう。 (あ……なんか久しぶりに笑い合ったかも……) その笑顔は、雨の遊園地以来ずっと見ることがなかったものだった。
19-2 「でも、本当に……詩季ちゃんからは、色々なこと、教えてもらった」 「私から、ですか?」 「うん。いつも一生懸命で、まっすぐで……本当に素敵な子だと思ったから」 穏やかな表情で、静かに話す一磨さんの横顔。 (やっぱり一磨さんにはかなわないなあ……) きゅうっと、胸の奥を締めつけられる。 (このまま、いつまでもこうしていられたらいいのに……) ふいに頭をかすめた、そんな考えに私は小さくため息を吐いた。 すると、一磨さんが心配そうな表情を浮かべて、 「やっぱり、忙しいよね……せっかくの、休みに連れだしてごめん」 「え……?」 「今はCDのプロモーションで忙しいでしょ?きっと詩季ちゃんなら、すぐに歌番組も呼ばれるだろうし……応援してるよ」 「あ、はい……そう、ですね」 (……一磨さんは、私の仕事のことやっぱり知らないんだ……) 「あれ、CDって……もうすぐ発売なんだよね?」 怪訝な表情をした一磨さんに、私は慌てて笑顔を作った。 (事務所の問題は、一磨さんには関係ないんだから言えない……) でも、一磨さんは眉をひそめる。 「大丈夫?何かあった……?」 「い、いえ、本当に大丈夫です!今日もたまたまオフになったというか……」 しどろもどろになりながらも、必死に言い訳してしまう。 「本当に、中々こんな日もないので、一磨さんのオフと重なったのはラッキーでした」 そう言うと、一磨さんの表情が一瞬固まった。 (ん?) 「……そうだね。ラッキー、だったか」 口調は穏やかなままだけど、その表情にはどこか影がさした気がする。 「一磨さん?」 「そろそろお腹すかない?あのラーメン、食べにいこう」 話を変えるように、一磨さんは前に食べに行ったラーメン屋台のほうへ歩きだす。 (何だろう、この違和感……) 思わず私が立ちすくむと、一磨さんがこっちを振り返る。 そして…… 「行こう?」 有無を言わさない瞳で、私の手を取って、再び歩きだした。 (今日の一磨さん、何か調子がくるっちゃう……) 嬉しい気持ちもありつつ、私は一磨さんの微妙な変化に戸惑っていた……
19-3 帰りの車中、私たちはまた、とりとめもない会話をしていた。 (一磨さん……特に、話はなかったのかな……) 核心に迫るような話は、なかった気がして疑問だけが心の中に引っかかる。 (気になるし……私から、聞いてみてもいいかな?) 「あの、一磨さん」 「うん?」 「どうしてクランクアップの日、来られなかったんですか?」 「……ああ」 少し間を置いて、一磨さんはあいまいな相づちを打つ。 「……ちょっと、今、次の仕事の準備とかで忙しくて……」 (本当に、それが理由……?) 納得できないうちに、家の前に着いてしまった。 ゆっくりと車が止まる。 「伝えたかったこと、なんだけど」 唐突に、一磨さんが口を開いた。 (あ……) 一磨さんの緊張が一瞬で伝わってきて、私も身を固くする。 「……もう一度、あの日を、仕切りなおさせてほしい」 「あの日……?」 「ラストシーンを撮った、教会に下見に行った日」 その言葉に、ドクンと心臓が鳴る。 (それって、私が振られた日……ってこと?) 私がどの日か理解したことを察したのか、一磨さんは言葉をつづけた。 「あの時は、あそこで終わらせなくちゃダメだって……それがお互いのためなんだって、信じてたんだ」 (お互いのため?……どうして) 「でも、あの時はまだ、大事なものの順番がわかってなかった。……わからないフリをしていたんだ」 (大事なものの、順番……) 私は病院で一磨さんが、同じようなことを言っていたことを思い出した。 (それって……) 一磨さんの言おうとしていることがパズルのピースを埋めて行くみたいに、少しずつ見えてくる。 おそるおそる一磨さんのほうを見ると、熱っぽい瞳と視線が交わる。 それは、いつもの優しいお兄ちゃんみたいな目じゃなくて…… (男の人、だ……) 私が目をそらせずにいると、一磨さんは、ひざに置いていた私の手を取る。
19-4 「義人がいつか言ったみたいに、現実は、映画みたいにうまくいかないかもしれないけど……」 そこで言葉を一度切ると、握った手に力をこめる。 「諦めたくない。……俺は、もう、自分の気持ちに嘘はつけないから」 「一磨さん……」 (私、そんなこと、言われたら……) 「期待、しちゃいますよ?」 静かに、そう告げる。 でも、一磨さんは視線をそらさなかった。 「……いいよ」 その一言に、胸の奥がギュッと痛くなる。 信じていいのかまだ不安で、それでも嬉しい気持ちが抑えられなくて…… (本当に、いいの?) 揺れる気持ちを持て余して、言葉が出てこない。 そんな私を、一磨さんは抱き寄せた。 「今はまだ、色々ケジメをつけなきゃいけないことがあるから、もう少しだけ、待っててもらわなくちゃいけない……。でも、もう大事なものの順番は間違えない」 「一磨さん……」 「だから、信じて待ってて」 耳元で囁かれる、決意の言葉。 でも、それと同時に、私を抱きしめる手が少しだけ、震えていることに気がついた。 (理由はわからないけど……今まで傷ついてたのは、私だけじゃなかったのかもしれない……) 私は、目を閉じた。 (……また傷つくことになっても……それでもいい) そう決心して、私は目を開けると、軽く胸を押して一磨さんから離れた。 「わかりました。……待ちます」 ハッキリと言うと、一磨さんは一瞬目を見開いたあと、柔らかく微笑んだ。 「ありがとう……」 私が車を降りると、一磨さんは車を発進させた。 遠ざかる車を見つめながら、私は胸の前でぎゅっと手を握りしめる。 (……今は、一磨さんのこと信じて待ってみよう) 私は、祈るような気持ちのまま、その場から動くことが出来なかった……
19-5 それから、2週間後…… 私は事務所へやってきていた。 頬に丸く華やかなチークが入って、鏡の中の私はテレビ用の私になった。 モモちゃんが真剣な顔で、私にメイクをしてくれている。 「それじゃ、マスカラ塗っちゃうから……まずは膝もと見てて」 「うん……」 Waveの事務所から圧力がかかったという話を聞いて、半月。 その間、ほとんどの仕事がない状態で今日、映画の完成披露試写会当日を迎えた……。 「……はい、出来た!さすが、アタシよね。完璧でしょ?」 「ありがとう、モモちゃん」 (山田さんにも、お礼を言わなくちゃね……) 久しぶりの仕事で、緊張しながら迎えの車を待っていた私を、山田さんは事務所に連れて来てくれた。 困惑する私に、モモちゃんが満面の笑顔で『さ、メイクするわよ!』と、言ってくれた。 一言も言わないけれど、私のために山田さんが呼んでくれたに違いなくて。 「……私、ほんと支えてもらいっぱなしだね……」 苦笑すると、鏡にモモちゃんが肩をすくめるのが映った。 「あら、アタシだって徹平ちゃんだって、誰にでも優しいわけじゃないのよ。詩季ちゃんだから、助けたくなる……それは、詩季ちゃんの実力よ」 「モモちゃん……」 「この世界はね、決して平等じゃないけど不公平じゃないの。努力して頑張ってる人間を、いつまでもくすぶらせたりなんてしないわ」 言葉終わりに微笑まれて、私もつられて笑顔になった。 その瞬間、モモちゃんにぎゅっと抱きしめられる。 「モ、モモちゃん?!」 「本っ当にかわいいんだから……メイクはね、女の子の心を守るバリアーだけど、どんな化粧より、女の子の笑顔が一番の武器って忘れないでね?」 (笑顔が一番の武器、か……) モモちゃんに抱きしめられながら、言葉を反すうしていると……
2011/04/05 16:10
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