20-1 数日後。 あれから、一磨さんからは何も連絡がない。 (一磨さん、大丈夫なのかな……Waveのみんながいるから大丈夫だとは思うんだけど……) 小まめに連絡してくれる亮太くんの情報だと、なのほうにもまだ何も連絡がないみたいで、何だか悪い予感しかしない。 (待つ、って言っちゃったけど……本当に大丈夫だったのかな) 今までリーダーとして、みんなを引っ張る役割だった一磨さん。 (一磨さん、相談されるのは慣れてても、相談する側は慣れてないだろうしなあ……) ベッドの上で、膝を抱えて私はうなだれていた。 事務所を辞めるとまで言っていた、一磨さんの本気で怒った顔を思い出すと、不安がつのっていく。 (一磨さんが、本当にWaveをやめちゃったら……どうなるんだろう……) 5人が揃って、仲良くしている姿はいつも見ていた。 それが、私のことが原因で壊れてしまうかもしれない……。 (どうしよう……) 不安で、どうしようもなかった。 だけど、今の私には待つことしか出来なくて、また、堂々巡りの思考回路に落ちようとした瞬間、携帯が鳴った。 「も、もしもし?」 「詩季か?今から出掛けられる用意をしろ。呼び出しだ」 「え……?」 「Waveの事務所から話しあいたいと連絡が入った。どんな話になるかは、分からないが行くしかない……」 電話越しに感じる山田さんの憤りに、私は携帯を握る手に力を込めた。 「分かりました……準備しておきます」 (……もう一度、説得してみよう。Waveが壊れるなんて、絶対に嫌だ……) 一度だけ深呼吸をして。 私は近くにあったバッグを引っつかみ、部屋を飛び出したのだった。 その頃、Waveのみんなが混乱の最中にいることも知らずに…… 京介が運転する車に、助手席に翔、後部座席に亮太、義人が乗っている。 「京介、もっとスピードあげれないの?」 「限界まで出してる……!」 京介らしくなく、その運転はひどく荒々しい。 「一磨……どうして、何も言わないで決めちゃうんだよ……っ」 「……とにかく、本人に話を聞くしかないだろ」 動揺したメンバーを乗せて、車は法定速度ギリギリで街を駆け抜けていった。
20-2 チャイムを連打する音が響くと、ゆっくりと玄関の扉が開いた。 その瞬間、出てきた一磨に、翔が掴みかかる。 「Waveを辞めるって、どういうことだよ!?」 そう叫ぶ翔を見て、それからその後ろの見慣れた顔ぶれに、一磨は柔らかい微笑みを浮かべた。 「……意外と、来るの早かったな?入って、ちゃんと話すから……」 一磨は、落ち着いた態度でメンバーをリビングにあげた。 一磨は、全員分の飲み物を用意して、リビングのテーブルに並べた。 それぞれソファーに腰掛けたメンバーたちは、全員が不機嫌な顔をして一磨をじっと見ていた。 「……分かったよ。ちゃんと話す……」 気まずそうに、眉をひそめてソファーに腰掛ける一磨。 その瞬間を、待っていたとばかりに翔が口火を切った。 「あんなに言ったのに……何で、1人で事務所に行ったりすんだよ?!」 「そうだよ……あのルール、本気で忘れちゃったワケ?」 「……忘れてないよ」 「じゃあ、何で勝手に決めんだよ!」 やけに冷静な一磨の様子に苛立ったのか、京介がダンとテーブルをこぶしで叩いた。 「……」 それに対して、一磨は何も言わない。 「一磨。……本当に、いいのか」 義人が、静かに問いかけた。 「これが、本当に彼女のためになるのか?」 重ねて問われた、その言葉に一磨の表情がかすかに強張る。 「そうだよ!こんなことで、詩季ちゃんが喜ぶなんて……オレには思えない!」 「一磨、考え直せよ」 その時、一磨の携帯が鳴った。 「……はい」 電話に出た一磨は、メンバーのほうをチラッと見ながら話しはじめる。 「明日ですか?……わかりました。はい、では失礼します」 「……もしかして、事務所から?」 電話を切った一磨に、亮太が尋ねる。 「ああ……明日、メンバーも含めて最後の話し合いをしたい……だって。多分、すぐそっちにも連絡がいくと思う」 そう言った直後に、今度は翔の携帯が鳴り始めた。 「……オレからかよ……」 ぼやきながら翔が電話に出る。 「……カンタンには、辞めさせないからね?」 電話で話す翔を横目に、亮太は一磨に強い視線を送る。 「簡単に……出した答えではないよ」 「一磨……」 リーダーの揺らがないその瞳に、メンバーたちは顔を見合わせるしかなかった。
20-3 ゆっくりと、車が停まった。 目の前には、大きなビルがそびえたっている。 (……ここに、Waveの事務所があるんだ) 比べるまでもなく、自分の事務所の小ささを思い知らされる。 (……でも) 誤解や勘違いで、人にひどい仕打ちをするような人は、ラビットプロモーションにはいない……。 (それだけWaveを大切にしているんだろうし、守り方の違いはあるんだろうけど……) 「……顔色が、悪いな……」 心配そうに眉根を寄せる山田さん。 「大丈夫です、行きましょう」 映画の完成披露試写会の記者会見で、一磨さんが私を『特別な存在』と言ってくれた。 けれど、そのことでWaveの事務所が私の仕事に圧力をかけていたことが、一磨さんを含めた、メンバー全員に発覚してしまい……。 (一磨さんが、Waveを辞めるなんて……絶対にダメ) (話し合いの席を持ってくれるっていうんだから……ちゃんと、話をしてわかってもらわなくちゃ) 私と山田さんは、高層ビルの中へと入っていった。 「これは……?」 事務所についてすぐ、私と山田さんは社長室に通された。 Waveのマネージャーさんは私たちにソファーを勧めて、座った途端、目の前に一枚の書類を置いた。 「内容は書面にある通りです。こちらにサインをして頂ければ全ておしまい。全部の問題が丸く収まります」 見るように示され、書類を手に取って内容を見た瞬間、愕然とした。 (何、これ……) 『今後、当社の所属タレントであるWaveとは、プライベートでの一切の関わりを持たないことを条件に……』 書類には、そんな脅しにも似た文面が並んでいた。 「これにサインをしろって、言うんですね……」 私の隣で、文面に目を通した山田さんが顔をしかめる。 「いくら何でも、こんな一方的な契約書は……。そちらがWaveを守りたいように、当社だって彼女を守る義務があるんです。それを……」 「だからこそ、です。これでお互いのタレントを守ることができる」 「ですが……!」 今にも書類を破ってしまいそうなくらい、山田さんは憤慨していた。 本当に何度読んでも、私への一方的な条件が並べられた契約書だ。 (……だけど、これにサインをすれば……) 一方的にやられてしまったことだけど、仕事への圧力がなくなる……。 そうすれば、山田さんや森社長が頭を悩ませることもなくて。 きっと、辞めると言った一磨さんの考えだって変わる気がした。 (もう、これ以上は事務所にも一磨さんにも迷惑かけたくない……) そう分かっているのに、心のどこかがサインをすることを拒否して。 強引にサインしようと、ペンを握ってみても肝心のサインがどうしても出来ない……。
12-4 「……詩季?」 (ダメ、出来ないよ……) ペンを持つ手が震えてしまって、私は唇を噛んだ。 「少し……考えさせて下さい」 ただ、サインしてしまえば終わる話なのに……。 頭では分かっていても、私は結局、その日……契約書にサインをすることが出来なかった……。 次の日の朝。 (本当に、どうしよう……) Waveの事務所から戻ってからずっと、私は契約書を眺めて悩み続けていた。 サインひとつで、世界は変わるのだ……。 今までずっとよくしてくれたWaveのみんなと、そして一磨さんと二度と親しい会話が許されなくなる。 (山田さんは最後まで、仕事は何とかするからこんな契約書にサインすることなんてないって言ってくれたけど……) (でも、サインさえしてしまえば、皆苦しい思いをしないで、仕事は元通りになる……) サインをする以外に、何も道がない気がして私は一晩中、堂々巡りの思考を巡らし続けていた。 私がまた、契約書を見つめた時、山田さんから電話が来た。 「はい……」 「明日から、仕事が再開だ」 「え……本当、ですか?」 (だって、まだサインをしてないのに……?) 昨日、契約書にサインをするように迫っておいて、そんなすぐに諦めてくれることに違和感を感じる。 (どういう、こと……?) 「詩季、聞いているのか?」 「あ、はい。すみません……」 「いや、いい。とにかく、延期になっていたCDの発売……そのプロモーションも再開出来そうだ。映画の公開も近い、頑張れるな?急だが、さっそく今日の昼から仕事が入った。すぐに迎えに行くから準備をしておけ」 「……はい!」 ハッキリと山田さんに返事して、私は電話を切った。 携帯を離して、契約書に視線を移す。 (本当に……もうサインしなくてもいいの……?) 仕事再開の嬉しさと、不安の板挟みで私はひどく複雑な気持ちになった……。
20-5 仕事が再開して、一番喜んでくれたのはモモちゃんだった。 仕事終わりに見かけたモモちゃんに声を掛けると、本当に嬉しそうな顔で笑ってくれた。 そんなモモちゃんに、私は今までの事情を話した。 「本当によかった。ずっと、どうなるか気が気でなかったのよ。徹平ちゃんとも話していたんだけど……」 モモちゃんの言葉に、私は目を丸くした。 「山田さんと……?」 私が思わず聞くと、モモちゃんはキョロキョロと辺りを見回した。 「ここだけの話、アタシよりも本当に徹平ちゃんは詩季ちゃんのこと、心配してたの。無事に仕事が再開しても、心を痛めて出来ないかもしれない……とか、とにかく心配してたんだから!」 (山田さんが……) 普段のやり取りでは見えなかった、不器用な優しさを知って、そんな人にマネージャーをしてもらっていることが誇りに思える。 「山田さんにも、ちゃんとお礼言わなくちゃ……」 「いいわよ、そんなの。その代わり、詩季ちゃんは仕事を頑張ればいいわ。あの仕事人間には、どうせそれが一番の喜びなんだから……」 さらっと、ここにはいない山田さんに毒を吐いてモモちゃんは笑顔になった。 「何にしても、こうやって仕事を再開出来たのはきっと一磨くんが動いてくれたってことよね」 「うん、そうだと思う……」 契約書にはサインをしていないのに、再開した仕事。 一磨さんが動いてくれたとしか、思えなかった。 (本当に一磨さん……あの時に、言ったことを守ってくれたんだ……) 「詩季ちゃん……仕事のことは、ちゃんと話をつけるから。だから、もう少しだけ待ってて?」 そう思いながらも、あの契約書が頭からどうしても離れない。 私がサインしなくても、一磨さんが同じ内容を納得したのかもしれないと、そんな思いがよぎってしまう。 (一磨さんが私と、一切関わらないって約束したから、仕事が再開したのかもしれないんだよね……) 契約書の存在が、消せない不安に火を点けて。 点いてしまった火は、じりじりと胸の奥をこがした。 (一磨さん……) 考えに落ちそうになった瞬間、携帯が鳴った……。
2011/04/08 16:08
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