学園祭準備のための慌しい生活から開放されて、随分と日が経つ。 そんな時、思いがけず、幸人先輩から海外旅行に誘われた。 行き先はパリ! 大学の集中講義の教壇に立つためちょうどパリに滞在する、幸人先輩のお父さんから、遊びに来ないかと誘われた。 はじめての海外旅行。 しかも幸人先輩と2人きり! その日、私たちは空港まで源さんに車で送ってもらった。 美影も見送りに来てくれた。 「とりあえず、パリに着いたら教授と合流できますから、心配は無用です」 「○○、はしゃぎ過ぎないようにね」 「うん。お土産買ってくるから楽しみにしてて」 美影は私に近づき耳打ちをした。 「せっかく幸人と2人っきりなんだから、頑張りなよ」 「ちょっと、頑張るって!?」 カァーッと頭が熱くなる。 美影は悪戯っぽく笑った。 幸人先輩をチラリと見る。 「そろそろ行くぞ」 「じゃあ期待してるからね」 「……期待?」 「あ、お土産の話ですから!」 私たちは美影たちに別れを告げ、出国ゲートへと向かった。
幸人先輩とは隣同士のシート。 ガイドブックを見ながら私はウキウキしていた。 「幸人先輩はどこか見たい所ありますか?」 「大学だな」 「……大学って、パリの大学に進学するんですか?」 「それも候補のひとつだ」 「そうなんだ……」 いつの間にか眠ってしまっていた私は、うっすらと目をあけた。 幸人先輩の肩に寄りかかっていたことに気づき、慌てて頭を離す。 「ご、ごめんなさい!」 幸人先輩は視線を、読んでいる本から私に移した。 「……気にしてない」 そして突然、私の頭に手を添えて自分の肩へ押し付けた。 「えっ……」 「眠いんだろ?俺の肩を使えばいいだろ」 「で、でも……」 幸人先輩は再び読書を始める。 私はそのまま先輩の肩を借り眼を閉じた。
飛行機の長い旅を終え、私たちはタクシーに乗って市内のホテルへとやってきた。 幸人先輩のお父さんがここを予約してくれているはずだ。 「……おかしい」 「どうしたんですか?」 「ロビーに来ているはずなんだが……とりあえず、チェックインだけ済ませておこう」 「はい」 幸人先輩の後に続き、フロントに向かう。 幸い日本語の話せるスタッフが対応してくれる。 「円城寺英之の名で予約しているはずですが……」 「円城寺様ですね」 受付の人は予約を確認する。 「……見当たりません」 「そんなはずは……」 幸人先輩は珍しく少し戸惑った様子で、フロントを離れる。 すぐに携帯を取り出しお父さんにかけ始めた。 「もしもし?今ホテルにいるんだが……」 「えっ、何だって!?」 「……そうか、分かった」 幸人先輩は深くため息をついて携帯を切る。 「日にちを間違えてたらしい。しかも今、イギリスに居て、来週まで動けないらしい」 「そ、そんなぁ……」 「とりあえず、泊まるところの確保からだ。フロントに聞いてみる」 戸惑う私をよそに、幸人先輩はもう一度フロントに向かう。 「4泊泊まりたいんですが、2部屋空いてますか?」 「2部屋はちょっと……1つだけなら……」 「じゃあそれでお願いします」 「え?」 サラリと言った幸人先輩の言葉に、私は思わず声を上げた。 「今は観光シーズンだ。部屋が空いてるだけマシなんだ」 「で、でも……」 私は緊張した面持ちで、チェックインの手続きをする幸人先輩の姿を見ていた。
部屋は思っていた以上に広かった。 眺めもよくて、疲れが吹っ飛んでしまいそうだ。 でも、部屋にはダブルベッドが1つ置かれているだけ。 「こ、これって……」 「しかたないだろ、ダブルルームなんだから」 「お腹すいただろ?下のレストランに行くぞ」 そう言って、さっさと部屋を出ていこうとする。 「あ、はい」 私はもう一度ベッドをチラリと見てから部屋を出た。
料理の味は全然わからなかった。 ベッドのことが気になって、ずっとドキドキしっぱなしだ。 部屋に戻った私たちは、早々に寝る準備をした。 「寝るぞ」 幸人先輩はさっさとベッドに入る。 ベッドサイドのスイッチに手を伸ばしたまま、私へ視線を向ける。 私は慌ててキングサイズのベッドの反対の隅に横になる。 部屋の電気が消えた。 自分のドキドキという心臓の音が、耳に響く。 先輩は私に背を向けて寝ている。 私も幸人先輩に背を向けた。 (うーん。眠れない……) お互い端に寝ているとはいえ、こんなに幸人先輩が近くにいたら気になって仕方がない。 「……○○」 「はい?」 名前を呼ばれ、寝返りをうつ。 それと同時に幸人先輩が私に抱きついてきた。 (え……!?) 突然のことに頭が真っ白になる。 先輩の腕の温もりが伝わって来て、私の頬は急激に熱くなる。 「うーん……」 「……幸人先輩?」 「…………」 (もしかして幸人先輩、寝ぼけてる……?) 起こさないように、腕から抜けだそうとしたけど上手くいかない。 (……こんなんじゃ、余計眠れないよ) 眼はどんどん冴えるばかりだ。
「……おい、起きろ」 その声に、眠い目を無理やり開けた。 幸人先輩が私の顔を覗き込んでいた。 朝の日差しが眩しい。 「……おはようございます」 「○○、眠そうだな。どうしたんだ?」 (どうしたもこうしたも……) 先輩のせいでずっと眠れなかったことは、さすがに口には出来ない。 「……疲れてるんだと思います」 何も覚えていない幸人先輩にちょっとムッとしながら言った。
今日は午前中から大学を見学する予定。 受付で手続きを済ませ、キャンパス内を見てまわる。 「すごい広いですね。校舎がお洒落!」 「あんまりはしゃぐと転ぶぞ」 「大丈夫ですよ」 大学見学とはいえ、2人で観光だと思うと心が躍る。 「あ、幸人君!探したよ!」 幸人先輩を呼ぶ声と共に、遠くから男の人がこっちへやってくる。 「お久しぶりです。父がいつもお世話になってます」 「こちらこそ。君が前に話したいって言ってた教授が、今日来てるんだけど、会ってみる?」 「本当ですか?お願いします」 幸人先輩は私の方へ振り向く。 「すぐ終わるから、待っててくれないか?」 「はい!」
キャンパス内のベンチに腰を下ろし時計をみる。 (幸人先輩遅いな……) 「ねぇねぇ」 声に顔を上げると、2人の男の人が立っていた。 背の高い青い眼をした外国人に、私は身をすくめる。 「キミ、日本人?ボクら、大学で日本語習ってるんだ」 「日本の文化素晴らしいよねー」 2人はニコッと笑い、流暢な日本語で話しかけてきた。 「ありがとうございます」 「暇なら日本の事教えてよ」 いきなり腕を掴まれ、無理やりベンチから立たされた。 そのまま校舎の方へ連れていかれそうになる。 「ちょ、ちょっと待って」 腕を振り払おうとするが、力が強くて振りほどけない。 「……何してるんだ」 幸人先輩が私の方に駆け寄ってきた。 2人を鋭い視線で睨みつけた。 「別に何もしてないよー」 そう言うと、逃げるように校舎の方へ走って行った。 「大丈夫か?」 「ありがとうございます!」 「待たせて悪かった」 私たちはそのまま学校を後にした。 幸人先輩はちょっと気まずい表情だった。
「明日も学校見学する予定なんだが、○○はどうする?」 そう言いながら幸人先輩はバスルームから出てきた。 「どうするって……?」 「観光したいなら1人で行ってもいい。日本語のツアー頼めば問題無いだろう」 「……大丈夫です」 「そうか」 私の気持ちには気づいていないのか、幸人先輩はサラリと言う。 「……お風呂入ってきますね」 寂しい気持ちでそう言って、バスルームへと向かった。 シャワーを浴びながら、さっきの事を考える。 (一人で観光行ってこいって……幸人先輩は私が一緒が嫌なのかな……) そんな思いが頭をよぎる。 ため息をつきながら、シャンプーを取ろうとする。 「……え、きゃぁ!?」 手を伸ばした先に、見たことがない虫がいた。 「どうした?大丈夫か!?」 ドアノブに手をかける音がした。 「ま、待って下さい!」 私は慌てて幸人先輩を止める。 今の自分の恰好を何とかしなきゃと、混乱した頭で考える。 バスタオルを手に取り、急いで巻いた。 「だ、大丈夫です……」 カチャッという音と共に、幸人先輩がバスルームへと入ってくる。 思わず、私は幸人先輩に背を向けた。 今は虫の怖さより、恥ずかしさが上回っている。 「……ど、どうした?」 「虫が……」 「そ、そんなことで叫ぶな……」 それだけ言うと、背後でバタンとドアが閉まる音がした。 心臓がまだドキドキいっている。 私は気持ちを落ちつけようと、長居時間シャワーを浴び続けた。
4日目の朝。 パリの街並みにも慣れてきた。 「今日はどの大学に行くんですか?」 「大学はもういい。シャンゼリゼ通り、行きたかったんだろ?」 「えっ……はい!」 私がガイドブックに印をつけていた名所だ。 (覚えててくれたんだ……!) 私は嬉しくなり笑顔がこぼれる。 通りに面したお店の前で私は足を止めた。 「あ、これ可愛い!」 ショーケースの中には綺麗なブレスレット。 (でも、ちょっと高いな……) 「欲しいのか?」 「あ、い、いえ……」 「待ってろ」 そう言ってお店へと入って行った。 しばらくすると幸人先輩は手ぶらで出てきた。 そして強引に私の腕を掴んだ。 (えっ……?) 幸人先輩は私の腕にブレスレットをつけた。 ショーケースにあったものと同じものだ。 「……いいんですか?」 「学校見学に付き合わせてしまったからな」 「あ、ありがとうございます!」 私は幸人先輩の手を取って歩き出した。
夜風に当たりながら、街並みを見下していた。 今夜がパリ最後の夜。 明日には帰るんだと思うと、なんだか寂しい。 「何してる?」 幸人先輩が隣にくる。 「ホテルから見えるこの景色を眼に焼きつけようと思って……」 「そうか……」 「それにしても、旅行誘ってくださってありがとうございました。本当に楽しかったです」 突然、遠くから、ドーンという音が聞こえてきた。 「あ!」 遠くの夜空には無数の大きな花火が咲いた。 「すごい、きれい……」 「ああ……」 しばらく無言で花火を見つめる。 隣にいる幸人先輩の手が少しだけ触れる。 そしてお互いに、どちらからともなく手を絡めた。 夏の花火の時は繋げなかったけど、今は強く繋がれている。 (ずっと、こうしていたい……) 「……くしゅん」 繋いだ手が離れ、幸人先輩が後ろから抱きしめる。 「え?」 「寒いんだろ?」 抱きしめられたところから身体が暖かくなる。 そして顔がじんわりと熱くなる。 幸人先輩の顔はすぐ間近にある。 「○○」 幸人先輩は私をじっと見つめていた。 花火の光に照らされたその瞳に吸い込まれそうになる。 「○○」 顔が近づいてきて、唇が触れた。 甘くて、柔らかい感触。 私は頭がぼーっとしてしまい何も考えられない。 気がつくと、いつの間にか花火は終わっていた。 「明日も早いんだ。寝るぞ」 私は幸人先輩が触れた唇を指でなぞった。
明日の準備を済ますと、幸人先輩はベッドに入っていた。 (幸人先輩もう寝ちゃったのかな……) 私はいつも通り、ベッドの端の方へ寝ようとする。 「○○」 「は、はい……?」 私はぎこちなく返事をした。 「そんな端に寝なくてもいい。もっとこっちに来い」 「え……?」 「夕べ、ベッドから落ちただろ」 「あ……」 「いいから早くこい」 私はためらいながらベッドの中心へ移動する。 すると幸人先輩が私を抱き寄せた。 「え?」 さっきまで冷えていた身体がどんどん暖かくなっていく。 「幸人先輩……?」 「…………」 「……先輩?」 幸人先輩の顔を覗きこむ。 かすかに寝息が聞こえた。 私はドキドキが止まらないまま、そのままの姿勢で眼を閉じた。
「○○……」 幸人先輩が私を優しく呼んでいる。 私は眼を開ける。 部屋はカーテンが閉まっているせいか、まっくらだ。 幸人先輩の表情は見えない。 「先輩……どうしたんですか……」 「せっかくパリで2人きりなんだ。いいだろ……」 幸人先輩が低い声で囁く。 吐息が私の首筋にかかって、びくんと反応する。 「いいだろって?何がですか!」 「だって私たち……」 フーッとまた幸人先輩のため息が私の身体を震わせた。 カァーッと全身が熱くなる。 「……先輩……」 「○○……○○……!」 「○○!どうしたんだ?」 「……○○……大丈夫か?」 「……え?」 「どうしたんだ?うなされていたようだが……」 私はあたりを見回した。 「ゆ、夢?」 「どうした、顔が真っ赤だが……」 「えっ?」 思わず、自分の頬に触れてみる。 「悪い夢みてたのか……やめてくださいって、何をされていた?」 「えっ、いや……何でもないです……」 「……まぁ、いい。とにかく急いでくれ。早く行くぞ!」 「は、はいっ!」
「急げ、まったく○○が寝坊するから!」 「ほら、早く」 自然と繋ぐ手。 「何笑ってるんだ?」 「何でもないです……ねぇ、幸人先輩?」 「何だ?」 「また一緒に来ましょうね!」 「……フッ、そうだな」 幸人先輩は優しく笑った。 旅のおかげで、幸人先輩との距離もぐっと縮まった気がする。 そんな事を思いながら、私たちはまもなくパリを後にしようとしていた。
2010/05/16 16:31
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