学園祭が終わって、あの賑やかな空間は遥か彼方へと消え去り、いつもの日常へと戻っていた。 あの時、高野先生と気もちが通じ合ったのは夢じゃない。 でも、私たちの関係は今までと同じ、生徒と教師。 私は集めたアンケートを手に保健室へとやってきた。 扉を開けると、椅子に座っていた高野先生がこちらを向いた。 「どうした?」 「保健のアンケートを持ってきました」 「そうか……」 高野先生に手渡した。 ずっと2人で会うことがなかったから、妙に緊張してしまう。 私はドキドキしながら、先生の側に立っていた。
「どうした?もう帰っていいぞ」 高野先生は机に戻る。 あっさりすぎる対応に、思わず拍子抜けしてしまう。 「あ、あの……」 「なんだ?」 まったくこちらを見ないで返事をする。 高野先生はあくまでも、生徒と教師という立場を崩さないみたい。 (当たり前だよね……) 「……いえ、なんでもないです」 私は少し寂しい気持ちになりながら言った。
教室に戻ろうとした瞬間、勢いよく扉が開けられた。 「シンちゃ〜ん!天使のほっぺ持ってきたわよ!」 やってきたのはヒロミちゃんだった。 その手にはプリンが握られている。 「あら、○○ちゃんもいたのね!」 「おい、俺は忙しいんだ。そんなもんいらないから、とっとと出てけ」 「何言ってんの!このプリンはそうそう手に入るもんじゃないのよ!」 「ふん、そんなもんを必死に買いあさるヤツらの気が知れねぇよ」 「もう!オトメはみーんな、スイーツが好きなのよ。ねぇ、○○ちゃん?」 「う、うん……」 ヒロミちゃんの勢いに押されて、思わずうなずいてしまう。 「誰がオトメだ……」 高野先生は大きくため息をついた。 「ふん!いいわよ、これはアタシ一人で食べちゃうから!あとでちょうだいって言ったって、絶対にあげないわよ!」 「いらねぇって言ってんだろ」 ヒロミちゃんはプリプリしながら、保健室を出て行った。
「いいんですか、怒らしちゃって……」 「気にすんな。どうせすぐにケロッと機嫌を直して戻ってくるさ」 (やっぱり、高野先生とヒロミちゃんって仲良いんだな……) そう思ったけど、口にしたら高野先生に怒られそうなので心の中に留めた。 「じゃあ、私もそろそろ……」 「……待てよ」 高野先生の声に立ち止まる。 「今度の週末、空いてるか?」 「はい……保健委員の仕事ですか?」 「違う、保健委員とかじゃなくて……どこか行かないか、2人で」 「え!?」 思わず、驚きの声をあげてしまった。 「嫌か?」 「いえ!そんなことはまったく……」 「決まりだな。週末空けとけよ」 高野先生はそう言うと、再び机に戻った。 (これってもしかして……デート!?) 私は隠しきれない嬉しさをかみ締めて、保健室を出た。
約束の日がやってきた。 あれから何度、頬をつねったか。 楽しみでしょうがなくて、ついつい早足になってしまう。 そのせいか、時間よりも随分早く着いてしまった。 (あ……) 待ち合わせ場所のショッピングセンター入口には、すでに高野先生の姿があった。 「すみません!待たせちゃいましたか?」 「いや、今来たとこだ」 高野先生は静かに微笑んだ。 今までも高野先生と休日に会ったことはある。 だけど、今日は今までとは違う。 私は辺りを見回した。 (知ってる人いないかな……) 2人でいるのを見られたら大変だ。 でも、高野先生はそんなこと気にする様子もなく、堂々としていた。 「行くぞ」 「どこに行くんですか?」 「すぐそこだ」 高野先生は歩き出す。 私は慌てて、後を追いかけた。
高野先生についてやってきたのは、スイーツパラダイスだった。 今、女の子の間で話題のスイーツ専門の食べ放題のお店だ。 「高野先生、ここって……?」 先生は黙って、案内された席へと移動する。 「ちょっと待ってろ」 「はい!」 高野先生に促され、席に座ってしばらく待つ。 すると、高野先生が両手にお皿を持って戻ってきた。 「ほら」 ゴトンとテーブルの上に置かれる。 お皿いっぱいにケーキが敷き詰められていた。
「……高野先生って甘いの嫌いでしたよね?」 「……オトメはみんなスイーツが好きなんだろ?」 高野先生は真面目な調子で言った。 周りには女性のお客さんばかり。 その中で、真剣な様子で高野先生がケーキを選んでいる姿が頭の中に浮かんだ。 「ふふ……」 思わず笑ってしまう。 「なんだ?……変なもんでも混じってたか?」 「いえ、そういうわけじゃ……でも、おいしそう」 私がそう言うと、高野先生も安心したように笑った。 私のためにこの場所を選んで、たくさんのケーキを持ってきてくれたのだ。
「食え」 「はい!」 ショートケーキにミルフィーユ、クレープにパイやタルト……。 きらびやかなスイーツに私は目を輝かせる。 「どれから食べようかな……」 私はフォークを空中で行ったり来たりさせていた。 「少しずつ食えばいいだろ、いっぱいあるんだから」 高野先生は甘くなさそうなグレープフルーツムースを口に運んだ。 じっと、ムースを食べる様子を見つめる。 なんだか、スイーツと高野先生という組み合わせが新鮮に見えた。 そして、いつもより少し可愛く見えるのは気のせいだろうか。 ふと、高野先生と私の目が合った。 パッと視線をそらす。
「……そんなに食べたいなら言えばいいだろ」 「え?」 「ほら」 そう言ってさりげなくスプーンでムースをすくい、私に差し出してきた。 (え……これって間接キスじゃ……) 私は戸惑いながら見つめていた。 「いらないのか?」 すっと差し出されたスプーンが引かれる。 「た、食べます!」 慌てて声を上げその手を引き止めた。 「ほらよ」 口元に運ばれたスプーン。 私は思い切って口を開けた。 口の中に入れると、ほんのりと甘いムースが広がる。 でも、甘さの中にもグレープフルーツの苦味を感じた。 自然と頬が緩んだ。 そんな私を見てか、高野先生の顔も緩んでいく。 それが何だかとてもこそばゆいような気がした。
「美味いもの食べてりゃ幸せって顔だな」 テーブルにひじをついた状態でじっと見つめられる。 そんな目で見つめられると、どうしていいかわからなくなってしまう。 私はごまかすように、ひたすら自分のケーキを頬張った。 「クリーム、ついてるぞ」 「えっ?」 声に反応するように顔を上げると高野先生の手が伸びてくる。 「ひゃっ!」 唇に高野先生の指が触れた。 「夢中で食い過ぎなんだよ」 そう言って拭ったクリームを舐めた。 ポッと顔に火がともったように熱くなる。 「す、すみません……」 私は赤くなった顔を見られないように視線を外した。
その時、お店の入り口に思いがけない光景を見つけ、熱くなった顔が一気に冷めた。 (あれって……) 見間違いではなかった。 学校のクラスメート数人がお店に入ってきたのだ。 すぐ近くの席に案内される。 私は見つからないように身を縮めた。 クラスメートの存在が気になってしまい、ケーキどころではなかった。 (どうしよう……) そわそわとしていると、突然、高野先生が立ち上がった。 「……高野先生?」 「出るぞ」 「え?でも、まだケーキが……」 「いいから出るぞ」 高野先生が私の腕を掴んだ。
手を掴まれたまま、街の中を歩いていく。 ショッピングセンターが見えなくなったところで、高野先生は立ち止まった。 「……気に入らなかったか?」 高野先生は心配そうに私の顔を覗きこむ。 「そ、そんなことないですよ」 「でも、そわそわしてただろ?」 「それは……クラスの人がいて……」 「そうか……それは気が付かなかった」 高野先生は微笑むとポンポンと私の頭を軽く撫でた。 「ちょっと、ここで待ってろ」 高野先生はどこかに行ってしまった。
(どうしたんだろ……) 不安な思いで待っていると、突然1台のバイクが私の目の前に止まった。 (えっ!?な、何?) キョトンとしていると、バイクに乗った人物がヘルメットを外した。 ふわりと短い髪が揺れる。 私の胸がドキリと鳴った。 「高野先生!?」 「ほら、乗れ」 ポンっとヘルメットを渡された。 「このバイクって……」 「ああ、俺のバイクだ。後ろに人を乗せるなんて何年ぶりかな」 高野先生はニッと笑った。 私は戸惑いながら、先生の後ろにまたがった。 「俺の身体にしっかり手を回せ」 高野先生に腕を引かれ、腰に手を回される。 身体が密着する。 (先生の背中、温かい……) その温もりが心地よくて、私は寄りかかった。 「しっかりつかまってろよ」 エンジンをふかす音が響く。 勢いよく発進した。 私は振り落とされないようにぎゅっと高野先生の腰にしがみついた。
バイクに乗って、海の入り江までやってきた。 高台へと上る。 水平線の向こうに太陽が今にも落ちようとしていた。 潮風が頬を撫でる。 気持ちよくて、私はぐっと背伸びをした。 高野先生の方を向くと、優しい笑顔でこちらを見ていた。 「こうやってまた誰かとバイクに乗れるのは、○○のおかげだな」 「そう、なんですか?」 私は少し恥ずかしくて俯きながら言葉を返した。 「あぁ……○○といると、毎日笑って過ごせる。そんなのは俺にはもう無縁だと思ってたんだけどな」 高野先生の言葉に、胸の奥がきゅうと締めつけられる。 「私はずっと側にいます。高野先生が笑えるように、ずっと……」 思わず、そんな言葉が出る。 高野先生の表情が和らいだ。
「……○○」 高野先生が私に近づく。 つい後ずさりするけど、柵に阻まれてしまう。 両側にも高野先生の腕があって逃げられない。 こんなに真正面から高野先生を見るなんて心臓が破裂しそうだ。 「あの、高野先生……?」 自分のドキドキを抑えながら声を出した。 「いつまで、生徒やってるつもりだ」 「え……」 高野先生の顔がぐっと近づく。 唇が触れてしまいそうなほど。 体温が一気に上がっていく。
「今は先生じゃない……先生以外で俺のこと呼んでみろよ」 「……高野……さん?」 「違う……俺の名前は?」 そう言われて、カァッと顔が熱くなる。 「顔、赤いぞ」 「だって高野先生が……」 「また、先生か?」 「え、あ……」 「ほら」 「真也……さん……」
「……よくできました」 高野先生が穏やかに微笑む。 その笑顔に目を奪われていると、突然唇を塞がれた。 とても甘く、優しく触れられ、とろけてしまいそう。 高野先生の香りに包まれて、頭がくらくらする。 「好きだ、○○」 名前を呼ぶためだけに離れた唇が再び戻ってくる。 いつの間にか、身体を強く抱きしめられていた。 お互いの呼吸がとけあい、混ざり合っていく。 この温もりがとても愛おしい。 やがて教師と生徒に戻ってしまうけど、今この瞬間だけはただの恋人同士でいたい。 そしていつか、本当の恋人同士になれるように……。 そんな私たちを、沈む夕日が祝福してくれているようだった。
2010/09/11 18:22
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