義人くんが歌っていた『Leaves』。 その曲が、私の心を捕らえて離さなかった。 (気がつくと、つい彼のことを目で追ってる気がする……) 不思議な感覚にとらわれながらも、私はドームをあとにした。
Waveのツアーが終わってしばらくした頃。 私はいつものように事務所で、山田さんとスケジュールの確認をしていた。 「これからしばらくは、タイトなスケジュールが多いが、大丈夫か?」 「はい、がんばります!」 (最初の頃は、こんなにたくさんの仕事がもらえるなんて、考えてもなかったけど……期待に応えられるようにがんばらなくちゃ) 書き込まれた手帳を見ながら、私はそう気合いを入れた。 そんな私の様子に、山田さんがフッと笑みを浮かべる。 「やる気があるのはいいが、無理はするな」 「あ、はい」
「……それから、お前に新しい仕事の依頼が来ている」 山田さんはメガネを押し上げ、私の顔を見た。 「新しい仕事……?」 「ああ、携帯電話のCMだ」 そう言って山田さんは、テーブルの上に置かれた冊子に目を向ける。 私は山田さんの合図を受けて、その冊子をパラパラとめくった。 それは携帯電話のリーフレットで、若い男女の層を狙っているのか、とてもオシャレなデザインだ。 「向こうからの推薦で、ぜひお前に、と言われている」 「え……推薦ですか?」 驚きとともにうれしい気持ちがこみ上げていく。 「話題性もあるし、こちらとしては引き受けるつもりだが、いいな?」 「はい、もちろん!」 その答えに山田さんはうれしそうに笑った。 「じゃあ、向こうにはそう伝えておく。忙しくなるとは思うが、気を引き締めておけ」 「はい」
「それと……相手役なんだが」 (……相手役?) 山田さんは少し目を伏せて口を開く。 「……今回のCMの共演者は……Waveの藤崎義人だ」 「……えっ!?」 思いがけない名前に、思わずドキッとする。 「義人くんと……」 そんな私のつぶやきに、山田さんは小さく息を吐いた。 「お前のことだから大丈夫だとは思うが……」 「……え?」 「気をつけろよ」 「……はい」 私は反射的にそう応えたものの、ふと気づく。 (気をつけろって……何に?) だが、それを聞き返すより先に、山田さんは応接室を出ていってしまった。 私の手元に残された携帯電話のリーフレット。 (こんな感じで私と義人くんが……) そこに載っている男女の姿に、私はなんとなく自分たちの姿を重ね合わせるのだった。
撮影当日。 私は義人くんとともに、スタッフさんから撮影前の説明を受けていた。 「じゃあ、ふたりしてデートしている感じで……」 (デート……って言われても……なんだか緊張しちゃうな……) そう思いながら私は義人くんの顔をチラリと見る。 だが、彼は特に表情を変えることなく、スタッフさんからの説明を聞いていた。 CMの内容は親密な恋人同士がデートするというもの。 失恋をテーマにした曲と、ギャップを演出することが狙いらしく、かなり仲の良い雰囲気を求められている。 (どうしよう……でも、長引かせて義人くんに迷惑をかけたくないし……精いっぱいやってみよう) そう思っていると、監督がやってきた。
「説明は終えた?」 スタッフさんがうなずくと、監督はまっすぐな道路を指さした。 「ここを手をつないで歩いて……そのまま向こうの交差点のところで手を離す……いいかな?」 私と義人くんがうなずくと、監督は少し笑う。 「そんな風に緊張しなくても……。まあ、高校生の頃なんかによくある、好きな人と一緒に登下校する……あんなイメージだから。長回しをして、その中からつまむつもりだし、そう難しくないでしょ」 気軽な感じでそう言われ、私はますますプレッシャーを感じてしまう。 (難しくないって言われても……) 「じゃ、とりあえずリハやってみようか」 監督の言葉にハッと我に返ると、監督が義人くんに笑顔を向けていた。 「……音は拾わないから、適当に会話弾ませても平気だから。男の義人くんがリードしてあげて」 「……はい」 義人くんはそう言うと、スタッフさんに言われた位置まで歩いていく。 (わ……) 私もあわてて彼のあとを追った。
決められた位置までくると、スッと義人くんが手を差し出した。 「……手」 「あ……」 (そっか、手をつないで歩くんだっけ) 「うん」 少し意識しながらも、私は彼の手を握った。 (わ……) 義人くんの手は少しひんやりとしている。 だが、握り返される手は、私の手をすっぽりと覆う、男の人のものだった。 妙に意識し、思わず身体を硬くしてしまう。 すると、義人くんは握りしめた手をゆるめた。 「……悪い」 「え?」 「あ、いや、強く握りすぎたのかと思って……」 「あ……ううん、大丈夫。ちょっと……緊張して……」 正直にそう言うと、義人くんは私から少し視線を外した。 「知ってる」 「……え?」 (知ってるって……) 義人くんの顔を見ると、彼は無表情なまま口を開く。 「手が熱いから」 「あ……」 カアッと顔が熱くなっていくのを感じていると、監督から声が飛んできた。 「もうちょっと、くっついてもらっていいかなー?」 (え、くっつくって……) 気持ちが混乱している私をよそに、義人くんはうなずく。 「はい、わかりました」 そう言って義人くんは私に身を寄せてきた。 たったそれだけなのに、私の心臓の鼓動は速くなっていく。 私の肩がわずかに義人くんの腕に触れる。
「じゃ、お願いしまーす」 スタッフさんの合図とともに、義人くんは私の顔を見た。 「……いい、歩くよ?」 「……うん」 義人くんに合わせて、私もゆっくりと歩いていく。 だが、緊張が解けることはなく、ただ黙々と歩いているだけになってしまう。 (ど、どうしよう……) 気持ちを落ち着かせようとすればするほど、私の頭の中はどんどん真っ白になっていった。 (何か話せば……なんとかなるかも……) なぜかそう思った私はそっと義人くんに声をかけた。 「義人くん……」 自分でもぎこちない笑みを浮かべているのがわかった。 すると、そんな私を義人くんはじっと見つめる。 「……無理して笑わなくていいんじゃない」 「え……でも……」 (それじゃ……義人くんやほかの人たちに、迷惑が……) そう思っていると、義人くんはフッと笑みを浮かべた。 (あ……) そのやわらかい笑みに思わずドキッとする。 「……変に取りつくろったら、それこそ恋人同士じゃなくなるし」 義人くんは握っていた手にギュッと力を込めた。 「それに、人それぞれだろ……好きなヤツと一緒に歩く心境なんて」 「義人くん……」 少しだけ身体の力が抜けていく気がする。 「そう……力を抜いて」 「あ……うん、ありがとう」 私が笑みを返すと、義人くんもそれにつられるように微笑んだ。
少しだけリラックスして歩いていくと、私はふと気になっていたことを口にした。 「義人くんの、こういうピンの仕事ってめずらしいよね」 「……ああ、基本的にはやらないからね」 その言葉に私はつい聞き返してしまう。 「え?どうして?」 「嫌いだから。……俺、もともとこういった世界に向いてない人間だと思うし」 (それなら……どうしてこのCMの仕事、引き受けたんだろう) そう思いながら口を開きかけると、義人くんが言葉を続けた。 「今回だって……」 「……え?」 そのとき、急に手を引っ張られた。 (わっ……) 義人くんに引き寄せられるような形になり、私はあわてて体勢を立て直す。 「……電柱」 彼がスッと向けた視線の先を追うと、電柱があった。 (あ……もしかして私がぶつかりそうになって……?) 「ごめん、ありがとう」 「いや……」 そう言って義人くんは再び歩き始める。
……やがて、交差点が見えてきて、私は少し寂しい気持ちになった。 (もう……終わりか。もっとこうしていたかったな……) すると、つないだ手に、再び力が込められドキッとする。 (……え?) 「そろそろ交差点」 「……うん」 義人くんは私の顔を見た。 「今回のCM」 「うん?」 交差点にさしかかり、私たちは歩みをゆるめた。 「キミが相手だったから……」 私の胸がドキンと大きな音を立てる。 「引き受けたんだ」 (……え?) 驚くと同時に彼の手が離される。 (あ……) 彼のまなざしはとても優しく、私は吸い込まれそうになった。 「義人くん……」 そうつぶやくと、彼はフワッとやわらかい笑顔を浮かべる。 (うわっ……) 私はその笑顔に一瞬、釘づけになった。 そして、私たちはしばらくの間、見つめ合っていた。 (信号が変わったら渡らなくちゃいけないのに……) だが、義人くんから視線を外すことができない。 (なんで……こんなに切ない気持ちになるんだろう……) そのとき、義人くんが小声でつぶやいた。 「……またね」
信号が変わり、私たちは歩き出す。 (義人くん……) そのとき……。 「カット!」 監督の声が響き、ハッと我に返った。 監督やスタッフさんが笑顔で近づいてくる。 「最初は少し固くて見ててハラハラしたけど……ふたりとも、初めての割にはけっこう息が合ってたね」 監督の言葉に、少しホッとする。 (よくわらかないままに終わっちゃったけど……あれで良かったのかな) 「まあ少しイメージとは違ったけど、ふたりともすごくいい表情だったしね」 「ありがとうございます」 頭を下げる義人くんにつられて、私も軽く頭を下げる。 「じゃあ、このあと少し休憩を挟んで、撮影しようか」 「……はい」 私たちはスタッフさんにうながされて、休憩室へと向かった。
スタッフさんに言われた休憩室に向かう途中、私は義人くんに声をかけた。 「義人くん、お疲れさま」 すると、彼は立ち止まって、ゆっくりとこちらを振り返る。 「ああ……お疲れ」 だが、それきり沈黙が流れていく。 (えっと……何か言わないと……) 「……撮影ではいろいろ助けてくれて……ありがとう」 その言葉に義人くんの眉がかすかに動いた。 「いや、別に助けてないし」 (うっ……) 「そ……そっか」 「ただ、今回のCMは……相手がアンタで良かった」 「……え?あ……さっき、私が相手だったからって……言ってたけど」 私は気になっていたことを聞いてみた。 義人くんはじっと私の顔を見つめたあと、フッと息を吐いて前髪をかきあげた。 「……ああ、俺の曲を聞いたときの、キミの顔が……引っかかってて」 「あ……あのときの……?」 私は以前のライブで、義人くんの曲を聞いたときのことを思い出した。
「この曲を使って、しかも俺に出演してほしいって話が来たとき……あんたならって思った」 「……え?」 (あ……もしかして……推薦って、そういうことだったの……?) そう思いながら義人くんの顔を見つめていると、彼はフッと笑みを浮かべた。 「俺も、あんたが出演するなら……いいかなって」 「……え?」 そのとき、義人くんはスッと自分の手のひらを見る。 「あのとき……」 義人くんの視線が私に移る。 「一瞬、離したくないと思った」 胸の中に広がっていく不思議な想い。 私は何も言うことができずに、ただ義人くんの顔を見つめていた。 高鳴っていく気持ちに反応するように激しくなっていく鼓動。 (義人くん……?) やがて、義人くんはスッと視線を外した。
「……もしかしたら、俺は……」 「……え?」 ドキッとして聞き返すと、義人くんは何も答えずに背を向ける。 「行こう」 「あ……うん」 かつて私の中に芽生えていた彼への想い。 それは少しずつながらも着実に、私の中で膨らんでいっている。 (義人くん……なんて言おうとしたんだろう……) 今回の撮影をきっかけに……何かが変わるかもしれない。 私はそんな気がしてならなかった。
2010/10/14 16:20
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