歌手として芸能界でデビューしてから数ヶ月。 バンドグループ・JADEのボーカルである神堂春がプロデュースした新曲が予想以上の人気を見せる中、今日は歌番組の収録でテレビ局へとやってきていた。 (今日も笑顔で歌えるよう、がんばろう) ひとり気合いを入れていると、後ろから肩を叩かれた。 「○○ちゃん!」 「あ、翔くん」 笑顔でそこに立っていたのは、人気アイドルグループ・Waveのメインボーカルを務める桐谷翔くん。 翔くんとは何度か共演して以来、仲良くなり、今ではプライベートでも連絡を取り合う大切な友人だ。 「久しぶり〜」 「ホント、久しぶりだね。ライブで全国回ってたんだよね?お疲れ様」 「いやあ、冗談抜きで疲れてんだよね……1日くらい休ませてくれてもバチは当たらないと思うんだけど……」 そう言ってため息をつく翔くんの顔には、濃い疲労の色が浮かんでいる。 (ちゃんと休んで、って言いたいところだけど……たぶん、そんな暇なんてないんだろうなあ) 「あの……休みがなくて大変だと思うけど、倒れないようにせめて何か栄養のあるものとか食べて……」 考えた末にそう口にすると、翔くんが感激したように私の目を見つめてくる。 「○○ちゃん、優しい……」 「そんな……でも、時間に余裕があるなら休むようにしてね」 「うん」 素直にうなずいた翔くんが、そっと私の手を取った。 (えっ……) 「翔、くん?」 振り払うこともできず翔くんを見返すと、彼は真剣なまなざしを向けてくる。 「今日の収録、○○ちゃんもいるって聞いてたから……ほかのメンバー置いて、先に出てきちゃったんだ」 翔くんの言葉に、思わずドキリとする。 「最近、○○ちゃんに会えてなかっただろ?だから……」
翔くんが続けて何かを言おうとしたとき、のんびりした声が割り込んできた。 「あ、スキャンダルはっけーん」 「えっ?」 あわてて声の方を向くと、そこにはWaveのメンバーが並んでいた。 一番前に立ってニヤニヤしているのは、可愛らしい顔立ちの三池亮太くん。 どうやらさきほどのセリフは彼が発したものらしい。 「な〜にしてんの翔、こんな人目のあるところで」 「な、なんだよ、別に何もしていないけど?」 「じゃあ、その手は何?」 亮太くんの視線は、つながれた私たちの手に注がれている。 「あ、あの、これは……」 あわてて説明しようとすると、横から伸びてきた手が私を抱き寄せた。 「わっ」 「単なるコミュニケーションのひとつだよね、このくらい」 「京介!」 翔くんに名前を呼ばれた中西京介くんは、私に腕を回したままフッと目を細める。 「翔にとっても挨拶みたいなものってことだよな?」 「まあ、そうだけど……とりあえず○○ちゃんを放せよ」 「どうして?」 「どうしてって……」 「翔は良くて、なんで俺はダメなわけ?これだって、○○ちゃんへの有効の証なんだけど」 「お前のは確実に下心だろ!」 私を挟んで言い合いをするふたりの向こうでは、亮太くんがあきれた様子でため息をついている。 「あーあ、始まったよ……ちょっと義人、あれ止めてくんない?」 亮太くんに話を振られた藤崎義人くんは、そのクールな表情をわずかにしかめる。 「なんで俺が?」 「だって面倒くさいんだもん、俺が止めるの」 「なら、ほっとけ」 「それもそうか」 (そ、そんなのんきな……このケンカ、止めなくていいの?) しかし、どう切り出すべきかわからず戸惑っていると、背後から落ち着いた声が届いた。
「こら。お前ら、静かにしろって」 「一磨……」 少し遅れてスタジオ入りしたらしい彼……Waveのリーダーである本多一磨さんは、こちらにやってくると翔くんと京介くんを引き離す。 「こんなところで騒いで……ほかの出演者やスタッフの人たちに迷惑がかかるだろう」 「だって京介がっ」 「わかった、話は楽屋に戻って聞くから、ここではやめろ。わかったか?」 一磨さんの言葉に、翔くんは渋々といった表情でうなずく。 (良かった、一磨さんが来てくれて……) 思わずホッと息を吐き出す私に、一磨さんが向き直った。 「ごめん、○○ちゃん。うちのメンバーのケンカに巻き込んだみたいで……」 「い、いえ、そんな……」 首を振る私を見て一磨さんが微笑む。 「まあ、騒がしいメンバーだけどこれからもよろしくね」 「はい、こちらこそ……今日の収録もよろしくお願いします」 頭を下げた私に、一磨さんはもう一度笑みを浮かべた。 そこへスタッフの声が響き渡る。 「そろそろ収録始めまーす」 「あ、スタンバイか……それじゃ、お互いがんばろう」 「はい」 一磨さんは、翔くんたちと連れ立って所定の位置へと向かった。 (一磨さんって、私とそれほど歳も違わないはずなのに、すごく落ち着いてるなあ。Waveのリーダーをやってるだけはあるというか……) 尊敬の念とともに彼の背中を見送ってから、私も自分の立ち位置につく。 それから、本番が始まった。
「……ということで、○○さんでした!」 「ありがとうございました」 歌い終えて頭を下げると、観客席から拍手が沸き起こる。 この歓声が自分に向けられているのが、今でも信じられない。 (こんなにたくさんの人が応援してくれているなんて……) もう一度お辞儀をしてからセット内の自分の席に戻る間、足が震えているのがわかった。 (こうして緊張するのも、そろそろ卒業しないとなあ……) そして次はいよいよ最後の出演者の登場となる。 「ラストはWaveのみなさんです!」 その声が聞こえると同時に、スタジオ内が黄色い声に包まれた。 「よろしくお願いします」 Waveのメンバーが客席に手を振ったり、お辞儀をしたりすると、ファンの声はますます高まる。 (相変わらずWaveの人気ってすごいなあ) 私に向けられたものより何倍も大きな歓声がスタジオを満たす中、トークが進行していく。 「ところでWaveのみんなは、ツアーを終えたばかりなんだっけ?」 「そうなんすよ。ホント、ツアーからそのままこっち来たって感じで……」 「それは大げさじゃない?」 「ええ、そうかあ?でもホントに最近は歌ってないときがないって感じじゃんか」 「翔が居眠りしてるの、結構見るけど?あ、寝てるから休みの記憶が抜け落ちてるのか?」 「ま、ぶーたれるのが翔の仕事みたいなもんだし」 「……だな」 「なんだよそれ!」 「翔、やめとけ。お客さんに笑われてるぞ」 テンポのいいやりとりに、客席から笑いが起こった。 「一磨くんは、こんな賑やかなみんなをリーダーとしてまとめてると思うんだけど……どう?」 話を向けられた一磨さんは、少し考えるようにしてから口を開く。 「そうですね……まあこの通り、良くも悪くも自由なヤツらなんで大変なこともありますけど、それはそれで楽しいですよ。退屈しなくて」 「なるほど、頼もしいねえ」 その言葉に一磨さんはただ穏やかに笑ってみせた。 (ああいう表情とか言葉のひとつひとつが大人っぽいんだよね、一磨さんって) 「それではWaveのみなさんに歌っていただきましょう」 Waveのみんながステージに移動するのに合わせて、ゆっくりと落とされる照明。 スポットライトの中にメンバーの姿が照らし出されると、観客の意識がステージに集中するのがわかる。 曲が始まり、それぞれが華麗なパフォーマンスを披露する中、長い手足を生かした大胆なダンスでファンを魅了する一磨さんが印象的だった。 (私も、一磨さんの半分でいいから……あんな風に堂々とステージに立てるようになりたいな) そう思いながら見つめるうちに、いつの間にか私もWaveのステージに釘づけになっていった。
数日後。 仕事の確認のために事務所へやってきた私に、山田さんが早速切り出してきた。 「○○、ミュージカルの舞台に立ってみる気はないか?」 「ミュージカル、ですか?」 「ああ。お前にミュージカルへの出演の打診があった。先方の話によると、新曲での歌声が今回の舞台のイメージに合っていたそうだ」 山田さんの説明を聞きながら、ふとした疑問が頭をよぎる。 (ミュージカルってことは、演技しながら歌って……しかもダンスもあるんだよね?私、本格的なダンスとかしたことないけど……大丈夫なのかな) 「主演というのを差し引いても、かなりいい役どころで……どうした?」 気づくと、山田さんが不思議そうな顔で私をのぞき込んでいる。 「あ……」 「あ、いえ、ダンスはこれまであまりやってきていなかったなと思って……」 「そうだな」 「今のうちから練習しないといけないですよね。がんばります」 私の言葉に、山田さんが目元をやわらげる。 「ああ。そういう前向きなところがお前のいいところだ……がんばれよ」 「あ……ありがとうございます」 (山田さんに褒められちゃった) 頭を下げた私を見て、山田さんは手帳を閉じた。 「お前がやる気を見せてくれて安心した」 「え?」 (それって、このミュージカルを引き受けてほしかったってことかな) 私の疑問に応えるように、山田さんが台本を渡してくれながら続ける。 「今回の舞台はスタッフ、キャストともに実力派ぞろいだ。制作が決まった現段階で、業界内ではかなり注目されている」 「へえ……あの、どんな方がいらっしゃるんですか?」 「演出家には、多くのヒットを生み出す咲野ケイ……キャストも、舞台で名を馳せる、そうそうたる顔ぶれのようだし……」 その話を聞いてから台本を開くと、出演者の欄にひとつだけ空白があった。 (私の相手役のところが空いてる……まだ決まってないのかな?) 「山田さん、この役を演じる方はまだ決まっていないんですか?」 私が台本を指し示しながら尋ねると、山田さんはどこか複雑そうにメガネを押し上げた。 「ああ、いや、最近やっと決まったそうだ」 「あ、そうなんですか」 (最近決まったってことは、忙しい人なのかな……誰だろう?) 「……気になるか?」 「それは、まあ……だって私の相手役なんですよね?」 「……そうだな」 (なんだか歯切れが悪いけど……何かあるのかな) 山田さんはもの言いたげな視線で私を見ると、ひとつ咳払いをした。 「どうやら最近、お前が親しくつき合っているようだが……」 「……え?」 「Waveのメンバーの……」 そうして告げられたのは、思いがけない人の名前だった。
その翌週、ミュージカル出演者たちの顔合わせの日を迎えた。 少し早めにやってきた私は、事務所で山田さんから聞いた話を思い返していた。 (相手役は、Waveの一磨さん……か) Waveのメンバーと仕事をしたことはあったが、こうして一磨さんとだけ仕事で関わるのは初めてだ。 初めてのミュージカルという緊張とあいまって、やけに身体がこわばっているのがわかる。 (一磨さんって、確かこれまでに何度も舞台をやってるんだよね……緊張のほぐし方とか教えてもらえるといいな) そんなことを考えていると、後ろから声をかけられた。 「おはよう、○○ちゃん」 「あ……」 (一磨さん……) 「おはようございます」 ペコッと頭を下げた私を見て、一磨さんが優しげな笑みを浮かべる。 「早いんだね。俺も早めに来たつもりだったけど、先を越されたな」 「あの、なんだか緊張しちゃって……とにかく遅刻しないように早く来ようと……」 私の言葉に、一磨さんは目をまたたかせた。 「え、○○ちゃんも緊張するんだ?」 「それはもう……というより、緊張しないことの方が少ないです」 「そうなんだ……ちょっと意外だな」 「え、そうですか?」 「うん。この前、歌番組で共演したときも、すごくリラックスして歌ってるように見えたし」 「ええ?あのときも、結構緊張してたんですけど……一磨さんこそ、いつも落ち着いてますよね。うらやましいです」 「いや、俺はもう、すぐ緊張するから……」 「えっ?一磨さんの方が、いつもリラックスしているように見えますよ?」 「そう?○○ちゃんに緊張をほぐすコツを教えてもらおうと思ってたくらいなんだけどな」 「それ、私も聞こうかと……」 同じタイミングでお互いを見た私たちは、同時に吹き出してしまう。 「ふふ、ごめんなさい、ご期待に添えなくて……」 「いや……じゃあこれから一緒に、緊張しない工夫をしていかないとね」 「ですね。あ、そうだ。これから『緊張』って言ったらダメってことにしませんか?」 「あ、いいね、それ」 他愛ない話を続けるうちに、いつしか自分の心が軽くなるのを感じる。 (なんか、一磨さんとこんな話するのも初めてだな……ちょっと新鮮) 緊張がほどけた状態で臨んだ顔合わせは、いつになくスムーズに終わったのだった。
顔合わせの数日後には、早々に練習が始まった。 初日の今日は、台本を手に持って行う、立ち稽古。 早速、私と一磨さんが登場するシーンを練習することになった。 立ち位置につくと一磨さんが声をかけてくる。 「いきなり自分のシーンからなんて、緊張するな……っと、しまった。『緊張』は言っちゃダメなんだっけ」 「そうですよ。少しでも『緊張』って言葉は忘れないと……」 顔合わせの日にした約束について話していると、演出家の咲野さんが手を叩いて注目を促す。 「このあと練習するふたりだけじゃなく、全員に聞いてほしいんだが……今日は特に演技の指定はしないから、好きなようにやってみてくれるか?」 その言葉に、出演者がうなずきを返した。 (好きなように、か……どんな風に演じようかな?) (やっぱり、一磨さんの演技に合わせた方がいいよね) そう思っていると、ちょうど一磨さんがこちらを見た。 視線をかわし、小さくうなずき合う。 そのまま演技に移ると、思っていた以上にすんなりと一磨さんのテンポに合わせることができた。 「ふたりとも、初練習なのになかなか筋がいいねえ」 「あっ、ありがとうございます」 「○○さんが合わせてくれたからですよ」 「いや、一磨がちゃんと相手の演技を見ていなかったら、こうはいかないよ。……というより、ふたりは相性がいいのかもしれないな」 咲野さんの言葉に、私たちは顔を見合わせて微笑んだ。 (褒めてもらえた……うれしいな) それから何度かその場面を練習したあと、続いて一磨さんひとりのシーンを練習することになった。 私はほかの出演者に混じって、台本を手に立つ一磨さんを見守る。 「それじゃ、用意……スタート」 パン、と手を叩く音が響くと、一磨さんが深く息を吸い込んだ。 そのまま、曇りのない澄んだ声が室内に広がる。 (わあ……) 涼しげな顔でセリフをつむぎ続ける一磨さん。 視線の先に立つ彼のまわりだけ、こことは別の空気が漂っているように、どこか輝いて見える。 (なんでだろう、さっき隣で聞いてたときよりも、声に迫力を感じる……これが舞台での発声の仕方なのかな……) そんなことを考えながらも、私の心は不思議な高揚感に満ちていった。
その後、無事に練習終了を迎えたものの、私の身体はすっかりクタクタになっていた。 (演技しながら歌って踊るのが、こんなにも疲れるものだなんて……でも、楽しかったな……) 着替えを終えて廊下に出ると、向こうから歩いてくる人影があった。 「あ、○○ちゃん。お疲れ」 「一磨さん……お疲れ様です」 私の表情を見た一磨さんが、クスリと笑う。 「本当にお疲れだね」 「あはは……練習自体はすごく楽しかったんですけど……予想以上に疲れちゃって」 「わかるよ。俺も初めて舞台の練習をしたときはそんな感じだったから」 そう話す一磨さんの顔には、疲れの色は浮かんでいない。 (すごいなあ、私より多く練習してたのに……) そんな会話を続けながら、どちらからともなく出入り口に向かって歩き出す。 「○○ちゃんはこれで終わり?」 「あ、はい……一磨さんは?」 「俺はこのあと、もう一本撮影があって、それで終わりだよ」 「えっ、まだ仕事があるんですかっ?」 「まあね。でも舞台の練習期間はだいたいこんな感じかな。ほかの人の都合もあるから、こっちの練習時間はずらせないだろう?だからそれ以外の時間で、Waveの仕事をやることになるんだ」 「す、すごいですね」 「そんなことないよ。仕事の数から言ったら、翔たちの方が多く働いてるし、俺は楽させてもらってる」 「そう……ですか?」 (そういうことを普通に言えちゃうのが、さらにすごいと思うけど……あ、すごいと言えば……) 「あの、練習を見ていて思ったんですけど……一磨さんの発声、すごくキレイですね」 なにげなくそう口にすると、一磨さんが一瞬だけ動きを止めた。 「……キ、レイ?」 「はい。それほど大声を出してる感じじゃないのに、部屋中に響き渡るっていうか……」 「ご……ごめん、ストップ」 「え?」 「俺……褒められると、どうしていいかわからなくなるから……」 照れているのか、一磨さんがかすかに染まった頬を隠すように視線を外す。 「でも……その、うれしいよ……ありがとう」 小さな声で告げられた言葉に、私は微笑みを返した。 「いえ……私も、一磨さんみたいな発声ができるようになりたいです」 「あ、まあ、俺の発声はともかく……毎日練習していれば、すぐに慣れてくるよ」 「はいっ、がんばります」 (これまでのボイトレとあわせて、舞台で映える声の勉強もしてみよう) あらためてそう考えていると、一磨さんが何か思い出したように声をあげた。 「そうだ。これは、俺の勝手なジンクスみたいなものなんだけど……」 「え?」 カバンの中をさぐった一磨さんが、こちらに手を差し出してくる。 「はい」 反射的に出した手に乗せられたのは……。 「キャンディ?」 「ああ。喉にもいいやつだからノド飴代わりにいつもカバンに入れてるんだけど、これを食べてから本番に臨むと調子出るんだ」 「あ……」 思わず顔を上げると、一磨さんは、はにかんだ笑みを浮かべる。 「……なんて、まあ単に俺がそう感じるってだけの話だから。甘いものが食べたいときにどうぞ」 「ありがとうございます」 「ううん……○○ちゃんが一所懸命なの、わかるから……何か力になれればと思っただけ。○○ちゃんが、早く自分らしく練習に臨めるよう、応援してるよ」 (一磨さん……)
「じゃあ、俺はここからタクシーだから……また明日もがんばろうね」 「はい、ありがとうございます」 「それじゃ」 一磨さんは小さく手を振ると、通りを流していたタクシーをつかまえて乗り込んだ。 それを見送ったあと、手のひらのキャンディに視線を落とす。 (これ食べたら、私も調子出るかな?……でも、なんだかもったいなくて食べられないかも) 一磨さんの笑顔を思い出すと、さっきまでの疲れがウソのように消えていくようで……。 家へと向かう私の足取りは、自然と軽くなるのだった。
2010/10/16 10:19
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