(ああ、もうこんな時間……) テレビ番組の収録を終えて控え室に戻った私は、あわてて携帯を手に取った。 翔くんの番号を呼び出し、すぐに通話ボタンを押す。 (これじゃもう6時には間にあわないよ……) 今日は、6時から翔くんの部屋へ遊びにいく約束をしていた。 翔くんいわく、最近、Waveのメンバーを集めてDVD上映会を開くのがマイブームらしく、それに誘われたのだ。 (今から急いで向かって、7時に着けるかどうかってところかな……) 数回のコールのあと、電話がつながる。 「○○ちゃん?どうしたの?」 「あ、翔くん。ごめんね、実はたった今仕事が終わって……」 「ああ、そうなんだ?お疲れ〜。じゃあ少し遅れるかな?」 「うん……すぐに出るけど、そっちに着くのは7時くらいになるかも」 「全然オッケー。来てくれるだけでうれしいし。てか、気をつけて来てね」 「あ、ありがと……じゃあまたあとでね」 電話を終えて、すばやく帰り支度を調えたところでノックの音が響いた。 「○○、支度は済んだか?」 (あ、山田さん) 「はい、すぐ行きます」 私はカバンをつかむと、扉に向かった。 「すみません、お待たせしました」 廊下に出ると、山田さんがこちらを向いた。 普段は私ひとりで収録に臨むことが多いのだが、今日はスポンサーへの挨拶を兼ねていたとかで、山田さんがつき添ってくれたのだ。 「今日は疲れただろう。車で家まで送るから」 「あ、えっと……」 (今日は、翔くんたちとの約束が……) 思わず言葉を詰まらせた私を見て、山田さんは不思議そうな顔になる。 (別に、やましいことがあるわけじゃないし、ちゃんと言っておいた方がいいよね) 「このあとなんですけど、Waveのみんなと遊ぶ約束をしていて……」 そう言うと、山田さんの眉がピクリと動いた。 「……Wave?」 (う、微妙な反応……) 「あのっ、やましいこととかはないですし、遅くならないうちに帰るようにしますから……」 必死に言葉を重ねると、山田さんはきまりが悪そうにメガネを押し上げる。 「いや、俺はお前を信用しているし、お前ならきっと問題になるようなことはしないだろうと思っている。……ただ……」 「……ただ?」 「お前らくらいの年代は、その……いつ、どんなきっかけでおかしなことになるかわからないから……」 「おかしなこと?」 奥歯にものが挟まったような言い方に首をかしげていると、山田さんが大きく咳払いをする。 「ま、まあここしばらくは向こうの事務所ともいい関係が続いているし……それを肝にめいじて、とにかく気をつけること。わかったな?」 「……はい」 「……とりあえず、駅までは車で送ろう。行くぞ」 (山田さんって、本当にお父さんみたい) 先に立って歩き出した山田さんの背中を見つめながら、ぼんやりとそんなことを考えてしまうのだった。
山田さんに駅まで送ってもらい、電車に乗り込む。 ドアの近くに立っていると、窓にポツリと水滴が当たった。 (……雨?どうしよう、傘持って来てないんだけど……) そう思いながら空を見上げるが、雨はそれほど強くない。 (まあ、このくらいなら傘がなくても大丈夫か)
……しかし、電車を降りた私を迎えたのは、どしゃ降りの雨だった。 (あーあ、コンビニで傘を買うしかないかなあ……) そう思い周囲を見渡していると、雨にけぶる道の向こうから走ってくる人影が見えた。 (あれ?) どこかで見覚えのあるシルエットに目をこらしていると、その人はどんどんこちらに近づいてくる。 「……あ」 そうして私の目の前に立ったのは、一磨さんだった。 「一磨さん!」 「ごめんね、待たせちゃった?」 「あ、ううん、今来たばかりだけど……それよりどうして……?」 「○○ちゃんを迎えに来たんだ……はい、これ」 そう言って、一磨さんは手にしていたビニール傘を差し出す。 「雨、突然降り出したから、傘を持ってないんじゃないかと思って」 「あ……ありがとう」 (優しいな……一磨さん) 一磨さんから傘を受け取ったとき、向こうに小学生くらいの女の子が立っているのが見えた。 塾帰りといった様子のその少女は、途方に暮れたような表情で空を見上げている。 (あの子、傘を持ってないみたい……) (この傘、女の子に貸しちゃダメかな……) 一磨さんが渡してくれたビニール傘を見下していると、それに気づいた一磨さんが声をかけてくる。 「どうしたの?」 「あ、うん……あそこにいる女の子、傘を持っていないみたいなんだけど……」 私の言葉に、一磨さんがその少女を見やる。 「この傘、あの子に渡しちゃダメ……?私、弁償するから」 「ああ、弁償なんて気にしないで」 明るい声で言った一磨さんが、フワッと目を細めた。 「良かった……○○ちゃんが俺と同じこと考えてくれてて」 「え……?」 (もしかして、一磨さんもあの子に傘を渡したいって思ってたのかな。でも、『良かった』って……?) 「じゃあ、傘、渡してくるよ」 そう言って、一磨さんは私から傘を受け取ると女の子のもとへ近づいた。 「傘、持ってないの?」 「……え?」 一磨さんは、女の子の目線に合わせてしゃがみ込むとビニール傘を差し出す。 「これ、使う?」 「え……いいの?」 「うん。お兄ちゃんはもう1本持ってるから。……これでおうちに帰れるかな?」 一磨さんの笑顔に、その子も笑みを浮かべてうなずいた。 「うんっ。ありがとう、お兄ちゃん!」 「どういたしまして」 一磨さんは優しく女の子の頭をなでる。 (一磨さん、小さい子と話すの、慣れてるみたい……もしかして妹さんとかいるのかな?) 「ありがとう、お兄ちゃん!またね!」 「うん、気をつけて帰ってね」 女の子を見送った一磨さんがこちらに戻ってきた。 「……じゃあ、俺たちも行こうか」 そう言いながら傘を開いた一磨さんが、照れ隠しのように肩をすくめる。 「一応、少し大きめの傘だけど……○○ちゃんに相合い傘が嫌だって言われなくて良かった」 「あ……」 (さっき言ってた『良かった』って……そういうことか) 私まで照れくさくなって、少し顔を伏せる。 そこにスッと差し出される傘。 「えっと……どうぞ」 「あ、うん……お邪魔します」 傘の下に入ると、腕に一磨さんのひじが触れる。 (あ……) 恥ずかしくて少し身体を離すようにすると、それに気づいた一磨さんが私の肩を抱き寄せた。 「もっと寄らないと濡れるよ」 「う、ん……」 私の肩を包む大きな手のひらを感じて、ますます恥ずかしくなる。 それから翔くんの部屋に着くまで、何度となく腕が触れ合い、そのたびに私の頬は熱くなるのだった。
一磨さんと並んで部屋に入ると、翔くんが笑顔で出迎えてくれた。 「○○ちゃん、仕事お疲れ!」 「ごめんね、遅くなって」 「いいって。そんじゃ、こっち……」 私の手を引いて奥へ行こうとした翔くんを、一磨さんがさえぎった。 「翔、ちょっと待て。○○ちゃんのカバンとか濡れてるから……」 「あ」 翔くんが私のカバンを見てから、一磨さんが言葉を続ける。 「タオル取ってくる。洗面所にあるの、使っていいか?」 「あ、おう」 「え、いいよ、このくらいならすぐ乾くし……」 「いや、濡れたままだとカバンが傷むだろう?……ちょっと待ってて」 そう言って背を向けた一磨さんの肩は、私のカバン以上に濡れていた。 (一磨さんこそ、あんなに濡れて……なんか申し訳ないな……) 一磨さんの背中を見つめていると、翔くんが複雑そうな表情を向けてくる。 「○○ちゃん……いつからタメ口なの?」 「え?」 「一磨と話すとき……前は敬語だったよね?」 「う、うん……やっぱり敬語じゃないとダメ、かな?一磨さん、年上だし……」 「あ、いや、それはいいんだけど……なんか……」 言いよどんだ翔くんの言葉を引き継ぐように、玄関の方から声が飛んできた。 「翔はヤキモチ妬いてるんだよ」 いつからそこにいたのか、亮太くんが私たちを見てニヤリと笑う。 「り、亮太!」 「当たりだろ?」 「なんでそういうこと言うんだよ!?」 「あれ、違った?」 「当たりとかハズレとか……そうじゃなくて……」 必死に言葉を探している様子の翔くんを見て、亮太くんはさらに笑みを深くする。 「……お前、面白がってるだろ」 「え、ぜーんぜん?」 「ホンット、お前って性格悪いよな!」 そんな言葉が響き渡ったとき、一磨さんが姿を見せる。 「翔、何騒いで……って、あれ、亮太。いつ来たんだ?」 「たった今。なんだよ、そんな驚いて」 「そりゃまあ……こういう集まりには、たいてい遅れて来るだろ」 「そうだっけ?」 「そうだよ。……○○ちゃん、はいタオル」 「あ、ありがとう」 受け取ったタオルでカバンをふいていると、一磨さんの手が髪に伸びてくる。 「えっ?」 「あ、ごめん、髪が濡れてたから」 「そ、そんな……いいのに……」 「ダメだよ。風邪引いたら大変だ」 返す言葉が見当たらず、なされるがままになっていると、フッというかすかな笑い声が聞こえた。 「……やっぱりね」 (え……?) 亮太くんを見やると、彼はすでに背を向けていた。 (『やっぱり』って?……気になるな) そうこうするうちに、京介くんと義人くんもやってきて、DVD上映会が始まった。 「で、今日は何を見るんだ?」 「じゃーん!これ!」 (あのパッケージって、まさか……ホラー?) 嫌な予感を覚える私をよそに、翔くん以外のみんながげんなりしたようにため息をつく。 「なに、またホラー?」 「……いい加減、飽きたな」 「まあ、なんとかのひとつ覚えってあるから仕方ないのかもしれないけど……」 「おい京介、バカってなんだよ!」 「あれ、誰かバカなんて言った?」 (あ、また言い合いが……) 「ふたりとも、○○ちゃんが見てるぞ」 一磨さんの言葉に、ふたりはピタリと言い争いをやめる。 (それよりホラーって……私、苦手なんだけど……) けれど、私がそれを伝えるより先に翔くんはDVDをセットしてしまった。 「とにかく、見るぞ!」 翔くんはそう言うと、部屋の電気を消した。 さっきまでの賑やかさが嘘のように静まり返る室内。 暗い部屋でまたたくテレビ画面の光と、不気味なBGMが恐怖感を高めていた。 翔くんのチョイスに不満をこぼしていた京介くんたちも、今は食い入るように画面を見つめている。 そんな中、私はと言うと……。 (怖……い……) 恐怖のあまり、凍りついていた。 目を閉じたところで、ときおり響き渡る断末魔の悲鳴などはさえぎれるはずもなく……。 翔くんが渡してくれたクッションを抱きしめて、震えをこらえることしかできなかった。 (は、早く終わって……) そのとき、ちょいちょいと腕をつつかれた。 (え……?) そちらに目をやると、隣に座っている一磨さんが心配そうに私を見つめている。 (あ……) しかし、声を出すのはためらわれ、どう返事をするべきか悩んでいると、一磨さんがそっと私の手を取った。 (へ……い……き……) 手のひらにそうつづったあと『?』とつけ足してから、一磨さんが私の顔をのぞき込む。 (一磨さん、私が怖がってるの……気づいて……?) 迷った末に小さく首を横に振ると、一磨さんが少し腰を上げた。 そして、腕が触れ合うほど近くに座り直す。 (あっ……) 思わず身体を引くと、一磨さんはスッとこちらに手を伸ばしてきて……。 そのまま私の頭を抱き寄せるようにした。 (え……え?) 「目……閉じてて」 耳のそばに落とされる、低いささやき。 続けて、私の目元をおおうようにする一磨さんの手に視界をさえぎられる。 (……あ……) さっき、目を閉じていたときはまったく効果がなかったのに、今は驚くほど恐怖がやわらいでいるのがわかる。 (なんでだろう……すごく安心する……) 一磨さんに寄りかかるようにして目を伏せると、これまで恐怖でしかなかった暗さが、穏やかな闇へと変わった。
……やがてテレビからはエンディング曲が流れ出し、部屋にも明かりがつけられた。 (はあ……終わった……) ホッと息を吐くのと同時に、一磨さんが私から手を離す。 (一磨さんにお礼言わなきゃ) そう思い、私が口を開こうとしたとき……。 「あー!」 電気をつけて振り返った翔くんが、隣り合って座る私たちを見て大声をあげた。 「か、一磨っ、なんで○○ちゃんの隣に座ってんの!?」 「なんでって、もともと隣に座ってたけど……」 「そうだけど近過ぎ!」 私たちを引き離すようにした翔くんを見て、一磨さんが小さくため息をこぼす。 「それより翔、お前、○○ちゃんになんのDVDを見るとかいう話、してなかったのか?」 「え?別に俺らだけで見るときも、そんな話、しないだろ?」 「それは、俺らが全員、どんなジャンルでも見るっていう前提があるからだろ。……○○ちゃんがホラーが苦手って、知ってた?」 「え……ウソッ!?ご、ごめん……」 「あ、う、ううん……平気だよ」 「……ホント?」 「うん」 (一磨さんのおかげで、後半は怖くなかったし……) 「それより○○ちゃん、時間は大丈夫?」 一磨さんの言葉に時計を見ると、10時を過ぎた頃だった。 「あ……もう帰らないと」 「じゃあ俺、送るよ。もう外も暗いし、怖がらせちゃったおわびに……」 「そんな、悪いよ……それにちょっと急がないといけないから、走って帰ると思うし」 「……そっか」 「うん。それじゃ、今日は誘ってくれてありがとう。またね」 みんなに挨拶をすると、私は急いで翔くんの部屋をあとにした。
(結構遅くなっちゃった……明日も早いのに) 一磨さんが貸してくれた傘をさして、小雨の降る夜道を走る。 (そういえば、さっき見た怖い話の中に……こんなシーン、あったな……) それは、降りしきる雨の中をひとりで歩いているという場面。 ふと後ろに気配を感じて振り返ると、寂しげに立ち並ぶ街灯の下に、これまでいなかったはずの女性が立っているのだ。 その映像を思い返すうちに怖くなってきて、あわてて首を振る。 (い、いや、あれはただの作り話だから……) そう思った瞬間、後ろからかすかに足音が聞こえた。 (えっ……な、なんか……私のあと、追ってきてる……?) 走るスピードをあげるものの、足音はどんどん近づいてきて……。 (ウソ……やだ、怖い……!) 「……ちゃん!」 (……え?) 聞き覚えのある声に立ち止まると、やや遅れて隣に誰かが並んだ。 「一磨さん!」 「○○ちゃん……足、速いね」 あがる息を整えながら、一磨さんが目を細める。 「あ、あの、どうして……?」 「さっき、あんなに怖がってたから……気になって」 (一磨さん……) 「……あ、雨、止んだかな?」 空を見上げると、さっきまでぱらついていた雨は止み、わずかに星空がのぞいていた。 (怖い思いも、雨も……一磨さんがいると消えちゃうなんて、不思議……) 「それじゃ、行こうか」 「うん……ありがとう」 一磨さんの隣を歩く私の胸は、星のまたたきに合わせて高鳴るのだった。
2010/10/16 17:17
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