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ミュージカルの稽古も中盤を過ぎた。
歌やダンスを含む練習内容もかなり本格的になってきている。
それにより、レッスンスタジオではなく、実際の劇場で練習を行う機会が増えていた。
そして今日は、劇場での練習日だ。
(ステージで練習すると、なんかいつも以上に気合いが入るような気がするんだよね……よし、今日もがんばろう)
建物の中に入ろうとしたとき、ふいに湿った風が吹きつけた。
(最近、なんだか天気の悪い日が多いなあ……)
見上げた空は分厚い雲におおわれていて、雨は降っていないものの、空気は重くどんよりしている。
(雨、降るかな……傘は一応持ってきてるけど……)
ぼんやりとそう考えていたとき、一磨さんと相合い傘をした日のことが胸をよぎった。
傘の中で見上げた一磨さんの笑顔を思い出すだけで、心臓がうるさいほどに騒ぎだす。
(私、どうしちゃったんだろう……これじゃ、まるで……)
そう考えるうちに、ハッと我に返った。
(ダメダメ、これから練習なんだから、そっちに集中しなきゃ)
私は小さく頭を振ると、劇場へ足を踏み入れた。

その後、使用許可時間いっぱいまで利用し通し稽古を行った。
練習終了間際、咲野さんから全体の講評と明日の予定が伝えられる。
「……てことで、明日からは通し稽古とクライマックスの場面練習を中心にしていくから。明日もこっちに集合してくれ」
「はい」
(クライマックスって、一磨さんとのラブシーンが多いんだよなあ……)
隣に立つ一磨さんを意識するだけで、鼓動が加速し始める。
(こんな状態で、ラブシーンなんてできるのかな……まあ、舞台に立ったらそんなこと言ってられないんだけど……)
「それじゃ、解散」
「お疲れ様でした」
挨拶を終えると、みんなが帰り支度を始める。
(緊張をほぐすには、やっぱり練習するしかないよね……一磨さんに、このあとの予定を聞いてみようかな)
そう思っていたところへ、タイミング良く一磨さんが声をかけてきた。
「○○ちゃん、お疲れ」
「あ、一磨さん……お疲れ様」
「このあとなんだけど……○○ちゃんって仕事入ってたりする?」
「ううん。一磨さんは?」
「俺は、最近こっちの練習に専念させてもらってるから。今日はこれで終わり」
そう言った一磨さんが、フッと目を細める。
「もしかして、俺が言おうとしていること……○○ちゃんも考えてた、かな?」
「えっと……一磨さんが言おうとしてたことって、自主練習のお誘いだったりする?」
私の言葉に、一磨さんがニコッと笑ってうなずいた。
「当たり。さすが○○ちゃん」
そんな他愛ないやりとりに、頬がゆるむのを感じる。
(一磨さんと同じことを考えてたってだけなのに……こんなにうれしいなんて……)
「いつものレッスンスタジオで決めた位置取りだと、舞台に立ったときになんだかもの足りないような気がして……」
「あ、それは私も思った。もうちょっと高低差とか意識した方がいいかな?」
「そうだね。この感覚を忘れないうちに、もう一度考え直したいから……スタジオに戻って打ち合わせしようか。確か、使ってもいいはずだから」
「うん」
(一磨さんといるとドキドキするけど、でも、それが力になってる気がする……これならラブシーンも、うまく演じられそう)

そうして荷物を手にした私たちは、いつものレッスンスタジオにやってきた。
その途中、私が予想していた通り、急に雨が降り出した。
傘のおかげであまり濡れずにすんだものの、雨の勢いはどんどん増しているようで、室内には窓ガラスを通じて、叩きつけるような雨音が響いている。
「雨、ひどいな」
「うん……雷も鳴り始めたね……」
(うう……雷、苦手なのに……)
低い雷鳴を聞いていると、なんとなく不安になってくる。
「帰る頃には、おさまってくれてるといいけど……」
そう口にしたとき、窓から強い光が差し込んだ。
立て続けに、窓ガラスを揺らすほどの轟音が鳴り響く。
(う……っ!)
どうにか悲鳴はこらえたものの、一磨さんにはばれてしまったらしい。
「もしかして雷、苦手?」
「あ、あはは……小さい頃、弟と留守番してたときに……雷のせいで停電して……その記憶が……」
そう話す間も雷は鳴り続け、そのたびにビクリと身体がすくんでしまう。
「大丈夫?」
「う、ん……なんとか……」
すると、一磨さんがふと何かを思い返すように目を細めた。
「……そういえばアイツも、雷が鳴るたびに恐がってたっけ」
「え?」
(アイツって……?)
そう尋ねようとした次の瞬間、ひときわ大きな雷鳴が轟き、パッと部屋の照明が落ちた。
「キャッ……!」
突然、視界が闇に閉ざされて、反射的にしゃがみ込んでしまう。
「○○ちゃんっ、大丈夫!?」
「う、うん……」
どうにか答えた声が震えてしまう。
(何も見えない……一磨さん、どこ……?)
過去の記憶とあいまって心細さにおそわれていると、すぐそばの空気がかすかに揺れた。
「○○ちゃん……そこにいる?」
「あ……」
「動かないで、そこにいてね」
「うん……」
何も考えられずに、ただ一磨さんの言葉に従ってじっとしていると、ふいに何かが背中に触れた。
「ああ……いた」
「一磨さ……」
思わず呼びかけた声は、最後まで声にならなかった。
暗闇の中、背中からフワリと温かいものに包まれる。
(え……?)
「大丈夫……恐くないよ」
耳元で落とされる優しいささやき。
「一磨さん……」
「……大丈夫」
そう繰り返す一磨さんは、子どもをあやすように頭をなでた。
(あ……)
目が暗さに慣れてきたのか、私を抱きしめる腕のシルエットがぼんやりと見える。
そのせいで、一磨さんに抱きしめられていることをさらに意識してしまい、ドクンと胸が鳴った。
恐怖で乱れていた鼓動が、一磨さんの体温でさらに激しくなる。
(わ……こ、こんな体勢……どうすれば……)
恐怖を忘れられた代わりに、今度はソワソワしてしまう。
すると、一磨さんがそれに気づいたようにクスリと笑った。
「……少し落ち着いた?」
「う、うん……」
(これって……離れた方がいい、よね……きっと)
それはわかっていたが、一磨さんの体温が心地よくてなんとなく切り出せない。
(……もう少し、このままでいたい……)
そんな私の思いが伝わったかのようなタイミングで、一磨さんがそっと私の頭をなでた。
「無理しなくていいよ」
「え……」
「雷、苦手なんだよね?」
「あ……う、うん」
(ドキドキしすぎて雷のことは忘れてたけど……じゃあ、少しだけ……甘えさせてもらおう)
そう思い、少しだけ一磨さんに身体をあずけるようにすると、耳元でフッと息を吐く気配がした。
「……こうしてると思い出すな」
「思い出すって、何を……?」
「ん……俺、歳の離れた妹がいるんだけど……妹も雷が苦手なんだ」
「そう、なの?」
(あ、さっき言ってた『アイツ』って……もしかして妹さんのことなのかな)
「ああ。……○○ちゃんと同じように、昔、俺の家でも雷の日に停電になったことがあって……そのせいで、雷が鳴るともう大騒ぎでさ」
当時のことを思い出しているのか、一磨さんは楽しそうに笑いながら私の頭をポンポンと叩く。
「最近は忙しくて実家に帰れないから、ほとんど会えてないんだけどね」
その声音から、一磨さんが妹さんを大切に思っているのがわかる。
(もしかして、こうして恐がってる私を、妹さんと重ねてるのかなあ)
なんとなく複雑な気持ちになっていると、一磨さんが「あ」とつぶやいて手を離した。
「ごめん……嫌だった?」
「あ、えっと……」
(どう答えよう……?)
「嫌じゃ、ないよ」
正直にそう伝えると、一磨さんの腕がかすかに揺れる。
「……え?」
一磨さんが口をつぐむのと同時に、激しかった雷鳴が一瞬だけ鳴り止んだ。
しばらくお互いに黙ったままでいると、一磨さんの腕に少しだけ力がこもった気がした。
……そのまま、どのくらいの時間が流れただろうか。
(さすがに……これ以上は……)
「あの……」
私がおずおずと言葉を発すると、一磨さんが「ああ」とつぶやいて腕を離した。
温もりが離れていく寂しさをグッとこらえていると、一磨さんが私の隣に座り直す。
暗いながらも周囲の様子はもうほとんど見えるようになっていて、一磨さんの表情もうかがうことができた。
「つかないな……電気」
一磨さんが、場の空気を変えるようにそう口にする。
「う、ん……」
(私も、何か話題を振った方がいいかな……?)
そう思い、私は気になっていたことを尋ねてみた。
「あの、聞きたいことがあるんだけど……」
「一磨さんってどういうきっかけでこの世界に入ったの?」
「え?ああ、自分でオーディションに応募したんだ」
「自分で?」
私の反応に、一磨さんがクスリと笑う。
「意外?」
「あ……ちょっとだけ」
「まあ……俺も、まさか自分がこんな派手な仕事をすることになるなんて思ってなかったよ」
「そう……なんだ?」
(じゃあ、どうして自分で応募したんだろう?)
そんな問いかけが喉までせり上がったものの、声にはならなかった。
(一磨さんの声……なんだか少し元気がなくなったような……)
暗闇で顔が見えないせいか、一磨さんとの距離が少し遠く感じる。
「デビューしてすぐの頃を思い出すと……こうしてWaveとして活動してるのが、今でも信じられない」
「そんなに大変だったんだ?」
「そりゃもう。今もそうだけど、特に下積み時代って、もう毎日が競争だから」
「ああ……」
(一磨さんたちの事務所って、大きい分、そういう大変さは、ほかの事務所とは比べものにならないのかも……)
「……俺はね、どうしても自分に自信が持てない人間で……そんなネガティブな自分を変えたくて、挑戦するつもりでオーディションに応募したんだ。そしたらなんと、合格しちゃってさ……それで喜んでたんだけど、養成所に入ってからの方が……さらにきつかった」
私にも覚えのある感覚にうなずいていると、一磨さんが言葉を続ける。
「事務所の人や先輩からは、さんざん『個性がない』って言われてたよ……ひどいときは、『なんでお前が芸能人になれたのかわからない』とか言われたりもしたし」
「えっ……」
(ひどい……)
思わず言葉を失う私の横で、一磨さんがフッと息を吐く。
「でも、そういう言葉があったからこそ……逆に、ここで終わりたくないって思えたのかなって、今は思うよ」
「え……?」
「俺は、翔たちみたいに……そこにいるだけで人の目を惹く華やかさとか、そういう才能はない。それなら何か違うもので取り返さなきゃいけなくて……自分には何ができるんだろうって考えて、とにかく目についたものはなんでもやってやろうと思った」
「毎日毎日、最後まで残って歌やダンスを練習して……まわりから笑われたりもしたけど、それも自分の力に換えるつもりでひたすら練習を続けて……そしたら、Waveのメンバーとして声がかかったんだ。……あのときは、本当にうれしかったな……」
(一磨さん……)
「俺、今でも自分に自信が持てなくて……そんな俺からWaveを取り上げたら、何も残らないんじゃないかって時々思う。Waveって俺にとっては宝物みたいなものだから、この場所だけは誰にもゆずりたくない……そのために、どんなことでも自分の持ってる力全部で臨みたいんだ」
「一磨さんは、今の仕事を……Waveを本当に大事にしてるんだね」
そう伝えると、一磨さんはふと照れくさそうに頬をかいた。
「これは、ここだけの話にしてほしいんだけど……」
「うん……?」
「本当は、アイツらがうらやましいんだ」
「アイツらって……Waveのみんな?」
「そう。……いつもは、俺がWaveをまとめなきゃって思ってるけど……でも、なんていうか、良くも悪くも自然体だろ、アイツらって」
「そうだね……」
「だから、支えてるつもりで俺が支えられてる部分ってかなりあって……逆に、養成所からずっと一緒にがんばってきた分、メンバー全員が、多かれ少なかれ抱えてるつらさとか弱さとか、そういうのがわかるから……リーダーの俺が支えてやりたいと思うんだ」
「……うん」
(こういう一磨さんだからこそ、Waveのみんなも信頼しているのかも……)
そのとき、電気がついた。
暗闇に慣れていた目が、照明の光にくらむ。
「あ……」
「やっとついたか」
そう言って、一磨さんが立ち上がる。
それからこちらを振り向くと、スッと手を差し伸べた。
「……ありがとう」
一磨さんの手を借りて立ち上がると、その頬がかすかに赤くなっているのに気づいた。
「あの、さ……今、話したことだけど……アイツらには、内緒にしておいてくれる?」
「……うん」
(一磨さんがこんな風に本音を聞かせてくれるなんて……停電してくれて、良かったのかも)
そんなことを考えていると、一磨さんは恥ずかしそうに顔をおおう。
「はあ……まさか、この話を誰かにする日が来るとは思わなかった……」
「え……?」
「なんでだろう……○○ちゃんといると、肩の力が抜けるっていうか……」
そこで言葉を切った一磨さんが、ゆっくりと顔を上げた。
「Waveの本多一磨じゃなくて……本当の、俺自身でいられる気がするよ」
その言葉とともに、一磨さんがやわらかく微笑む。
「……あ……」
一磨さんの笑顔が、心を強く揺さぶる。
どうしようもなく……彼に惹かれていくのがわかる。
「良かったら……またこうして、いろいろ話したいんだけど……いいかな?」
「う、うん……私で良ければ」
「……ありがとう」
再び微笑みを浮かべる一磨さんに、私は目を奪われていた。
(私……一磨さんが、好き……)
走り出した一磨さんへの想いが、今、私の身体を熱くしていた。



2010/10/17 16:14


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