激しい雷雨に見舞われたあの日から数週間後。 刻々と本番が近づく中、一分一秒を惜しんで稽古する日々が続いていた。 今は、特に重要なシーンでもあるクライマックスの場面練習中。 (このシーンをどう演じるかによって、作品全体の印象が変わる……) 共演者たちの視線を感じながら、自然と演技にも熱が入る。 ただ、私が演技に没頭しているのには、もうひとつの理由があった。 先日……あの停電の日に私は、一磨さんへの想いをハッキリと自覚した。 それを境に、一磨さんの恋人役を演じられる稽古の時間が、今まで以上に私の心を占めていたのだ。 (ここは、もっと……もっと相手を愛さなきゃ……) 目の前にある一磨さんの瞳をじっと見つめる。 一磨さんと視線をかわすうちに、役柄の気持ちと自分の感情とが重なり、強い想いが胸にあふれる。 (一磨さん……) そのとき、パン、と手を叩く音が響き、ハッと我に返った。 (あ……) すぐには頭を切り替えられずにいると、周囲から拍手が沸き起こる。 「え……?」 私たちの演技を見ていた全員が、笑顔で拍手を送ってくれていた。 「ふたりとも、いいね!いつも以上に息ピッタリだよ!」 「ありがとうございます」 並んで立つ一磨さんを見上げると、彼もうれしそうに微笑んでいる。 「うん、俺もすごく演じやすかったよ。○○ちゃんの感情に引き込まれるっていうか……すごくいい表情をしてた」 「あ、ありがとう……」 (そんな風に言われると……うれしいけど、照れるな……) そこへ咲野さんが近づいてきて、私たちに意味深な笑みを向けた。 「なんだ、もしかしてさっきのは演技じゃないのか?」 「え?」 (演技じゃない、って……どういう……?) 「まるで本物の恋人同士みたいだ」 「なっ……」 思わず言葉を詰まらせていると、咲野さんがニヤリと笑う。 「あれ、当たり?」 (な、なんて答えれば……) どう返事をしていいかわからず、反射的に隣を見ると……。 (……え?) そこにある一磨さんの顔は真っ赤になっていた。 「さ、咲野さん!そういう冗談は……」 「ハハッ、その様子じゃまんざらでもないな?……それじゃ今の呼吸を忘れないうちに次のシーンに行こうか」 「はい……○○ちゃん、スタンバイしよう」 「あ……う、うん」 決められた立ち位置に移動する間も、一磨さんの頬は赤いままだ。 思わずそれをじっと見つめていると、私の視線に気づいた一磨さんが、顔の前に手をかざす。 「ごめん……今、こっち見ないで」 「え……?」 「あ、いや……」 (あ……もしかして、顔が赤くなってるの……見られたくない、とか……?) 「ご、ごめんなさい……」 (なんか、私まで顔が熱くなってきた……) 「それじゃふたりとも、このシーンは特に情熱的に頼むよ」 咲野さんの言う『このシーン』では、ダンスの流れで一磨さんと抱擁することになっている。 私は所定の位置につきながら、気持ちを切り替えるよう努めた。 しかし、さっきの動揺が去っていかない。 (私……さっき、どんな顔をしていたんだろう……) 咲野さんが口にした言葉が、グルグルと頭を巡る。 (『本物の恋人同士みたい』って……あくまで褒め言葉、だよね?私の気持ちがばれてるとか……そんな……) 「じゃ、用意……スタート!」 集中もそこそこのうちに、演技が始まってしまった。 華麗なステップを踏む一磨さんが、私の前で立ち止まる。 (あ……) 彼の手が頬に触れ、心臓が跳ね上がった。 (いけない、演技に集中しないと……) 自分にそう言い聞かせてから、一磨さんにまなざしを返す。 すると、彼が一瞬だけ目を見はった。 「……あ……」 (……え?) けれど、すぐに表情を引き締めて私の背中に腕を回してくる。 そのまま優しく抱きしめられた。 次第に激しくなる抱擁に、私の心拍数も上がっていくのがわかる。 (こんなにドキドキしてたら、一磨さんに聞こえちゃう……) そう思いながらも一磨さんの胸に頬を寄せると……。 (……あれ?) 一磨さんの胸からは、私と同じくらい速いリズムが伝わってくる。 (一磨さんも……ドキドキしてるんだ……) そのことに気づいた瞬間、私の鼓動はさらに速くなったが、不思議と心は穏やかになっていった。
その翌日。 稽古がお休みの今日は、とあるバラエティ番組の収録に参加することになっていた。 収録前のメイクをしてもらうため、ヘアメイクルームに行くと、明るい笑顔が出迎えてくれる。 「○○ちゃん、おひさー」 「あ、モモちゃん」 モモちゃんこと桃瀬達也さんとはデビュー当時からのつき合いで、テレビ出演などの際には彼にヘアメイクを担当してもらうことがほとんどだ。 「お久しぶりです」 「本当、最近顔を合わせてなかったわね……寂しかったわ」 そう言いながら、モモちゃんは私の手を引いてイスへと導く。 「久しぶりだから気合い入っちゃうわあ……てことで○○ちゃんには、いつもより、うんとキレイになってもらいましょうか」 鏡越しに私の顔をのぞき込みながらニコッと笑った。 「ふふ、お願いします」 モモちゃんは早速ベースメイクを進めてくれながら、さりげなく切り出してくる。 「最近は、ミュージカルの練習が中心なんだっけ?」 「あ、はい」 「演出家の咲野、っているでしょ?彼とは以前から知り合いなのよ」 「え、そうなんですか?」 (モモちゃん、あいかわらず顔が広いなあ) 「この前、たまたま会う機会があって少し話したんだけど……○○ちゃんの演技、べた褒めしてたわ」 「そ、そんな……」 「相手役の一磨くんとも、とっても相性がいいって」 「……え?」 ふいに告げられた名前に、心臓が飛び跳ねた。 「確か、今日の収録にも……一磨くん、いるんじゃなかったっけ?」 「あ……は、い……」 なんと言っていいかわからずにうつむくと、モモちゃんが私の頬に手を添えた。 「……最近忙しいはずなのに、とってもお肌の調子がいいのは……きっとそのせいね」 「モモ、ちゃん……」 間近に私をのぞき込む瞳が、優しく細められる。 「○○ちゃん、いい顔してるわ……その調子で、一磨くんだけじゃなく全員の視線をひとり占めしていらっしゃい」 そう言って、モモちゃんはウィンクしながら私の頬をちょんとつついた。
それから間もなく収録が始まった。 (モモちゃんと、あんな話をしたからかな……なんか、よけい意識しちゃう……) VTR中、少し向こうに座る一磨さんを見つめていると、ふいに彼が顔を上げた。 (あ……) 思いがけず目が合ってしまい、どう反応すべきかと迷っていると……。 (……あれ?一磨さん、なんだか顔色が悪いような……?) しかし、それとほぼ同時にVTRは終了し、一磨さんの視線は離れていった。 その後、収録を終えてからもずっと一磨さんのことが引っかかっていた。 (……みんな、まだ楽屋にいるかな?) 帰り支度を済ませた私の足は、自然とWaveの控え室に向かっていた。 (あ、ここだ) Waveの控え室に到着して、扉をノックする。 「……はい?」 (この声、亮太くん?) 「あの、○○ですけど……」 そう声をかけると、ややあってから扉が開いた。 顔をのぞかせたのは、案の定、亮太くんだ。 「○○ちゃん、どうしたの?」 「ごめんね、いきなり。……一磨さん、いる?」 「いるけど……」 亮太くんは、呼び出すのをためらうようにチラリと背後を見る。 「あ、都合悪いならいいの。……さっき、収録中に一磨さんの顔色が悪いように見えて、気になっただけだから」 そう伝えると、亮太くんは少し目を丸くしてからフッと笑った。 「さっすが」 「え?」 (さすが、って?) 「○○ちゃん、このあと仕事とか入ってるの?」 「あ、ううん、今日はさっきの収録で終わり」 「そっか。……実は今、俺と一磨のふたりなんだ。ほかの3人は、もう次の仕事に行っちゃってて……」 そう説明してくれながら、亮太くんは私を室内へ促すように身体をずらす。 「とりあえずどうぞ。……あ、一応、静かにね」 (静かに?……どうしてだろう) 不思議に思いつつも、亮太くんについて控え室に足を踏み入れた。 そっと中に入ると、畳のスペースで横になる一磨さんが見えた。 (あ……) 彼は、いつもの大人っぽい表情からは想像できないような、あどけない寝顔を見せている。 (『静かに』って、起こさないようにってことだったんだ) 「あの……やっぱり一磨さん、具合悪いの……?」 「……本人は、ただの睡眠不足だって言い張ってたけどね」 亮太くんは、静かな寝息を立てる一磨さんのそばに座ると、あきれたようにつぶやいた。 「一磨って、いつもこう」 「こう、って?」 「体調崩してるときも誰にも言わないし、休みを取ろうともしないんだ。今日だって、こうして横になったら、ソッコーで寝るくらい疲れてるくせに……ホント、頑固っていうか……」 そう語る亮太くんの声が、ため息に混じって空気に溶ける。 (亮太くん……一磨さんのこと、すごく心配してるんだ……) 亮太くんの横顔を見つめていると、それに気づいた彼がおどけるように肩をすくめた。 「だから、今日みたいにヘタレてる一磨はレアなの。……あ、そう思ったらなんかしたくなってきた。顔に落書きしとこうかな。ヒゲとか……見てみたくない?」 「ええ?」 さっきまでの優しい気配はどこへやら、一転していたずらっ子のように笑う亮太くん。 (でも、一磨さんが休んでるのに……どうして私を中に入れてくれたんだろう?それに、このあとの予定を聞かれたのも気になるし……) そんな私の考えを察したかのように、亮太くんがふいに立ち上がる。 「さてと……ちょっと、外……いい?飲み物、買いにいきたいんだけど」 「あ、うん」 物音を立てないよう、亮太くんとふたりで廊下へ出た。 「ごめんね、わざわざつき合わせちゃって」 「ううん、大丈夫」 (一磨さんが休んでるところに、ひとりで残るわけにはいかないし……) 自動販売機の前まで来ると、亮太くんがポケットから小銭を取り出しながら私を見た。 「○○ちゃん、何飲む?」 「え、そんな……自分で買うよ」 私が首を振ると、亮太くんが不満げに唇をとがらせる。 「えーなんで?今、誰かにおごりたい気分なんだけど」 (う……) クリッとした瞳にのぞき込まれて、どうにも逆らいきれずに口を開く。 「じゃあ……レモンティーで」 「りょうかーい」 ニコッと笑った亮太くんは、レモンティーを購入して私に差し出した。 「ありがとう」 「んや、いいよ。ギャラだから、それ」 「ギャラ?」 目をまたたかせる私をよそに、亮太くんが続けて小銭を投入する。 「……あれ、一磨っていつも何飲んでるっけ?……まあいっか、適当で」 そんな独り言とともにスポーツドリンクとジュースを買った亮太くんが、こちらに戻ってくる。 「お待たせ」 そのまま控え室の方へ歩き出す亮太くんについていく。 「さっきの続きなんだけど……」 「うん……?」 「最近のアイツ、ミュージカルの稽古とか毎回遅くまでやってるみたいだから、そろそろ疲れがたまる頃かなあとは思ってたんだよね」 「あ……そ、それは……」 (そうだ……私がいつも一磨さんを練習につき合わせてるから……一磨さんの不調の原因って、私なのかも……) 「その……ごめんなさい、私がいつも練習につき合わせちゃってて……」 あまりの申し訳なさにうつむいていると、亮太くんはあっけらかんと笑う。 「あ、違う違う。別に、アイツが疲れてることがどうこうって話じゃないんだ」 「え……?」 「一磨ってさ、いっつもメンバーの世話焼いてんだよね。つまり、俺は世話焼かれてる側なわけだけど」 そう言って、小さく苦笑いを浮かべる亮太くん。 「リーダーとしては頼もしいけど、俺からしたら隙がなくて、絡んでも全然楽しくねえの」 「あ、の……?」 (楽しくないって……いったい、なんの話……?) 「でもそれがさあ、最近は翔の次になかなかいい反応見せてくれるんだよねー。特に、○○ちゃん関係の話題」 「えっ?」 「○○ちゃんの名前出すだけで……もう最高なんだって」 「さ、最高って……」 「いやあ、あの堅物が、まさかあんな反応するようになるなんて思ってなかった」 何を思い出したのか、亮太くんはケラケラと笑っている。 (前からときどき思ってたけど……亮太くんって、テレビに出てるときと普段とでかなりギャップがあるなあ……) ぼんやりとそう考えるうちに、一磨さんが休む控え室まで戻ってくる。 すると、足を止めた亮太くんがフッと息を吐いた。 「今日みたいに、疲れたからって素直に横になるのも……アイツにしてみれば本当にめずらしいことなんだ。たぶん、本人は無自覚だと思うけど」 扉に寄りかかった亮太くんは、スッと私に視線を投げかける。 「あんな風に、一磨をいい感じに変えてくれたのは……○○ちゃんだと思ってる」 「わ、私?私は何も……」 「いや、たぶん俺の予想は外れてないんじゃないかなあ……てことで、これを機に、一磨に恩返ししてみてもいいかなあ、なーんて思ったりしてるわけなんだけど」 (恩返し?) 「あの、それって……?」 そう問いかける私をさえぎるように、亮太くんは買ったジュースを私の手に乗せた。 「そうそう。言うの忘れてたんだけど、実は俺もこのあと仕事なんだ。だからこれ、一磨が起きたら渡してくれない?」 「え……え?」 「ギャラは、さっきのレモンティーってことで。それじゃよろしくー」 「あ、ちょっと待っ……」 (……行っちゃった) 手もとに残されたジュースと、控え室の扉を交互に見る。 (……さすがに、寝てる一磨さんを放って帰るのは……それにこのジュースも、渡さないといけない……よね) 自分にそう言い聞かせるようにしながら、まわりに誰もいないことを確認して控え室の扉を開けた。 そろそろと中に戻ると、一磨さんはまだ眠っていた。 机の上にジュースを置いて、とりあえず扉の近くに立つ。 予想もしていなかった状況に、私の胸はさっきから騒ぎっぱなしだ。 (もう……なんでこんなことに……) 思わず漏れそうになったため息を、あわてて飲み込んだとき。 「……ん……」 かすかに聞こえた声に、ドキリと心臓が飛び跳ねた。 視線だけ一磨さんの方に向けると、寝返りを打とうとしている彼が見える。 (ダメだ……なんか、もう……これ以上は……) どうにもいたたまれなくて、無意識にドアノブに手をかけた瞬間……。 「……○○、ちゃ……」 「えっ?」 (今、私の名前……) 驚きのあまり、思わず声をあげてしまってからハッとする。 急いで口をおおったものの、私の声は室内に響いてしまったあとで……。 「……あ……れ?」 寝起きのぼんやりした声でつぶやきながら、一磨さんが周囲を見回している。 「……俺、いつの間に……って……えっ……○○ちゃんっ?」 私に気づいた一磨さんは、彼らしくない焦りようで身体を起こした。 「なんで……○○ちゃんが……?」 「あ……あの、これは……」 しどろもどろになりながらも亮太くんとのやりとりを伝えると、一磨さんは動揺を隠すように髪をかき上げる。 「ったく……亮太のヤツ」 「あ……の……ごめんなさい……その……」 謝ることしかできない私に、一磨さんが小さく息を吐いた。 「いや、○○ちゃんが謝る必要はないよ」 「でも……」 「アイツには、帰ったときにきつく言っておくから。……まあ、それはいいんだけど……あの……」 一磨さんの言葉の語尾が、かすれて消える。 「……何?」 「俺……何か、言ってなかった?」 「えっ?」 「あ、いや……その……深い意味は……ないんだけど……寝言とか言ってたら、恥ずかしいなって……」 (こ、これは……正直に言うべき……?) (なんだか気まずそうだし……言わない方がいい、よね) 「別に、何も……」 私の言葉に、一磨さんは少しホッとしたように息を吐く。 「そ、か……ごめん、変なこと聞いて」 「ううん……」 (それにしても、私の名前なんて……一磨さん、いったいどんな夢を見ていたんだろう……?) 室内が、妙な静寂に包まれる。 「……とりあえず、出ようか」 「そう、だね」 私がうなずくと、一磨さんが目をそらしたまま立ち上がった。 その足もとが、ふいにふらつく。 「あっ」 あわてて駆け寄り、間一髪で一磨さんを支えた。 「一磨さん、大丈……」 そうして言いかけた言葉を、私は途中で飲み込んでしまう。 寄りかかった一磨さんの腕が、ふいに背中へと回ったから……。 (一磨、さん……?) 「……俺……」 (……え?) 顔を上げた先で出会う、一磨さんの瞳。 息がかかりそうなほど近づいた唇にドキリとしていると、一磨さんは、はじかれたように身体を引いた。 「あっ……ご……めん……」 「う、ううん……それより、具合は……」 「だ、大丈夫……大丈夫だから」 さえぎるようにそう言われては、もう言葉を続けることもできず……。 そのぎこちない微笑みを隠すように、一磨さんは私に背を向ける。 「ごめん……そういえば、先にちょっと片づけしないといけないんだった……先に、行っててもらえる、かな。俺もすぐに行くから……」 「あ……うん」 うなずいて、私は廊下へ出た。 「はあ……」 扉を閉めると同時に、無意識に詰めていた息を吐き出した。 (こんな雰囲気で……明日からの練習、大丈夫かな……) そういう悪い予感ほど当たってしまうことを、私は明日、知ることになる……。
2010/10/17 17:14
HOME
|