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翌日。
広々とした劇場のステージに、息の詰まるような沈黙がおりていた。
「うーん……」
咲野さんが頭に手をやりながら、一磨さんと私の顔を見る。
「どうした、ふたりとも?」
咲野さんの声には、隠しきれない戸惑いが浮かんでいた。
「一昨日まであんなに息ピッタリだったのに」
「……すみません」
「すみません……」
一磨さんと一緒に、私も頭を下げる。
ミュージカルの稽古がお休みだった昨日……一磨さんに突然、抱きしめられてから、私たちの関係はギクシャクしてしまっている。
これまで普通にやってきた、抱き合ったり顔を寄せたりという演技が、どうにもうまくできないのだ。
「何かあったのか?」
「あ、の……」
どう説明すればいいかわからず再び口をつぐむと、咲野さんのため息が聞こえた。
「今日のふたりの演技は……そうだな……なんとなく壁というか、距離を感じるな。……近づくことを恐れる一磨と、自分からは近づけない○○ちゃん、っていう感じかな」
鋭い指摘のあと、それはそれでケンカ中の恋人に見えなくもないが、というつぶやきが続く。
「ただ、ここはお互いの想いを確かめて抱きしめ合うシーンだから……」
「……すみません……」
一磨さんは、もう一度深々と頭を下げた。
「まあ、調子の悪い日は誰にでもあると思うが……本番初日も近いんだから、気を引き締めてくれよ」
「はい……」
「……とりあえず、もうそろそろ時間だし……少し早いけどこれで終わりにしよう」
咲野さんが立ち上がり、今日は解散となった。
少しずつ戻ってくるざわめきにまぎらわせて、こっそりため息をつく。
(うまく演技ができなかったのは……きっと昨日のことが原因なんだとは思うけど……)
そう思っていると、隣に立つ一磨さんが今度は私に頭を下げた。
「……ごめん、○○ちゃん」
「う、ううん……私も、うまく一磨さんに合わせられなかったから……」
「いや、○○ちゃんは悪くないよ……全部、俺の責任だ」
「……全部って、どうして?」
そう問いかけるけれど、一磨さんは何も答えてくれない。
(もし、一磨さんが昨日のことを気にして演技に集中できないんだとしたら……それは、昨日、楽屋に押しかけてしまった私にも責任があるはずなのに……)
そして私も、思っていることを一磨さんに伝えられずにいた。
自分の思いを伝えても、同じようにまた一磨さんに返事をもらえない気がして……。
(一磨さんとは、少しずつでも仲良くなれてるって思ってたけど……でもそれは、私の勘違いだったの……?このままじゃいけないってわかってるのに……なんか、一磨さんが……遠い……)
そのとき、外へ出ていったはずの咲野さんが戻ってきた。
「あー、ちょっと。一磨と○○ちゃん、集合」
「あ……はい」
(なんだろう……?)
不思議に思いながらそばに行くと、咲野さんが先に立って歩き出した。
「話がある。……スタジオ行くぞ」
(話って、ここではできないような内容なの……?)

レッスンスタジオに移動すると、咲野さんが私たちに2枚の紙片を差し出した。
「ほら、これやるから」
「これは……?」
「『アトゥム』のチケット」
(『アトゥム』って、今回の舞台の参考になるっていう、あの……?)
以前に一磨さんから借りたDVDを思い返していると、咲野さんが言葉を続ける。
「数年ぶりに日本で上演するって聞いたからチケットを取ったんだ」
それが1枚ずつ、一磨さんと私の手に乗せられた。
「この舞台を、ふたりで見に行くこと」
「えっ……!」
(えええええっ?)
心の中で叫び声をあげる私の隣で、一磨さんは言葉を失っている。
「何があったか知らないが……今のふたりの演技じゃ、この舞台を上演するわけにはいかない」
静かに告げられた言葉に、周囲の空気が張りつめた。
「だから『アトゥム』の観賞は、今回の舞台を成功させるための勉強。言っとくが演出家命令だぞ。ふたりの事務所にも言っておくから。それじゃ」
(命令って、そんな……)
咲野さんが背を向けてからチラリと隣をうかがうと、一磨さんも私を見る。
(どうしよう……私から誘った方がいいのかな……?)
(……悩んでても仕方ない。私だって、今のままじゃいけないと思ってたし……)
くじけそうになる心を奮い立たせて、私は口を開いた。
「あの……」
「……○○ちゃん」
ふいに重なる声。
(……え?)
顔を上げると、一磨さんも驚いたように目を見開いている。
(一磨さん、何か言いかけて……?)
「あ……」
私が再び声をかけようとしたとき……。
「こんちはー」
どこか間延びした挨拶が耳に届いた。
(この声……?)
振り返ると、扉のところに亮太くんが立っていた。
「あれ、亮太?」
「あ、咲野さん。お久しぶりです」
(やっぱり亮太くんだ……でも、どうしてここに?それに、咲野さんとも知り合いだなんて……)
「よくわかったな、俺がこっちにいるって」
「先に劇場に顔を出したんですけど、スタジオに行ったって聞いて。……『ミドル・スナイパー』のときは、どうもお世話になりました。今はうちの一磨がお世話になってるみたいなんで、ずっと挨拶させていただこうと思ってたんですけど……あ、これ差し入れです」
「お、気が利くなー。ありがとう」
(へえ……亮太くんも、咲野さんの舞台に出たことがあるんだ)
思わずぼんやりと見つめていると、挨拶を終えたらしい亮太くんがふとこちらに視線を向けた。
「あ、いたいた」
(え……?)
亮太くんはスタジオを出ていく咲野さんに会釈したあと、こちらに駆け寄ってくる。
「やほー。練習がんばってる?って、今日はもう終わったみたいだけど」
「あ……うん」
「亮太……お前、どうしてここに?」
一磨さんの言葉に、亮太くんは不満げに唇をとがらせる。
「どうしてって……お前の体調が気になったから、わざわざ様子見にきたのに……心配しがいのないヤツだなあ」
(あ、そっか……亮太くん、すごく心配してたもんね。……でも、何か引っかかるような……考え過ぎかな?)
昨日の様子を思い返しながら、なんとなく違和感のようなものを感じていると、一磨さんは「ああ」とつぶやく。
「心配してくれてたのか……ありがとな」
「んな上っ面で礼言われたって、ぜーんぜん心に響いてこないんですけどー」
べー、と舌を出した亮太くんが、ふと私たちの手もとに目を留めた。
「……あれ、何そのチケット?」
「あ、ああ……今、咲野さんがくれて……」
「ふうん……『アトゥム』……ん?このDVD、一磨んちにないっけ?」
「あるよ……よく覚えてたな」
「俺の記憶力、なめんなって。……何、チケット1枚ずつ持ってるけど、ふたりで行くの?」
「あ……」
唐突に核心を突かれた一磨さんは、うろたえるように口ごもる。
「あ、いや……その……」
それを目にした亮太くんの瞳が、ふいに鋭くなった。
「え、行かないの?」
「違、そうじゃなくて……」
一磨さんを見つめる亮太くんのまなざしは、まるでウソを見抜かんとしているようだ。
(どうしてそんな表情を……?)
「まあ、DVD持ってるのに、いちいち見にいくこともないってことか」
「あのな亮太、これは咲野さんが……」
「てか、これの上演日、俺のオフと同じなんだけど!えー、すごい偶然……なあ一磨、このチケット、俺にちょうだい?」
「……え?」
「いいだろ?お前、見に行かないっぽいし。俺は見に行きたいもん」
一磨さんの手からチケットを奪うように取り上げると、亮太くんが私に笑顔を向ける。
「そんで○○ちゃん、俺と一緒に行かない?」
「……えっ?」
「亮太っ?」
思いがけない誘いに、私と一磨さんが同時に声をあげた。
「だって○○ちゃんは行くんでしょ?大事そうに持ってるから」
そう言いながら、亮太くんは私が手にするチケットをちょんとつつく。
「ね、いいじゃん。俺と行こうよ」
(ど……どう答えれば……?)
(亮太くんが、どうしていきなりこんなことを言い始めたのかはわからないけど……)
私はためらいがちに口を開いた。
「ごめんなさい……亮太くんとは行けないの」
「……○○ちゃん……」
私の返事を聞いた亮太くんは、小さく首をかしげる。「え、どうして?」
「だって……これは……」
(咲野さんが、一磨さんと私にくれたものだから……)
そう続けようとしたとき、低い声が割り込んできた。
「悪いけど、もう○○ちゃんとふたりで見に行くって決めているんだ」
ハッキリとそう告げた一磨さんは、真剣な表情で続ける。
「それに、これは咲野さんがわざわざ俺たちにってくれたものだから……いくらお前が咲野さんの知り合いでも、やるわけにはいかない」
「ああ、そうだったんだ?ごめん、それ知らなくて」
「……いや」
一磨さんがふっと目を伏せたのを見て、亮太くんがあきれたような表情になった。
「……ったく、最初からそう言えっての」
(亮太くん……?)
「心配して来てみりゃ、これだもんなあ」
そのつぶやきは、私にだけ届いたようだ。
思わず亮太くんを見ると、彼は私にこっそりとウィンクしてみせる。
「ごめんね、ホントにアホな堅物で」
「あ、の……」
私から顔を離した亮太くんは、腕時計をのぞき込むとわざとらしく声をあげた。
「しまった、俺もう行かなきゃ。そんじゃふたりとも、その舞台、楽しんでねー」
「え?あ、おい、亮太……」
一磨さんの声を無視して、亮太くんはレッスンスタジオを出ていった。

突然やってきて、嵐のように去っていった亮太くんの背中を呆然と見つめる。
「……なんだったんだ?」
「う、うん……」
(よくわからないけど……協力してくれた、のかな?)
ふたりきりになった室内が、しんと静まり返る。
その空気に耐えかねて、無意識に身体を引いた瞬間、一磨さんの手が私の腕をつかんだ。
「えっ……?」
「あ、ごめん……帰るの?」
「え、っと、そんなすぐには……」
(舞台のこと、まだちゃんと話せてないし……)
私の考えが伝わったのか、一磨さんはギクシャクと手を離す。
「あ……そうか、そうだよな……ハハ、何焦ってるんだろう……俺……」
最後は独り言のようにつぶやかれた言葉に、心が揺れる。
(焦ってるって……一磨さんが……?)
その表情を見つめていると、視線を上げた一磨さんが静かに問いかけてきた。
「○○ちゃん、このあとは……仕事?」
「……あ……今日はもう、終わりだけど」
「それなら送るよ。俺も帰るから」
「で、でも……」
今日一日のぎこちない空気を思って、返事に迷っていると、一磨さんが真剣なまなざしを向ける。
「それに……話したいこともあるし」
「あ……」
小さくうなずいた私を見て、一磨さんがふっと目を細める。
「良かった……じゃあ、外で待ってるから。帰る支度が終わったら、声かけて」
そう言った一磨さんは、今日初めての笑顔を浮かべていた。

人気のない道を、並んでゆっくりと歩く。
穏やかな夜風が吹き抜ける中、一磨さんが静かにこう言った。
「今日は……本当にごめん」
「え……と……」
「あ、うん……謝りたいことは、ひとつじゃないから……ひとつずつ謝りたいんだけど……聞いてくれる?」
コクリとうなずくと、一磨さんは少しだけ目元をやわらげて「ありがとう」とささやいた。
「まずは……今日の練習、めちゃくちゃにして……ごめん」
「あの、それはさっきも言ったけど……私のせいでもあるから……」
「違うんだ」
私の言葉は、思いのほか強い口調にさえぎられる。
「……え?」
「違う……本当に、全部、俺の責任だから……」
そうつぶやいた一磨さんが、意を決したように私を見た。
「昨日……○○ちゃんが楽屋に来てくれたとき……俺、夢を見てたんだ……」
「夢……?」
「うん……○○ちゃんが、出てくる夢」
「わた、し……?」
寝言で名前を呼ばれたとき以上に、心臓がドクンと鳴った。
「そう……夢の中で、俺たちは……つき合っていて……」
(つき合ってる……っ?)
「あ、い、いや……きっと、舞台のイメージが夢になったんだと思うんだけど……」
しどろもどろにそうフォローをしながら、一磨さんが言葉を続ける。
「……普段は、夢の内容なんてすぐ忘れるのに……起き抜けに○○ちゃんを見たせいか、この夢だけは……すごくハッキリと覚えてて……それで……夢と現実が、自分の中で混ざっちゃって……気づいたら、○○ちゃんを……引き寄せてた」
そうつぶやく一磨さんは、私の視線から逃れるように目をそらす。
「今日の練習で……○○ちゃんと目が合うたびに、あのときのこと、思い出して……まっすぐ……見られなかったんだ……ごめん」
「一磨、さん……」
話を聞くうちに、私まで恥ずかしくなってきて顔を伏せた。
「今日の練習を台無しにした理由、本当はちゃんとみんなに説明しないといけないってわかってる。……けど、その理由が『夢を見たから』なんて、とてもじゃないけど言えなくて……」
(あ……もしかして、それで『全部俺の責任』って……?)
「でもそれで、咲野さんたちによけい気を遣わせて……○○ちゃんにもすごく嫌な思いをさせたと思う。謝ってすむ話じゃないのはわかってるけど……謝ること以外、できない……本当にもう……自分が情けない」
そこまでひと息に語った一磨さんが、全身で息を吐き出す。
「とにかく、みんなには明日、あらためて謝って……今日の反省は、明日の演技に生かしてみせる」
「うん……」
「○○ちゃんにも、もう……嫌な思いさせたり、迷惑かけないように、演技に集中するよ」
そう言って、一磨さんはまっすぐな瞳で私を見つめた。
(良かった……いつもの一磨さんだ……)
大きくうなずいた私を前に、一磨さんがフワリと微笑む。
「それから……」
「え?」
(まだあるの?これで終わりだと思ってたけど……)
そう思いながらも様子をうかがっていると、一磨さんは立ち止まって、カバンから『アトゥム』のチケットを取り出した。
「これ……俺と一緒に見に行ってくれないか?」
「あ……」
「さっきは、亮太の冗談に乗せられるような形になっちゃったけど……本当は、ちゃんと誘いたかった。咲野さんがチケットをくれたとき、○○ちゃんと見に行けると思って……うれしかったから」
(一磨さん……)
「気を遣わせて……ごめん。……仲直り、っていうのもおかしいけど……あらためて、俺の恋人役をお願いしますってことで……一緒に、行ってくれないか?」
言葉もなくうなずいた私を見て、一磨さんはホッと息を吐くと、優しく頭をなでてくれた。
「良かった……今日一日で、○○ちゃんに……あきれられなくて」
その一磨さんの言葉には、いつものやわらかい響きが戻っていた。
それにつられて、私も笑顔になる。
「そんな……あきれたりなんか、しないよ」
(やっぱり、ちゃんと話さなきゃ……相手が何を考えてるかなんて、わからないんだよね……)
「でも、あの……これからは、私の思ってること、ちゃんと言うようにするから……一磨さんも、自分の気持ち、聞かせてくれる……?」
勇気を出してそう伝えると、一磨さんの頬が赤くなった。
「あ……う、ん……」
そう言ってうなずいた一磨さんは、いつになく幼く見える表情を浮かべている。
それがなんだか微笑ましくて、ついクスリと笑ってしまった。
「じゃあ、帰ろっか」
「ああ」
再び歩き出す足は、いつになく軽い。
そのまま私は、一磨さんの先に立って歩いた。
(良かった……一磨さんが、私のことをさけてるんじゃなくて……)
今日一日の不安が一気に解決したことで、私の頬はさっきからゆるみっぱなしだった。
……けれど、私は少し浮かれすぎていたのかもしれない。
「……俺の、気持ち……」
先を歩く私の背中を見つめながら落とされたつぶやきにも、気づけないほどに……。



2010/10/18 16:13


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