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さあ、と血の気が引くのを感じるのは、これで何度目だろう。

開いたバックの中には、無くてはならない筈の物の姿が見当たらなくて。ごそごそと中を漁っても、一度全て出しても無い、無い、どこにも無い。

___財布、落としたんだ。

カード類、免許証、更にはおろしたての生活費とポイントカード。いやこの際ポイントカードはどうでもいい、前半が大問題すぎる。
上京してきて早々カードを落とすなんて、しかもこんな大都会で。悪用とかされたらどうしたらいいの。

ばくばくと鳴り響く心臓が煩い。
落ち着け私、と胸を抑えて宥めようとする…も、却って鼓動が速くなるだけだ。

どうしよう、そう思った途端に視界がじわりと薄い膜で覆われて、泣くな泣くなと急いで手の甲で拭う。

その時、"あの、ちょっといいかな" と知らない男の人の声が聞こえて。は、はい!と急いで顔を上げた。
黒髪を高い位置にお団子にした、少し珍しい髪型の人。少し怖い筈なのに、穏やかで優しい声がそれを和らげてる様な、そんな気がした。

「ええと、名字名前さん?」

「えっ」

吃驚して思わず息が止まった。なんでこの人、私の名前を知ってんだろう。恐る恐るはいと答えながら、その人の手を見る。すると、その手元には私の財布が握られてて。あ!と思わず声が出た。
ふふ、と小さく笑い返しながら、その人は続ける。

「警察に届けようかと思ったんだけどね、すぐ近くの道端で随分と困った様子の女の子が居たからそうかと思ったんだ。」

「そ、それどこにありましたか…?」

" ん?ほら、そこのパン屋さんの前 "と指を指された先はほんの数十メートル先で。そうか、さっき美味しそうだと見てたパン屋さん… 自分の歩いてた道も確認しなかったなんて、どれだけ焦ってたんだろうと、自分の不甲斐なさに顔も上げられない。

「なるほど… ありがとうございます…ご迷惑をおかけしてすみません…。」

財布を開き、少ないですが受け取って下さいと紙幣を出そうとした瞬間。ぱしっと片手で手と財布を覆われた。大きい手が重ねられて、思わずどきっとする。
へ、と驚いて目を丸くした。

「女性からお金は受け取れないな、自分の為に使って欲しくて返したのだから」

黒い瞳に真っ直ぐにそう見つめ、ね? とにこりと目を閉じながら首を傾げられる。
猫みたいに笑う人だな、とそう思った。
でも、カードも財布も届けて貰えたのにお礼もしないなんて、どこか胸にモヤモヤが残る。

「なら、せめて何かお礼をさせて下さい。」と告げると、目の前の彼は少し困った様に笑いながら。そうだね、と顎に手を置いた。

そうだ、と声が聞こえて。「何か、ありましたか!」と、嬉しさから。思わず少し声が上擦った。

「うん。そこにカフェがあるだろ」

指を指された先を振り返る。確かに、小さいカフェだけれどテラスも外観も雰囲気が良さそうなこじんまりとした所のようで、" ありますね "と返すと。
じゃあそこでどうだい、と彼の声が続いた。

「はい、…って、え? それって、」

「君とお茶がしたい、と言えば伝わってくれるかな。」

" 駄目かな、名前さん"
驚きすぎて声を失った。え、あ、 と言葉にならない声だけが零れ落ちて、顔に熱が集まるのが分かる。
男の人からお茶に誘われるなんて初めてで、いや、元々そういう男の人は少し苦手な部類だったけれど。

何でだろう、この人は。嫌じゃない、気がする。

返事を一向にしない私に、ふふ、と小さく柔らかい笑い声が続いた。
「困らせていたらごめんね、気にしないで」

「いや、_」そんな事ないです、そう続けようとした瞬間。ドラム缶の様な何かを蹴り飛ばす凄い音に掻き消された。ひ!と反射的に耳を塞ぐ。

「あ、傑。ンなとこ居やがったのか。」
ガランガラン、と何か重たい物が転がっていく音と。此方に向けられたような声。

すぐる? と思わず心の中で繰り返す。

「悟、ここら辺じゃ響くから、あまり煩い音は。」
と、隣から聞こえてきた声に彼をふと見上げた。
この人、すぐるさん、っていう名前なんだ。

"へーへー、分かったよ"
絶対に分かっていない。先生に怒られて反省の言葉を仕方なく口にする小学生を思い出すような、そんな言い方でその人は返した。ズボンのポケットに手を入れながら柵を軽く跨ぐ、足の長さに二度見した。

近付いてくるなり、その背丈の高さに気が付いた。
すぐるさんと同じくらいの背の高さだ。

風にふわりと靡く白銀の髪も綺麗で、サングラス越しに見えるその目が一瞬きらりと反射して見えたような気がする。何この人、モデル?と、思わず見蕩れていたら。ずい、と顔を覗き込まれていた。ひ、と思わず少し後ずさる。

「で、何。こいつは。」

「あ、私はさっき財「私が少しお茶に誘ったんだけどね、生憎断られてしまって」

「えっ」

「は?傑がぁ?お茶にぃ? ブッ」

白髪の人は、絵に書いた様に吹き出すと、その場でゲラゲラと笑い始めた。こんなに笑ってる人を見た事がない、というぐらいぎゃはは、と笑っていて。なんだか逆に心配になってくるレベルだった。

「ほら、笑ってないで。さっさと行こうか。」

ハッと意識を戻す。振り返ると、もう背中しか見えなくて。違う、この人は私の財布を届けてくれただけで、しかもまだお礼もできてなくて_

「ま、」

待って、そう言おうとした瞬間。傑さんは唇の前に人差し指を持ってきて、しー と小さく合図した。
夕焼けを背にされるその仕草があまりにも綺麗で。

"またね" とその口が動くのを、私はただ見てる事しか出来なかった。

__________

二人の後ろ姿が見えなくなって、どきどきとしている胸を抑えた。
綺麗な人達だったな、特に白髪の人の方なんか。あんな人、モデルに居たかな、スカウトされるのも秒だろうな。
傑さんも優しくて、素敵な人だったな 。
_ふと、あの優しい目を思い出した途端、ちくりと胸が痛んだ気がした。
馬鹿だなあ、また会える確証なんて無いのに。

開けかけた財布に、視線を落とす。
見覚えのない小さな白い紙が入ってて、レシートかなと、かさりとそれを開いた。

書いてあったのは0から始まる小さい数字の列 。
何これ、とその羅列を目で追った。
__あれ、これって、もしかして


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