テープにだけは、負けられない!
綺麗に閉じられた扉。先程の嵐のような出来事が嘘みたいに静かになって、取り戻した平穏さに ふうと胸を撫で下ろした。
「いやあ、日辻も言うようになったねえ」
後ろからそう瀬呂くんの言葉が聞こえて、"そんな事ないよ"と苦く笑いながら返す。
途端、突然きゅっと右手が誰かの手に包まれた。
この手、と。目を丸くして振り返る。
「梅雨、ちゃん?」
「うふふ、とってもかっこよかったわ。」
「ひえ…ありがとう梅雨ちゃん…」
"目立つの、あまり好きじゃないって言ってたのに。よく頑張ったわね"
しとしとと降り注ぐ雨音の様な優しい声でそう告げられて、緊張の枷が崩れてく様な気がした。うう〜… と、思わず目の前の梅雨ちゃんを抱き締める。"けろけろ、泣き虫さんなのは変わってないのね"と、梅雨ちゃんの手が泣きそうな私の背を撫でた。
梅雨ちゃんの声は魔法みたいだ。
オルゴールみたいに透き通っていて、その声で名前を呼ばれるだけで心の底から安心する。
泣き虫じゃないもん、そうずび、と鼻を啜りつつ言った私に。梅雨ちゃんは"ええそうね、"とまた頭を撫でた。
____
「え、え、砂藤くん。これほんとに良いの?」
「え?ああ、もちろん。口に合えばだが…うおっ!?な、なんで泣いて…!?!」
いただきます、手を合わせそう告げてからフォークで掬ってぱくりと口に含む。
じわりと溶ける甘い生クリーム。酸味の効いたベリーソースがちょうど良いぐらいに調和されてく。
あまりの美味しさにはわ…と言葉を失った。
真っ白でふわふわの生クリームがあまりにも眩しくて思わずまた涙が溢れそうになる。
"美味しい……生きててよかった…" そう呟いた直後、「綿ちゃんらしいわ」「ね。安心したね。」と梅雨ちゃんとお茶子ちゃんの声が続いたけれど、ケーキに夢中だった私の耳に届くことはなかった。
「ご馳走様でした!美味しかった〜!」
手を合わせてそう言うと、それなら良かったと砂藤くんに返された。でも、なんでいきなりケーキなんてくれたんだろう。それはもう、ものすごく美味しかったけど。
気になって尋ねてみると、砂藤くんは「あ〜…」と目を逸らしながら言うだけで。思わず首を傾げていると、「日辻、さっき少し大変そうだったから」と、続いてきた言葉に目を丸くした。
「甘いもんでも食べて元気出させてやりてぇなって、俺にはこれぐれーしか出来ないから」
「砂藤くん…」
じーんと思わず胸が熱くなる。
なんていい人なんだ…。ケーキも美味しかったし、性格も優しいだなんて、神は一体何物を与えるんだろう。本気でそう思っていると、「株価これ以上上げるんじゃねえ〜!俺にも人権寄越sもがっ!!」と、後ろから峰田くんの声が聞こえた気がしたけれど。すぐに口を塞がれる様な声に変わった。
峰田くんの口を塞いでいたのは思った通り瀬呂くんで。ぱちんと目が合ったと同時に、今度は瀬呂くんが口を開いた。
「あれ、そういや日辻の個性って
綿だっけ?」
「え、あ、うん!覚えててくれたんだ、嬉しいな」
初めてこのクラスに来た時ぐらいしか言ってなかった筈なのにと嬉しくなる。手のひらからぽぽぽ、と何個か
綿を出現させながらそう言うと、「かわいい個性よね」と梅雨ちゃんに言われて、えへ と笑い返した。
個性、
綿。手のひらから何個でも
綿を出したり、それを纏ったりする個性だ。衝撃の吸収に使えるので羊のように纏ったらある程度は防御ができるし、密度を濃くすればする程強力な盾になる。
…まあ、裏を返せばそのぐらいだ。あとはなんだろうか、基本は本物の
綿の性質と一緒だ。燃えやすく帯電しにくい、つまり火には弱くて電気には強い。おかげで冬の寒い次期も静電気は起きた事がない。
先生には訓練次第で応用が効くようになると言われたけれど。私にはその応用というのがまだ分かっていない。使い過ぎても駄目だと言われたし、と浮かぶ綿を見ていると。「あ、」と思わず声が漏れた。
峰田くんの方を見て、そういえばと口を開く。
「こうやってふわふわ浮かばせられるし、よく考えたら峰田くんと一緒だね」
「一緒!?」
「うん。そ!一緒一緒。」
よっしゃー!と少し大袈裟に喜ぶ峯田くんに笑いながら、いえい!とハイタッチをする。ほよんとした手のひらは小さくて可愛かった。
「んー、でもさ」
「へ?…あっ!」
「手固定させたら結構不利じゃね?」
瀬呂くんの声に振り返った直後、何かが飛んできた。首を傾げながらそう言われて、手首に巻き付くテープに言葉を失う。力を入れても、それはちっとも剥がれそうにない。完全に油断していた。
「うわ…瀬呂…それはずりぃぞお前…」
「そーだぜ!男らしくねェ!」
引いたようにそう言う峰田くんと切島くんに、「それ言われちゃ弱いなー…」と、瀬呂くんは苦笑いを向けた。悔しい。個性だけじゃなくても、私はまだ弱い。そう思った途端、くん、_とテープを引き寄せられて、え、あ、わ…!とそのまま体が前に倒れかけた。
だけれど私の体は倒れる事はなく、ぽす、と瀬呂くんの胸に受け止められた。
顔を上げると、少しだけ得意気な顔をした瀬呂くんと目が合った。
「少なくとも、まだ力では負けてねえかな」
「う、」
悔しさに、うぐ、と下唇を噛んだ。
普通の女の子ならどきどきとする距離なのかもしれない、けど。今の私は下に見られた事へのもやもやの方が上回っていて。
息を止めて、ぐぬぬ、と頭に血を集める。頭痛がする程強く、強く目を閉じる。今だ!
「えいっ!」
「ぶわ!」
良かった、上手くいった。目を開けて、霞む視界の向こうで、特大の
綿が顔に当たった瀬呂くんの姿が見えた。浮かんでいた髪が、ふわりと戻る。手からじゃなくて、念じて作るのはあんまり得意じゃないけれど。… それに正直原理もあまり良く分かっていなけれど。力を込めて密度の濃い様なのを作ったし。それが顔にクリーンヒットしたら中々に吃驚するだろう。
瀬呂くんがよろけるのと同時に、手を拘束していたテープが剥がれた。
自由になった腕に、やった!と顔を上げ、嬉しさに胸を張る。
「わははー見たか!手からじゃなくても出せるん、だ_」
あれ、と 目に映っていた瀬呂くんの姿が急に斜めになり、瞬いた瞬間見えたのはスローモーションの様に近付いてくる地面で。視界の端が、侵食されるように暗転していった。
「綿ちゃん!?」
倒れる中、ぽすんと柔らかい誰かに抱き締められて。霞む視界の奥で枝垂れた茶色の髪が見える。
お茶子ちゃんかな、と思った。遠くで声も聞こえる。けど、ゆっくりと意識は遠のくだけで。
負荷かけすぎちゃったかな、我ながらダサい。
心配、かけたくないのにな。
そう思ったのを最後に、私は意識を手放した。