02 壊れる前に手放した

話せるのか、ってこの人今言った?

なぜだか分からないけど涙が止まらなくて、悲しさとかは無いけれど、意志とは関係なく生理的な何かで、ボロボロと視界が歪んでく。話せる、話せますと返事をすると、"分かった"と短く声が聞こえた。

分かった、分かったってどういうこと。

「少し屈んでてくれ、すぐに終わらす」

そう言われると同時に吹いた、痛い程の風に。反射的に目を瞑った。
交差させた腕の間から、霞んだ視界の奥で。大きな翼を広げた黒い鳥が見えた気がしたのは、私の見間違いだろうなと、その時は思っていた。

_____

「怪我は無いか」

「う、うん…無い、です」

強い風に思わず転んでしまったのか。地面に打った腰が少し痛いだけで、特に目立つ怪我は無かった。
目の前に差し出された手に、手を重ねて立ち上がりながら、そう返事を返す。
反対の自分の手を見て、軽く握って開くなど、簡単な動きをしてみると。当然かのように動いた。いつも通りに動くのがどうしようもなく嬉しくて、また泣きそうになった。
先程の鉛みたいな重さは、嘘みたいに何も無くなっていた。涙も止まっていて、まるでさっきまで居た何かが丸ごと居なくなったような、そんな感覚だった。

聞いたら、戻れなくなるような気がしたけれど。聞かずには居られなくて、この場を逃したら、きっと二度と聞けない、そう思って。
" あ、あの "と、ゆっくりと口を開いた。

「さっきの、何なんですか 」

「…もしかして、今まで見た事無いのか」

驚いたように問われた言葉に、こくこくと首を縦に振った。驚きたいのはこっちだ、あんなの、生まれてこの方見たことが無い。

「な、ない、…多分。ここ最近で増えた、気がします。」

ない、と口にした瞬間。喉元に何か引っ掛かりを感じて、たぶん、と小さく付け足した。無いというのは、半分が本当で、きっと半分は本当ではない気がする。
思えば、ここ最近でおかしな事は増えていた。
帰り道にふと後ろを振り返る事が多くなったこと、息苦しくなることが増えたこと。電車での赤ちゃんに憑いてたあの"何か"も 、きっと、そう思えば。普通じゃないことの方が、多かった様な気がする。

そうか、と一言呟くと。彼は私の顔を覗くように少しだけ、屈んでくれた。
綺麗な目、私と同じで真っ黒なはずなのに。濡羽色、というのかな。黒曜石みたいに不思議と光るように見えるその色な、あまりにも綺麗で。一瞬息を呑んだ。

「…俺は、伏黒 恵。」

ふしぐろくん、飴玉のように口の中で転がすと。パズルのピースが当てはまるように、かちりと音が鳴った気がした。こくりと一回、頷かれる。

「私は、篠崎 明里、です 」

篠崎と伏黒くんの声で呼ばれて、うん、と先程の彼と同じように頷く。

「分かった、覚えるように、する」

「覚えるようにって、…ふふ、」

あまりに正直な返しに、思わず少し笑ってしまった。当の本人は何故笑われてるのか分からない、という顔をしていて。ごめんなさい、そう返すと。平気だ、と短く返される。
" 面倒だったら、敬語も外して構わねえから "
少し目を逸らしながら言われた其れに、数度瞬きをした。うん、分かった。と頷き返す。

伏黒くんって、きっとすごくいい人なんだろうなと、そう思った。少しだけ不器用な優しさが、茜色の夕焼けみたいで、緊張していた心が少しずつ溶けていく。そんな気がして。
好きだな、と心の中で呟いた。_心の中で、だけれど。

少しなにか考える様にした後、伏黒くんは目を伏せ。"悪い、"と一言先に告げてきた。
何が? とそう聞くと、伏せられた目が開けられて、今度は真っ直ぐに見られる。

「少し、知り合い…というか、先生に連絡を入れていいか。今の状況を話せる人が欲しい。」

今の状況を話せる人、そういう言い方に少し蟠りを感じたのが本音だけれど。何故か。その真っ直ぐな黒い瞳を見ているうちに、うん、と頷いていた。

私の返事を聞くなり、伏黒くんは「…さんきゅ」と小さい声で言うと。ポケットからスマホを取り出し、手馴れたように誰かの連絡先を押すと其れを耳に当てた。
人の携帯を見る趣味は無いし、何より。伏黒くんはそういう危ない人だとは思わないから見ないように目線を逸らす。
…思わない、と言うだけで信用するのもアレな気がするけど。

風が吹いて、流れた髪を耳にかけた。
ふと、先程の強い風を思い出す。

伏黒くんの広い背中が、ふとまぶたの裏に思い起こされた。

初めて会って、そんなに時間も経っていない筈なのに。その背中を信じてみたい、と思ってしまったのは。何故だろう。


____

「_はい、じゃあ、そういう事なんで。」

ピッ、と画面をタップして切った様子の伏黒くんに、"先生、どれぐらいかかるって?"と訊ねると。「多分1分以内には」と返された。

そうか1分、_ん?1分?

この通りは民家や人通りの少ない路地があるだけで、学校なんて、地元の小学校以外滅多に見ないのに。

それって少し盛ってない? と口を開こうとした瞬間、「恵〜、先生来たよ」という低い声に、其れは遮られた。

嘘、とバッと急いで声の先の方に振り返る。
目の先にいたのは、黒い布みたいなので目を隠した、白髪のつんつんとした頭の、…兎に角、すごく背の高い人で。こんなに高い人見た事がなくて、思わず少し半歩後退る。

"え、彼女?先生まだ聞いてないんだけど"

開始早々とんでもない勘違いをしている、この人。
私がえ、と口にするのとほぼ同時、先生が最後まで言い切る前に、伏黒くんの拳が空を切った。
凄い速さだった、私が瞬く間も無く一瞬に振るわれたけれど、当のその人にはそれは"当たっていなく"て。

不思議なことに、見えない空気の層があるみたいに、伏黒くんの手はそこで止まっていた。チッと小さく舌打ちをしながら、伏黒くんは拳を下ろす。

「やだなあ、そんな怒らなくたっていいじゃん」

「あんたの場合デリカシーが無さすぎんですよ、一人で突っ走らないで下さい」

「まあまあ、で?その子が電話で言ってた子?」

急に話を振られて、え、と顔を上げた。
なんだろう、この人を見てると少しだけ、胸がザワザワする。夜、風に揺らいだ木々の葉が擦れるのが怖いと思うような、そんな感覚。

こつ、と一歩近づかれて、思わず私も後ろに下がる。
見てると圧倒されそうで、目を下に向けながら。あ、あの、と声に出そうとした瞬間。ふと、視界に影が落ちた。

「伏黒、くん?」

顔を上げると、伏黒くんの背中が見えた。そこでようやく、自分の手が少し震えてることに気付いた。
「怖がってるじゃないですか。」という声が聞こえて、目を丸くする。

私とあの人の間に入ってくれたんだ。

え、そんなに怖かった?と、そう笑いながら言うその人に。伏黒くんが当たり前でしょ、あんた自分の身長と見た目知らないんですかと返す。
仲がいい人には少し毒舌なのかな、と思った。

「えー、見た目怖い?じゃあ分かった。ここから動かないようにする。」

落ちていた石ころを拾い、すぐ下の足元に置きながらそう言われて。驚いて へ、と声が漏れた。ズボンのポケットに手を入れたまま、先生は此方を見てにこにことしているだけで。本当に動く気がない、という様な感じだった。先程までの怖さも、あまりない。

篠崎 と隣の伏黒くんに呼ばれて、顔を上げる。

「あの人、見た目は怖いけど悪い人じゃねぇから。」

「え、待って僕まだ名前聞いてないんだけど。聞いてもいい?」

突然だな、と少し驚いたけれど。多分このマイペースさがこの人のいい所なんだろうなと、そう思った。
先生は顎に手を当てると、あ。僕から言った方がいいか、と思いついたように続けた。

「僕は五条悟。皆からは五条先生とか先生とかって呼ばれてる。」

五条先生、と繰り返すと。そうそう、と嬉しそうに頷かれた。伏黒くんに、五条先生。ややこしい名前じゃなくて良かったと、心の中でそっと胸を撫で下ろす。

「私は、篠崎 明里です。」

「篠崎 明里、うん覚えた。これから宜しくね、明里」

「宜しくお願いします…って、ん?え、それってどういう_」

え、聞いてなかった? そう言われて、何も聞いてないです と返すと。五条先生は「恵〜?」と視線を伏黒くんに移した。_目隠しされてるから、視線なんて分からないけど。視線を移された伏黒くんは、少しだけ居心地の悪そうな顔をしていて。"だってなんて言えばいいのか分からないじゃないですか" と目を逸らしながら告げる。

待って、何の話?私何も聞いてないよ?と慌ててる中、五条先生が「じゃあ僕から言うね。」と口を開いた。は、はい と無意識に声が震えるけど、こくんと頷く。にっこりとした五条先生と、目隠し越しに目が合ったような気がした。

「明里。今日から君は、我が呪術高専に来てもらう事になりましたーいえい!」

「呪術高専?え、それって私立の」

"知ってる?有名だよね、まあ本当は公立なんだけど"
と衝撃の事実を付けられて、思わずえ!と大きな声が漏れた。だって、呪術高専と言えば。東京にある宗教系の私立じゃなかったの。
話を聞いてみると、どうやらそこにはじゅじゅつし?という方が居るところで、というかそういった人たちを育む場所らしくて。

私が先程憑かれていたのは呪いの一種だと言うこと。

それを伏黒くんが祓ってくれたということ。

普通呪いに憑かれたら病院に通ったりしなきゃいけない等と後遺症が残る筈なのに、私は何も無かったということ。

呪いに対して何かがある私が普通の生活を続けるのは、少しだけ難しいから呪術高で預かろうという話になったこと。

あまりに多い情報量に目が眩みかけたけれど。何とか無い脳みそを振り絞って理解をする。

「いきなり沢山話してごめんね、理解するのもゆっくりでいいから」

「理解は、何となく出来たんですけど、ひとつ聞きたいことが 」

「えっすごい。いいよ。何でも聞いて」

「えっと、…その、私の通ってる、今の高校については。」

「…勝手にやって申し訳ないけど、学校側と御家族の方には、もう連絡を入れといた。」

え、と。告げられた言葉に目を丸くした。
家族。…家族と言われても、あの人だけだけれど。きっと荷物になってる私が居なくなると聞いたら喜ぶ人だ。だから、あまり動じなかったけど。学校側にも承諾されたのは、正直少しだけショックだった、という表現が正しいのかもしれない。

先生に裏切られた、とか。そういうことよりも、いつも遊んでいた友達との、何気ない日常が離れていくのが。少し辛かったのかもしれない。
ぐわんぐわんといつもの景色が頭の中を回ってる中、「友達の事か?」という伏黒くんの声が聞こえた。

その声の方を向くと、伏黒くんのあの、真っ直ぐな黒い瞳とまた目が合った。夜みたいに深い色なのに、何故だかすごく優しい色。

「多分だけど、巻き込みたくないだろ」

その言葉に、先程の感情を思い出してハッとした。
そうだ、あんなに怖いのに。大好きな、大切な友達を巻き込みたくない。

顔を上げる。今度は、逸らさない。

「…絶対、嫌だ」

「じゃあ、来い。俺と同い年の奴も居るし、先輩も優しい。…先生も、悪い人じゃねえ、から」

語尾に連れて小さくなる伏黒くんの声、その後ろで、少しだけ嬉しそうに笑っている五条先生の姿が見えた。
きっとこういう人柄じゃないんだろう、だけれど。不安そうにしてる私を見て言ってくれたのかな、そう思うと嬉しくて。

うん、お願いします と、先程と同じように。目の前に差し出された少し大きな掌に、右手を重ねた。

今は、この温もりを信じていたくて。

prev / next
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -