終曲 〜finale〜
舞台への階段を一段、また一段と上っていく。竪琴を抱える手が、少し汗ばんできた。階段を上りきり、一歩一歩確かめるように静かに舞台の真ん中まで行き広場を見渡すと、そこには私を見つめる何百対もの瞳があった。こんなに沢山の人の前で歌うのは初めてだった。
私は竪琴をの弦に手を添えると、目をつむって深呼吸をした。すると、暖かい風が胸の奥に流れ込んでくるような感覚がして、私の緊張や不安が消えていくような気がした。耳を澄ますと、さらさらと吹き抜ける風の音に紛れて、微かに蜜蜂の羽音が聞こえる。
大丈夫。きっと大丈夫。
歌う曲はもちろんあの曲。簡単でありきたりだけど、あの少年が好きだと、蜜蜂たちが好きだと言ってくれたあの曲。
私はすぅっ、と息を吸い、歌い出した。
静寂の季節は終わった
今 野に山に 音が溢れ出す
野を走る冷たい硝子は
やがて蝶と遊ぶ風になるだろう
歌え歌え 春の歌
野を翔る蜜蜂と共に
北国から帰った燕と共に
真っ白な季節は終わった
今 野に山に 色が溢れ出す
地に眠る硬い種たちは
やがて足元に笑う花になるだろう
踊れ踊れ 春の歌
新しい風に上着翻して
緑萌える大地踏みしめて
間奏に入り、私は竪琴を掻き鳴らしながら、人々の中に懐かしい影を見た。蜂蜜色のバンダナ、揺れる長い金髪、明るい碧の目。目があった―――
待ち続ける季節は終わった
今 あなたの元へ この足よ歩み出せ
頬濡らす別れの涙は
やがて私を導く道になるだろう
届け届け 春の歌
眠りの季節の終わり告げて
はじまりの季節の喜びのせて
届け届け 春の歌
あなたに届け 春の歌
歌が終わり、一瞬の静寂。温かな風が町に吹き抜ける。
今までの風と違う、もっとキラキラした風。
そして次の瞬間に私を待っていたのは、割れんばかりの拍手と歓声だった。
町に春が来た。
私は喜びに湧く人達や、舞台脇で何か叫んでいる町長さん達には目もくれず、舞台から飛び降りて、私の春の象徴に駆け寄っていった。
「ねぇ、春よ!春だわ!あなたが春を呼んだのね!」
「そう、春なんだ。私が春を呼んだんだ!」
私達二人ともそれ以上は何も言えず、
お互いを固く抱き締めた。
それは確かに、私にとっても、町の人達にとっても、七年ぶりの春だった。
春の歌をのせた蜜蜂の美しい羽音は、野に山に、いつまでもこだましていた。
おわり
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