六楽章




長い長い沈黙。空はいつの間にか赤くなっていた。空にくっきりとそびえる山々のシルエットの上を、柔らかい春の雲が様々に色を変化させながら流れていく。そろそろ町に戻って宿を見つけた方が良いだろう。そんな私の考えを見透かしたように少年言った。

「話を聞いてくれてありがとう、お兄さん。もうすぐ暗くなるし、もう戻った方が良いかもね」

「そうだね」

町の方へ歩き出そうとした。しかし少年はそのまま立ち止まったままだった


「君は戻らないのかい?」

「僕はもう少しここにいるよ。人を待ってるんだ。なかなか来ないけど…でも、きっともうすぐ来ると思う」

「そっか…それじゃあ元気で…」

別れの言葉を言いかけた私は、ふとあることを思い出して、少年に聞いてみた。

「……私は七年前に一度この町に来たことがあるんだけど…、その時に旅をしている養蜂家の人達に出会ったんだ。皆お揃いの蜂蜜色のバンダナをしていてね。君は今まで、そんな旅する養蜂家が町に来たとかいう話を聞いたことがあるかい?私はもう一度あの人達に会ってみたくてね」

その時私の頭の中には、七年前に出会った養蜂家の女の子との思い出が鮮明に映し出されていた。

それは春祭りでのこと。私たちは歌うたいの歌を聴き終えたところだった。

『ねぇ、さっきの人の歌、とても素敵だったわね!私、つい踊り出したくなっちゃった』

『うん、綺麗だったね』

『あなたも吟遊詩人なんでしょう?だったら、いつかあの舞台で歌ってみせてよ。私、あなたがあそこで歌ってるとこ、見てみたいわ!』

『僕があそこで歌ってるところを?』

『そう。だって私、あなたの歌が好きだもの!』

そう言うと、彼女は大きな口を明けて、明るく笑った。

たったそれだけの、ちょっとした思い出。でも、彼女との会話の中で一番心に残っている思い出だった。



「うーん…、最近は見てないなぁ…。昔はよく来てたみたいだけど」

「そっか」

あまり期待はしていないつもりだったが、少年の言葉に私は肩を落とした。しかし少年はその後にこう続けた。

「でも、もしまた春が来たら、その人たちもまた来てくれるかもしれないね。じゃあ!」

そう言うと、少年は悪戯っ子のような笑みを浮かべてそのまま駆け去り、花畑の夕闇に消えていった。

私は暫く言葉なく少年が去った方向を見つめ、今度こそ町へ歩き出した。


その後三日間は何事もなく過ぎだ。私はその間に町を歩き回っては、蜂蜜色のバンダナをした人を探し回ったり、あの不思議な少年に思いを馳せていた。まだ幼いのに、七年前のことや昔のことを、まるで全て知っているかのように詳しく話してくれたあの子は、一体何者だったのだろう。あの子のことも探してみたけれど、あの日の夕方に別れてから、あの子に会うことは無かった。


そしてついに祝祭の当日の朝。町は一層賑やかになり、広場には人がごった返している。私もその中の一人だ。色とりどりの屋台や花、風船、それに楽器の音。目が回りそうだった。そんな中。

「何、どういうことだ!!」

広場の一角…あれは歌うたいが歌うために設置された舞台の方からだろうか。悲痛な声が聞こえてきた。気になって近づいて聞き耳を立てると、町長らしい人と他に何人かが深刻そうに話すのが聞こえてきた。

「では、歌うたいは今日歌えないというのかね?」

「ええ。昨日、彼は唇を蜂に刺されて、その痛みで歌えなくなってしまったんですよ。顔も酷く腫れてしまいましたし…」

「では、今年の歌い手は…」

どうやら、今年選ばれた歌うたいが蜂に刺されて舞台に立てなくなってしまったらしい。

そこへ、今度は広場の向こう側から小さな子供の声が飛び込んできた。

「母さん母さん!!今の見た?金色の蜜蜂だよ!金色の蜜蜂が飛んでたよ!」

その歓声とも言える声は広場中にリレーのように広がっていった。

「ねぇ、あなた!金色の蜜蜂が飛んでる!!」

「おい見たか?今の…」

「待って!金色の蜜蜂さん!」

そして歓声のリレーが私の近くに近づくと同時に、私の目はキラキラした何かを捉えた。

金色の蜜蜂。

しかしこの前と違って、人の手で作られた金細工の、ブローチの蜜蜂だ。それが、薄い琥珀の羽を羽ばたかせて、真っ直ぐこちらに向かってきて……………私の胸元に留まった。

私の周りにはいつの間にか人垣が出来ていた。人々の視線が私の胸元に集まる。

「…金色の…金細工の蜜蜂だ。歌うたいのブローチが帰ってきたぞ…!」

誰かが呟くと同時に、広場の人々からワッと歓声が湧いた――――


☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆


さて、これが私が祝祭の歌うたいに選ばれるまでの物語です。この後のことは、あなたもきっと想像がつくでしょう。私は町長さんや、町の人々に、代わりの歌うたいになって欲しいと言われ、今ここにこうしているのです。

………私には、この町の人々が本当に神様のことを忘れてしまったとは思えません。だって、本当に忘れてしまっていたら、『蜜蜂のブローチが留まった』という理由だけで、私を歌うたいに選んだりはしないでしょうし、あんなに喜んだりはしないでしょうから。………よく、『失ってからその大切さが分かる』と言いますが、『失ったものをまた取り戻してから、その大切さを思い出す』こともあるのではないでしょうか。確かに人はもう蜜蜂の神様がいなくても、自分達の力で生きていけるかもしれません。けれど、蜜蜂の神様は知らず知らずのうちに人々の心の拠り所になっていた…私はそう思いたいです。


おや、もう本番の時間ですね。ここまで私のつまらない物語を聞いて下さってありがとうございます。お陰で緊張が解れました。……私が本当に春を呼べるかは分かりませんが……どうぞ聴いていってください。では、行ってきます。


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