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長い年月が流れた。私は変わらずこの森の守り神として存在し続けている。そして、この花園で風に揺れるブランコを見つめている。変わったことと言えば、以前より人間達を森に受け入れるようになっていったことだ。きっと、彼女とその旦那さんが、町の人に働きかけてくれたのだろう。
私は花園で、吹き抜ける風に目を細め、彼女と過ごした温かい時間を思い出していた。そしてそうしているうちに、眠ってしまった。
◇◇◇
季節は春。ザァッと吹いた風に、たんぽぽの白い綿毛が一斉に舞い上がる。私は伸びをしながら起き上がると、ぼんやりと周りを見回した。そして、そこに自分以外の誰かがいることに気がついた。
一人の老婆だった。
老婆は微笑みを浮かべながら、こちらにゆっくりと歩いてきた。ほっそりとしていて、儚げで、けれどその顔に浮かぶ微笑みは少し悪戯っぽい。
私の前まで来ると、老婆は私に話しかけた。
「お兄さん、ここ、どこだか分かる?私ね、迷子になってしまったみたいなの。木苺を採っていたらね、いつの間にかここまで来てしまったの」
「…」
私は老婆の顔をまじまじと見た。それは、紛れもなくあの少女だった。
「どうして…」
「あなたはずっと変わらないわねぇ。あのブランコもあの頃のままちゃんとあるのかしら?私はどうしても、あのブランコにまた乗りたくてねぇ」
◇◇◇
ブランコに乗る彼女の背中を、私はそっと押す。再びこんな風に、ブランコに乗る彼女の後ろに立つ日が来るとは。
静かな沈黙が流れる。けれど、それは心地よい沈黙で、お互いしゃべらずとも言いたいことが分かるような気がして不思議だった。
しばらくそうしていると、彼女が沈黙わ破った。
「たんぽぽも、風も、木漏れ日も、昔と変わらない。あなたがずっと護ってきたのね。ありがとう」
彼女の後ろに立つ私からその表情は見えないけれど、声はとても幸せそうだった。その頼りない背中をそっと押し続ける私は、何か胸騒ぎがしてならなかった。
再びの沈黙の後、彼女は「もうそろそろ行かなきゃ」と、ポツリと呟いた。
「最後にこのブランコに乗れてよかった。あなたに会えてよかった。楽しい時間をありがとう」
その言葉でようやく胸騒ぎの招待が分かった。
駄目だ。まだ駄目だ。まだ私は何もお礼を言っていない。どうか少しだけ待っておくれ…
けれど、次に私が彼女の背中を押したと同時に、彼女の体はふわっと沢山のたんぽぽの綿毛の群れになって、空に舞い上がった。舞い上がって消えてしまう直前に、振り返った彼女の微笑んだ顔が見えた。
行き場所をなくした両手を前につきだしたまま、私は沢山の綿毛に囲まれて空を見つめていた。誰かを失って、こんなに悲しかったことはない。誰かに再会して、こんなに嬉しかったことはない。やがて両手を力なく下ろすと、私は手を緩く握った。そして、ふとあることに気がつく。
私の右の手のひらには、いつの間にかハンカチが巻かれていた。彼女のハンカチだった。餞別なのだろうか。
私はそのハンカチで、自分の頬に伝っていた涙を拭いた。ハンカチは甘い香りがした。あの時、少女が摘んでいた木苺の、甘い、懐かしい香りがした。
◇◇◇
私はこの森の守護神。私と、今は亡き私の友との思い出の地であるこの花園の番人です。
森に恵みをもたらす者には幸せを、森に害をなす者には裁きを与えましょう。
そして、もしもあなたが森を大切にしてくれるなら、どうかこのブランコに乗っていってください。私と、私の友達の、大切な思いでのブランコです。
私は今、ブランコの新たな乗り手を待ちながら、森が、また人間と一緒に歌う日を夢見ながら、この森を護っています。
さぁ、あなたはどちらですか?
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