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そこにいたのは、まだ幼い人間の少女だった。こちらをしげしげと見つめている。
殺さなければ…。
私はぼんやりと思い、ゆっくりと起き上がった。
殺さなければ…。この子も大人になれば森を荒らす人間の一人になるだろう…。だから今のうちに…。
けれどなかなか体が言うことを聞かない。いつもなら、人間を森の中で見つけたら無差別に殺していたのに、心も体も疲れきっていて動くのがとても億劫だった。
私がなかなか動けないでいると、少女の方から近づいてきて声をかけてきた。
「お兄さん、ここ、どこだか分かる?私ね、迷子になっちゃったみたいなの」
「…」
不安げに揺れる少女の目。でも、どうやらその不安は私に対するものではなく、彼女が言う通り迷子になってしまったことからの不安のようだ。不思議な子だ。大抵の人間は私の姿を見ると少なからず驚いたりたじろいだりするのに。私は少し警戒しながら聞き返した。
「どうしてこんな森の奥深くまで?独りで来たのかい?」
「木苺を採っていたらね、いつの間にかここまで来ちゃったみたいなの」
少女は、「ほら、沢山あるでしょ?」と、持っていたバスケットを差し出す。中には赤く熟れた木苺が一杯。
「お兄さん、どうやって帰ればいいか分かる?」
「…」
私は迷っていた。この子をこのまま帰していいのか。森の中は知り尽くしているから道案内など容易いことだ。でもこの子は人間の子供。生かしておくべきではないのではないか…
私が黙っていると少女は何かに気がついたように「あっ」と言うと、私の手をとった。私はその行動に驚いて肩を揺らした。けれどそれに気付かず少女は言った。
「お兄さん、手、怪我してる…」
「え…?」
自分の手を見ると、血がこびりついて汚れている。私は眉をひそめた。
違う、違うんだ。これは人間を殺したときに着いた、彼らの血なんだ。私のじゃ無いんだ…
少女はそうとは気付かず、心配そうに私を見ていた。そして、何か思い付いたようにポケットを探り始めた。取り出したのはハンカチ。少女はそれを私の手のひらに丁寧に巻いた。包帯代わりのなのだろう。
「これで、少しは痛くなくなった?」
「…」
こちらの目を真っ直ぐ見つめてくる少女に、私は黙って頷いた。
殺そうという気持ちは、すっかり無くなっていた。
◇ ◇ ◇
私は少女を森の出口まで送った。出口に着くまで、少女は私に他愛のない話をずっとしていて、私は黙っているとそれに耳を傾けていた。そして出口に着くとは少女言った。
「お兄さん、また来ても良い?」
「…だめだよ。森は危ないところだから、もう決して入ってはいけないよ」
私はそう言って少女に背を向けると奥へ戻った。少女が何かこちらに言っている気がしたが振り返ること無く進んだ。
けれど花園に戻って自分の手のひらを見ると、今日やって来た小さな客人のことを微笑ましく思い出した。そこにはまだ、ハンカチが巻かれていた。
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