海岸の窓 番外篇1 | ナノ


あなたの名前


海底まで届いてきた月光が、果てしなく続く蒼の中で光のカーテンを作っている。今日は満月なのだろう。私は、満月の日に海岸で歌うのが好きだ。何故だか分からないけれど、満月の海岸には、何か素敵なことがあるような―――いや、あった気がするのだ。ふわりと尾を動かすと、私は月の光に向かって泳ぎ出した。

「今日は、いつもと違う海岸へ行ってみよう」

私は海面から少し顔を出すと、辺りを見回した。

「…あの海岸…」

私は、ある海岸に惹かれた。私が、まだ一度も行ったことのない海岸。なのに、何故だろう。

「…私は、あの海岸を知っている気がする」

私は不思議な感覚を胸に、その海岸へ向かった。

   ◆   ◆   ◆   ◆

海岸には先客がいた。遠目でも分かる。沢山のデビル達と、その真ん中に立つ一人のアナザー。普段なら、私はそのまま誰もいない別の海岸を探しただろう。けれど今夜は違った。

海岸にいる彼らが、とても楽しそうに見えたから。

私はゆっくりと海岸に近付いて、彼らから少し離れた岩に背をあずけた。彼らの話し声が聞こえる。細かくは聞き取れないけれど、彼らの話し声は耳に心地よかった。

その時、ある一つの声が私の耳をくすぐった。やはり細かくは聞き取れない。けれど、それから私の耳にはその声ばかりが響いた。

柔らかい声。優しい声。懐かしい声。私はこの声を知っている。貴方は誰…?

私はもう少し彼らに近づいた。話し声もはっきり聞こえるようになった。私は思いきって少し顔を覗かせた。そして――

「…シルファ…?」

デビル達の中心にいる声の主を見たとき、私はそう呟いていた。

けれど、『シルファ』って誰…?そんな名前聞いたことがない。あの声の主の名前なの?けれど私はあの人には会ったことがないはずだ。なら、何故私はあの人を見て『シルファ』と呼んだの…?

「昔、洪水があったろ?」

ぐるぐると考えている私に。またあの声が流れ込んでくる。

「私と彼女は、共に住む家こそ無かったけれど、毎日幸せだったよ。でも洪水を境に、彼女と会えなくなってしまってね。私は彼女との思い出を抱えたまま、またここにいるけれど、 彼女はどうしてるかな…」

――洪水。その言葉を聞いたとき、私の周りから音が消えた。そして入れ替わるように、ゴォゴォと低く唸るような音が頭に響いた。洪水の音だ。私は、その前のことを覚えていない。

貴方はシルファなの?貴方はもしかして、洪水の前の私を知っているの?

考えれば考えるほど苦しくなる私を、また、彼の声が我にかえらせた。

「だけどね…彼女との別れの延長線上に、君達との出会いがあったんだ。それはとても幸せなことなんだよ。私は、『前の私』とはまた違う、守りたいものや、力になりたいもの、新しい恋にも出会うことが出来たんだよ。それに……あの時確かに、彼女は私を―――私だけを見て笑ってくれていたんだ。」

―――そう、貴方は今幸せなのね。

私は今、きっと微笑んでいるだろう。

きっと貴方が、昔の私が愛していたかもしれないシルファなのね。でも私、貴方がシルファだとしても、そうじゃなかったとしても、今貴方が幸せだって分かって、自分自身も幸せだわ。こんな気持ちは初めて…

それから私はその日彼らが帰るまで、彼らをずっと見つめていたのだった。



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