あなたを運ぶ風
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波間から聞こえる歌声に、私は動きを止めた。澄んだソプラノ。間違えるはずがない。彼女だ。
会いたかった。貴女にずっと会いたかった。
気がつくと、私は声がする方へ一心不乱に駆けていた。歯をくいしばって、うつむき加減で、前もよく見ず。そこに誰もいなかったら…、幻聴だったら…、夢だったら…。それが怖かったから。
その時、私の足はもつれた。
ああ、倒れる――――。
スケッチブックと杖で両手が塞がってる私はやってくるだろう衝撃に耐えようとした。しかし…
「貴方を信じて良かったわ」
衝撃は来なかった。私は、そこで始めて前を見た。深い海の色をたたえた瞳。彼女の顔がすぐ近くにあった。
夢じゃない。
私は彼女に支えられたのだ。
「遅くなってごめんなさい。貴方が来なかったらと思うと、怖かった。貴方はこんなにびしょ濡れになるまで待っていてくれたというのに…」
私は黙って微笑むと、彼女を抱き締めた。杖は私の手を離れ、私達は再会を果たした。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「これが八百屋さん。こっちは公園。子供たちが元気に駆け回ってて、私もよくここで絵を描くんだ」
海岸の岩の上で、私達は並んでスケッチブックを見ていた。幸せな時間。彼女は表情をくるくる変えて、私の絵に質問してくる。
「この白くてふわふわした花はなに?」
「それはタンポポさ。タンポポはね、その綿毛で風にのって、旅をする花なんだよ」
「旅をする花?」
「そう。もしかしたら、私なんかより、ずっと外のことを知ってるかもしれないね。」
彼女は感心仕切ったように頷くと、少ししてから言った。
「『私なんか』と貴方は言うけれど、貴方はいつも私を知らない世界に連れてってくれる。私にとって、貴方は私を旅に連れていってくれる風なのよ。だから、もう『私なんか』なんて言わないで。それとね…」
彼女は首を少し傾ける。
「絵の中の私、とても幸せそうに笑ってる。でも、貴方自信はどの絵にも描かれていないのね。私、笑うなら貴方の隣がいいわ。」
「…」
それから、次の日また会う約束をして私達は別れた。その時の私は、胸に一つの決心を抱いていた。
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