TEXT 02 | ナノ
「名前!」

 とつぜん名前を呼ばれて、思わず振り返りそうになってしまう。その声は本来聞こえてはいけない声だったのに。振り返らずとも相手などすでにわかっていた。無事だったことへの安堵と、彼女まで捕まってしまったのかという不安。
 反する二つの感情が私の中でぐちゃぐちゃに混ざって、複雑な心境に陥った。ちらりと移した視線の先には、やはり男に銃を突きつけられて歩いてくるベネの姿。「向こうなんか気にしてる余裕あんのか?」眼前の男がそう囁く。
 侮蔑の眼差しを男へ送れば皮肉そうに吊り上る口端。「その威勢だけは認めてやるよ、」男が吐き捨てるように笑った。私はそれを、ただ見ていることしか出来ない。いつもなら文句の一つや二つ、相手に浴びせられるのに。――悔しい。くやしい。

「どうして、こんなことするのよぉ!」

 この状況を理解できないとばかりにベネが甲高い声を上げる。フロア中に響き渡った女の金切り声はお気に召さなかったらしい。とたんに、しかめっ面になる目の前の男。
 顔を動かさなくても、こちらから表情がはっきりと見える位置まで彼女が連れて来られた。ベネを連れてきた男が、ちらりとこちらへ顔を向ける。「あ、んたは昼間の…」あ然とした。ベネのうしろにいた男はにやりと口端を吊り上げて、皮肉そうな笑い方をしてみせる。「あー、アンタと会うのはさっき振りっスね」鮮やかな黄色い髪を湛えた昼間の男が――どうしてここに?
 あまりにも色々なことが起こり過ぎて思考がうまく追いつかない。これは、最初から仕組まれていたことだったのだろうか。あの時から、私はこの男達に監視でもされていたのだろうか。
 ――こいつがここに居るってことは、店主のジェフはどうなったの。まさか、殺されてしまった?
 そこまで考えて浮かび上がったひとつの仮定に、ぶるりと背筋が震えた。たらりとまた、背中を冷や汗が伝っていく。

「まあ、ここに長居するわけにもいかねえしな」
「そうっスね。そろそろ行かないと、」

 黙れとでも云うように、背中に銃を突きつけられたベネの表情がみるみる青ざめていくのが見えた。二人が私たちの存在を無視するように話し始めるのを、ただ黙って聞いていることしか出来ない。
 眼前の男があまりにも無防備すぎて、私はすっかり油断していたのだ。もし、ジェフが殺されていたのなら私たちも間違いなく殺される。すこしでも油断して気を抜いた自分を責めたてたところで、もうどうにもならない。それよりも、まずは、
 ――どうにかしなきゃ。ベネだけでも如何にかして逃がさなきゃ。
 話に集中している男達を余所に、私は周りに何かないかと目を凝らした。あるのは、客が座る椅子とテーブル、ショー用のポールだけ。ベネも丁度わたしの真横に居て、手を伸ばせば何とかなりそうな位置に居る。
 脳内でそうシミュレーションして、眼前の男をもういちど見遣った。チャンスは一度きりしかない。失敗すれば、二人ともきっとこの場で殺されかねないだろう。けれど、このまま考えていたって埒が明かないのは分かっている。
 ――やるなら、今しかない。今なら、いける。そう、声が聞こえた気がした。

「ごちゃごちゃ無駄話してる暇なんて、ないんじゃないの?」
「名前…?」
「さっき、店長を逃がしたでしょ。考えなしに行動して馬鹿じゃない?」

 はっと吐き捨てるように嘲笑って、男達を見つめる。「今頃、警察に連絡でも入れてると思うんだけど。逃げなくていいの?」捲し立てるように言葉を紡げば、突然話し出した私を不安そうに見るベネと目が合った。
 顔を見合わせる男たち。「ちょ、アオミネっち! アンタまたやったんスか!?」先に口を開いたのは昼間の男だった。「あ゛? 仕方ねえだろ! あの野郎きょろきょろウザかったんだよ!」そう怒鳴って焦りだす“アオミネッチ”と呼ばれた青髪の男。
 昼間の男がひとつ溜息を吐き出して、怪訝な表情を青髪の男へと向ける。――女だからって、油断したら罰が当たんだよ。知らなかった?
 再度、銃を構えると青髪の男めがけて銃弾を撃ち鳴らした。今度は頬を掠めたことに驚いて僅かに怯んだ、おとこ。
 すかさずベネを押すと後頭部にごりっと、冷たい無機質な鉄の塊が擦れる。昼間の男がベネから私に標的を変えて銃を突きつけたらしく、青髪の男が口元に笑みをつくった。
 きっと後ろにいる昼間の男もあの笑みをみせているだろう。けれど、これで勝った気になるのはまだ早い。これだけの考えで、銃を持った二人の男に立ち向かう人が早々いるだろうか。――答えは、否。

「ベネ! 走って!」

 押されて呆気に取られていたベネに向かって叫び、ポールダンスで身に着けた足腰を使って昼間のおとこ目掛けて、横にあった椅子を足に引っ掛けながら投げつける。
 ごんと鈍い音と悲痛な声が上がったのを合図に、ベネが立ち上がって走り出した。彼女の眸にうっすらと雫が浮かび上がっているのが見える。はっ、はっ、自分の呼吸がゆっくりと鼓膜に響いた。

 3、2、1... カウントダウンは始まった。いまいる世界に別れを告げて!

To be continued...
(13.03.29)
TITLE BY:夜風にまたがるニルバーナ