TEXT 02 | ナノ
--- Striptease Bar"LILITH"



 いつもなら店先に屯(たむろ)する何処かの餓鬼や客引きする女たち、忙しなく動き回るマネージャーの姿がそこにはあるはずだった。それなのに、今日は影も形も見当たらない。
 しんと静まり返ったその一角は、まるで私と建物だけを残して跡形もなく消えてしまったようで、言いようのない不安が押し寄せる。路地の隅から、じわりじわりと威圧的な“何か”が迫りくる感覚。店を出てからずっと、私はその“何か”の視線を痛いほど感じていた。
 呼応するように靄も少しだけ濃くなったような気がして、思わず眉間に皺を寄せてしまう。じっとその場所を、見据えた。――きっと気のせいに決まってる。嫌な考えを振り切るように、歩みを速めながら店内へと急ぐ。
 けれど、入った途端に感じる違和感。いつもは騒がしいはずのそこも、今日は何故だか静まり返っていた。

 バタバタと支度に追われる同僚の姿も、指示を出して騒ぎ立てる店長の姿さえも、何もない。なにも。ただ、ステージライトがくるくると空しく回っているだけで、作り出された七色の光が私の顔に当たっては消え、当たっては消えを繰り返している。
 一体なにが起きているっていうの、この店で。「だれも、いないわけ?」不安を拭うように声を少しだけ張り上げてみても、返ってくるのは静寂とした空気だけ。物音ひとつたちやしない空間に固唾を飲めば、いつもより数倍おおきい音が響いたようにさえ錯覚してしまう。
 誰かがこちらをひっそりと窺っているんじゃないだろうか。そんな不気味な考えが脳裏にちらりと過り、慌ててすうど頭(かぶり)を振った。

「ねえ、どうなってんのよ!」

 誤魔化すように吐き出された大声が店内にびりびりと響き渡る。この異様な状況に精神がヤラれてしまいそうで、叫ばずにはいられない。恐怖の所為か立っている足にも上手く力が入らず、膝がかくかくと笑っていた。
 そのまま崩れ落ちそうになるのを何とか耐えるので精一杯。末端が少しずつ体温を奪われて冷たくなっていき、指先が震える。そんな私を見兼ねたのか、まるでタイミングを見計らったように奥から響く物音。
 次いで、此方へと向かって来る足音にびくりと肩が竦んだ。自分の鼓動が迫る足音に呼応するかのように、どんどん速度を上げていく。――もう、目の前まで来ている。そう思って、目をぎゅっと瞑れば聞こえてきたのは「名前…」私の名前を呼ぶ、聞き馴染んだ声だった。
 ゆっくりと開いた視界の先には、いつもの威厳など微塵も感じられない店長の姿。彼は頻りに私のうしろを気にしているのか、フラフラと覚束なく視線が泳ぐ。途端に感じる、妙な違和感。――おかしい、絶対に。

「…ベネッサは、今日は一緒じゃないのか?」

 今度は頻りに手を前で組み始める店長。この人がこうするときは、決まって何かを隠している証拠だった。
 何か不味いことでも仕出かしたのか。誰かに、裏で指示でもされているのか。
 ――おかしい、おかしい。どう考えても、これは異常だ。私は店長をちらりと見遣りながらその問いかけに首肯すると、彼は小さな声で「そうか」とだけ呟きさらに挙動不審になる。
 ――わからない、いったいなにが? なんだってゆうの? 何が、おこってるの?
 そう、問いかけようにも、誰かの指示で動かされているんじゃ答えられるわけがない。『どうする? 考えて、』そんな言葉が頭の中でぐるぐると回りだして、いいかげん如何にかなりそうだった。
 ここは一か八か、か。そう意を決して口を開きかけたときだった、それに気づいたのは。私たちの他には誰もいないように見せかけて、ゆっくりと“なにか”が動いている。ふと視線を上げた店長は、今度は私の真後ろあたりを頻りに気にし出したようで、ちらちらと視線を行き来させ始めた。
 まるで、透明な“なにか”がそこに存在しているような不快感。どくどくと、全身の血液が湧き立つような感覚がして、じわりと掌に嫌な汗が滲む。

「か、彼女は何時頃こっちに着く予定なんだ?」

 その言葉に何かが引っかかった。先程から、ベネのことばかりを聞きたがる店長に私は僅かに眉間を寄せる。一瞬、後ろの“なにか”も動いたように感じて動揺を隠しきれないのか、店長の額から顔の側面へ一筋の汗が伝った。

 ベネはこの店で一番の人気を誇るストリッパーで、ダンスの評判もここらじゃ一番の腕前だった。良きお姉さん役の彼女には、私もよく相談に乗ってもらっている。とにかく、人望を集める人なのだ。
 そんな彼女にも一つだけ欠点があるようで、男を見る目が底なしにない。今の男はとくに最低な奴らしく、殴る蹴るの暴力男なうえドラッグに手を染めている、と同僚のあいだではもっぱら噂になっていた。だから――きっと、そいつが関係しているに違いない。
 何処かの組織の金に手をだして追われている、とか。定かではないにしても、毎日どこかしらに痣をつくってくるベネを見ていたら、それも有り得そうな予感がする。

「さあ、私に聞かれてもわからない」

 ゆっくりと震える息を吐きだして店長にそう告げると、彼はそうじゃないとでも云うように、眉間へ皺を寄せた。――うるっさい! そんなこと、あんたに言われなくてもわかってんのよ! 必死に冷静さを取り戻そうと思考を落ち着けるように、もう一度ゆっくり息を吐き出す。
 なにか、後ろを見れるものでもあればと思いながら、視線を左右へ動かした。此方が下手な行動を取れば何をされるかわからない。それに、得体の知れない“なにか”じゃ対処しようもないのだから、ここはじっくり慎重に。
 ぴんと張り詰める空気に背中を冷や汗がつうっと伝っていくのがわかる。呼吸すらままならないほど、窮屈で仕方がなかった。はっはっ、と荒れる息では思考も上手くなんて回らない。もう一度、深呼吸を繰り返す。
 そうして、ちらりと向けた視線の先に私はいっしゅん、息を飲んだ。必死に彷徨わせていた視界に映ったのは店長のうしろにあるショー用のポール。毎日、磨くことを怠らなかったおかげで鏡のように反射するそれに、この時ばかりは感謝する。
 じっと目を凝らせば、薄っすらと映る“なにか”。それは黒ずくめの男らしく、顔までは見えないにしろ何処かの組織の人間のようだった。ゆっくりと、こちらの様子を窺うように私の真後ろを動くおとこ。
 このまま状況が好転してくれればと願いながら、護身用にと持ち歩いている手の平サイズの小銃へ手を掛ける。小柄の女でも扱いやすいだろうと、ジェフがくれたものだった。――こんどこそ、ほんとうに、一か八か。殺される前にこっちから仕掛けてやらなくては。
 いっしゅん、相手が俯いたのを確認してここぞとばかりに勢いをつけ、後ろを振り向く。

「っ、やべ!」

 しまった。そんな表情をわずかにみせる相手の男。銃口をお互いに向けて対峙する、わたしたち。
 手の平サイズのそれは、確実に相手目掛けて口を開いている。――まるで、何かのワンシーンのようだった。

「くそっ、女だからって油断した」

 相手の男は悔しそうに洩らしながら、口端をひくりと動かす。そんな彼の言葉に私は自然と眉間へ皺を刻んだ。差別的な言葉は気に食わない。女を馬鹿にするような“それ”はとくに私にとって不快極まりないものだ。
 ノーネクタイにダークスーツ。短く切られた青い髪と浅黒い肌は爽やかで、鋭く吊上った目元と眉間に刻まれた深い皺とは正反対の印象を受ける。高い身長は男をより威圧的にみせ、厭でも他人に印象付ける容姿をもっていた。群青色の双眸が射抜くように、こちらに向けられている。――昼間にあったオトコとは、また違った意味で整った顔。

「その銃をおろして」

 冷静な素振りを見せながら命令すると、男はわずかに瞠目してみせた。けれど、すぐににやりと口許を歪ませて彼はこちらの銃口を、じっと見つめる。拭い去れない恐怖心で震えていた私の指先に、気付いたのだろう。楽しそうな声色が耳朶を撫ぜた。

「すげえ震えてっけど、大丈夫なのかよ?」
「っ、うるさい! さっさとそれをおろせ!」
「はっ、こえーな、」

 馬鹿にしたように笑いながら、一歩一歩、間合いを詰めるように近づいてくる男。射抜くような眼光が鋭く突き刺さる。――馬鹿にしないでよ、タダの飾りじゃないんだから!
 銃口を男からすこし横へずらし一発。乾いた音が店内へ響きわたった。ライトがひとつ、破裂音を響かせて粉々に砕け散り男の真横へと破片が降り注ぐ。これで少しは怯んだだろう。そう思ったのに、男は怯むどころか微動だにさえせず、眉間に刻んだ皺をさらに深くしただけだった。次の瞬間、思いっきり踏み込んできたかと思えば、あっという間に目と鼻の先に縮まる距離。
 ぐっと息を詰まらせる。「あんまごちゃごちゃ言ってると、どうなるかわかってるよなぁ?」男は視線を店長へと向け、顎だけで『向こうへ行け』と指示を出した。そのとき、直感的に感じてしまう。やばい、これは本気で殺される、と。
 脳がそう理解してしまえば、一気に咽喉が渇いて張り付いてゆく。口だって容易に動かせやしない。心臓の鼓動は馬鹿みたいに早くなり、男から一瞬だって眼を逸らすことが出来なくなった。
 よっぽど、私の表情がひどかったのだろう。男は此方を一瞥して眼を伏せると、大きく溜息を洩らす。先程までの威圧感が嘘のように薄れていくも、変わらずお互いに銃口を向けたままだ。

「大人しくしてりゃすぐに終わる」
「…っ、」

 私にはこの男がなにをしたいかだなんて、まるでわからない。威圧的に攻めてきたと思ったら、次の瞬間にはまるで何事もなかったみたいに至極、つまらなそうな表情をしてみせる。
 銃を持つ手以外はだらりと力の抜けた四肢。何度も煩わしそうに重心を変える彼が――まったくと言っていいほど、わからなかった。