短編 | ナノ


▼ 金曜日の博士の夢2


ネタのこれ(金曜日の博士の夢)かつ、これ(金曜日の博士の夢)の続き。
※博士について、捏造と改造しかない
※安心と安定のイマジナリ博士





 今日も元気に繋がれたままらしい。私は犬か? でもよくよく見たら手錠部分の内側が柔らか素材になっている。そんなところで優しくしてもらってもな! これ、あれでしょ? 柔らかくて痛くなくなってるから繋ぎっぱなしでも問題ないよねってことでしょ? そういうこっちゃないんですよね!

「博士、これほんとに繋いだままなんですか?」

 うるさいし邪魔だし、博士が部屋に居て私のこと見てるのに繋ぐ必要あります? あ、はい? なんですか? おはようはどうしたって?

「ええ? 要ります? おはようございますぅ……」

 そういえばほぼいつも言ってたな。まさかそれを博士に要求される日が来るとは思わなかったけど。いつもと様子が違うとソワソワしちゃうタイプ? 若干のやる気のなさは見逃してほしい。今私テンサゲなので。わかりますかね、テンションが下げ。テンサゲ。
 毎度毎度博士に注射打たれてじっとするだけの夢で、外にだって全然出られなかった。今更それに不満を感じているわけじゃないけど……いや、嘘だな、そろそろ不満だな。会える人といえば博士しかいないし、当の博士は私に対して無愛想な上に会話は少ないし。

「……せめて腕はいらなくないですか、足はそのままでもいいんですけど」

 妥協点。繋ぎたいなら好きなだけ繋いでくれ。
 よくよく考えれば、週1回短時間しか起きていられないモルモットの私を部屋の外に連れ回す理由もないっていうのもそうだ。博士の気持ちもわからんでもない、かな? 逃げないように繋いでおくっていうのも。いや、博士の場合ただ単に私に嫌がらせしたかっただけかもしれないけど。どちらかというとそっちのほうが濃厚だけど。あの笑顔からするに。
 じぃっと仮面越しに博士と数秒目を合わせ……、仮面のせいで見えないですねぇ! 見えないけど多分目は合ってる。多分。ちょっと自信ないけど。恐らくは。

「腕は動くたびに鎖が鳴ってうるさいですよ」

 ちょっと嫌そうな気配を察知。この間の雑音を思い出したらしい。渋々といった雰囲気で、博士は腕の拘束は解いてくれた。解き放たれし腕。拘束されたままの足。足はいいって言ったからいいんですけどね。流れで両方解放してくれないかなって少しだけ思ったけど。
 手錠部の下に傷はない。約1週間も経てば傷もすっかりきれいに治る。軽くグーパー、グー、パー、チョキ。いえーい、博士いえーい。

「あっすみません調子乗ってすみません」

 「コイツ腹立つな……」みたいな顔で(と言っても目元は見えないけど)再び手錠スタンバイされたので、慌てて手を後ろに回してガードする。ごめんツリー! 流石に舌打ちされても文句は言えない。これは私が悪かったですね、はい。

 後ろに手を回したままでは注射が打てないので、博士は早々に手錠を投げ捨てた。嵌めようとはしないから腕を出せの意。本日も激色やばやば注射は健在。これ現実世界だったら絶対絶対打ちたくないな。人が死ぬ色してる。蛍光色はやばいって自然界もそうだそうだと言っています。
 目が霞んだり、何も感じなかったり、症状の申告をそれなりにしてきて漸く、これは何の実験なのかなということを疑問に思うようになってきた。別に痛くも痒くもないから一切気にしてこなかったけど、毎度博士が律儀に注射を打つものだからさ。何がしたいんだろうなぁ、この人。

「博士、この、死人が出そうな色の注射ってどんな効果があるんですか?」

 それを報告する為のモルモット? それはそう。聞き方が悪かった。

「博士は……、どんな効果の、……ブツを、作りたいんですか?」

 薬じゃないよな、と思って結局言い回しが物騒になったけど、そんなことを気にする人はここに居ないのであった。助かる。
 博士は注射器を片しながら、特に渋りもせず教えてくれた。

「…………私の、起床時間?」

 長くする。はあ、なるほど、それは、困るな。
 博士が私の起床時間伸ばす理由is何。もっと労働せよということ? 私の現実はこっちじゃないので素直に嫌。こっちで起きてる間、現実では寝てるわけなので、夢を見続ければ現実の私は眠り続ける。困るね。

 私がこんなでも、いつか薬は完成するんだろう。だって博士だから。困ったな。本当に困ったな。困ったしか言えないくらい困っている。かといって私に阻止できる博士ではない。そもそも動機もなにも知らないのだからまずそこから躓いている。どうせ人の性質を捻じ曲げたいとかそんなところだろうけどね。なにせ博士だからさ!


──
次の週

 薄く目を開くと、いつもと違う。大抵は真っ先に目に入るのが天井なのだけど、今回は謎のぼんやりした視界。ついに目がイカれてしまったか、博士のせいで。……いや、違う、近くにあるからぼやけて見えるんだ。

「は、ぁえ、」

 「博士」と呼ぼうとした声が言葉にならなかった。何かに阻まれて……、塞がれている? あれ、これもしや、ぼやけているのは至近距離の人間? こんな近寄ることある? しかもその上口が塞がって……、もしやマウストゥーマウスしているのでは?
 自覚した瞬間、目も脳も覚醒した。見えているのは至近距離の博士だ。動揺のままに腕を突き出して博士を突き放す。ちゃんと離れた。え? えっまじ? 寝込み襲われてるんだが!?

「はかせ? いまの、博士ですか?」

 思わず口を手で覆って喋ってしまう。博士なにしてるの? この人ほんとに博士? もしかして寝てる間になんか飲まされた? なんで寝てる間に? 実験の鬼か?
 当の本人はケロッとしていて、いつもの様子で「ああ、起きたか」と言う。なかったことになってる? 私が今見たやつ、幻? そんなわけあるかよ。普通の夢なら支離滅裂なことは多々あるけれど、この夢に関してはそれはない。ていうかその「ああ」ってなに? 感嘆符? 肯定?

「なんで……ちゅー……」

 人工呼吸ですか? 違う。何か飲ませました? 寝てる相手に経口摂取は非効率的だ。飲んだとするなら唾液くらいだろう。はあ、なるほど。

「生々し……」

 ちょっとゾワッとした。こうなると、理由はただ「したかったからした」くらいしかなくなってくる。もう既にいつもの定位置に戻って何事もなかったかのようにしている博士が? 私に?
 博士の辞書に好きとか愛とか恋とかなさそうなのに。愛だの恋だの執着だのが博士に存在していることが問題というより、そういう重めでサイズ感デカめの感情が私に向いているかもしれないということが問題。私は私のことを、ただの代えのきく珍しい症例の実験動物くらいだと思っていた。そうでないなら、博士が私の起床時間を伸ばそうとしているのも、他の研究の一環だとか応用がどうとかではなく単純に私を起こすためということだ。の割に扱い雑だけどな。博士ほんとに私のこと好きか? 博士の普段の私の扱いのせいで勘違い説がなくならない。ほんとにもう、博士はもう、博士なんだから!(ド適当)

 博士の背中を見て考える。寝てるところに特に理由なくキスをぶちかますくらい(少なくとも見た目は)好ましい相手を、週6の睡眠から開放する薬。そりゃあ毎回注射もぶっ刺すよな。しかし、起こしたい相手と治験(というより試験実験)する相手が一緒とはこれ如何に。博士ってほんとよくわからない。
 博士のことは理解できないけど、このまま博士のもとに居てはいけないのでは、というのは感じた。遅かれ早かれ、博士は目的を達成するだろう。しかし私はここを現実にするつもりはない。さよならだね、私たち!


──
数週後


 苦労に苦労を重ねて、それこそミルフィーユにできるくらい重ねてやってきました璃月港! ここに来るまでに起床時間が2日に増えるとか、博士にいろんなところ噛まれるとか、本当に様々な苦労があったけど、逃げられたからにはそれも報われるよね、ハム太郎! そのとおりなのだ! へけっ!
 明るい雰囲気の璃月港で思いっきり伸びをする。貨物として乗り込んだ船のファデュイの人たちとは早々にお別れ済みだ。「博士の実験の一環としてまず環境の変化によるデータをとることになりました」とか適当言って煙に巻いて飛び出してきた。大変困惑させてしまって正直ごめんだけど、私も私の人生がかかっているのでね。許されたい。

「……んー」

 探すは地理に詳しそうな人、地元住民もいいけど旅人のほうがいいかな。なにせこの世界はヒルチャールなる者も居るらしいし。人の寄り付かない静かな場所を知ってそうなのは、各地を旅できるツワモノだろう。
 ああ、見つけた。周りの人と服装の系統が違う人!

「すみませーん!」

───

 旅人が層岩巨淵の調査を終えて、璃月港に居るらしい。その噂を聞いたタルタリヤは意気揚々と旅人を探しに出た。岩神の心の一件以降は面白みのない仕事仕事仕事で、趣味の血湧き肉踊る戦いのひとつもできていないのだ。我が親愛なる相棒なら、頼めば軽い運動くらいになら付き合ってくれるだろう。
 さて、探すなら見通しのいい大通り、食べ物の店なんかが近くにあると尚いいかなぁ、なんて周りを見渡せば。

「しばらくは要監視だから」
「そうだぞ! なあ、オイラも話くらいなら聞けるし、悩みとかあるなら旅人も相談に乗るぞ?」

 目当ての人物はすぐに見つかった。金髪の三つ編みを揺らす旅人と、浮遊するその相棒。それと、挟まれているのは……、

「いやそんな悩みとかじゃないんですよ、ほんと」

 うわっ。

───

 博士から逃げた先で、公子と遭遇してしまった。怪訝な表情で「なんで君がここに?」と言う公子に、旅人たちは私と公子が顔見知りであると理解したらしい。「まさかファデュイ……?」みたいな怪訝な雰囲気を感じる。当たらずとも遠からず。
 公子にも船にいたファデュイの人たちと同じ話をしてはぐらかすのが最善だろうか? 仮に博士が私を探すにしたって、公子のところへ情報が来るまではそう早くない。今躱しさえすればどこへなりと逃げられるかな。

「えーっと、」
「コイツはオイラたちが保護したんだけど……」
「……保護?」

 意外ッ! それはパイモン!
 この流れで保護の経緯を語られると、私の嘘と辻褄を合わせるのが難しくなる。咄嗟にうまい言い訳が出てこなくて「あー」とか「えっと」とか意味のない言葉しか話せない私を置いて、旅人とパイモン、そして公子の会話はトントン進んでいく。

「どこか人の寄り付かない静かな場所を探してるんだけど、いい場所を知らないかって聞かれて」
「孤雲閣とか琥牢山の麓あたりをすすめたんだ。でも、神の目を持ってなさそうだったし、荷物や格好も旅人や冒険者には見えないよなって話してたら……、旅人が心配だから後をつけようって」
「自殺でもするのかと思ったから」

 あーもう完全に自殺未遂して保護された怪しい人になってる。その少しの会話の間に服装や荷物まで見られていたとは。たしかに博士の服では旅人や冒険者には見えないだろう。神の目云々はよくわからないけど、恐ろしい観察眼だ。流石敏腕冒険者。決して私が間抜けということではない。決して。

「へえ、それで……、今保護されてるってことは」
「身投げ・入水未遂」
「完全に否定もできないんですけど、でもちょっと誤解があるっていうか」

 当初は「この夢嫌いじゃないからな」と静かに週6眠れる場所を探すつもりだった。ただ、水面を眺めていると「いっそ水底に沈んだら誰にも邪魔されず眠り続けられるのでは?」というお気持ちが湧いてしまったのだ。それもこれも私の起床時間を伸ばそうなんて奇特なことを考え実行する博士なんて人がいるからですよ。博士のせいです。
 狭義の眠りとは短い死に他ならず、謂わば長き死とは永遠の眠りとはよく言うもので。私にとって寝るか死ぬかは、週1回この夢を見るか見ないかくらいの違いしかない。しかしまあ、ここまでのすべてを彼らに話すわけにもいかないよな……。

「なるほどね。実験が嫌になって博士から逃げ出して、死ぬつもりだったってところ?」
「うーん、そうなるんですかね」
「煮えきらないな。それに君、前に会ったときは平気な顔してたのに」
「人って変わるものですよ」

 あの時の私は、博士がなんの研究をしているのか知らなかったのだ。知ってたら呑気に部屋を出てふらふらして帰るなんてしないよ。あの一件のせいでついた鎖を外すのがどれだけ大変だったか……! 自業自得なんですけどね!

「結局、ふたりはどういう知り合いなの?」
「知り合いというか……、1度顔を合わせたことがあるくらいです」
「博士の部屋から抜け出したところをね。俺はてっきりあの後死んだのかと思ってたよ」

 なにせ私といえば「また会いましょうね! 生きてたら、うん、はい、多分!」とか生き残れなさそうなことを言ったので。しかもその後から今日に至るまで私は部屋から一歩たりとも出られていない。そりゃ公子が死んだと思うのも当たり前だ。
 ここで、パイモンと旅人の顔がもんにょり微妙な顔をしていることに気がついた。博士の部屋から云々と言われてもわからないか。

「ええと、博士とはファデュイという組織の……、執行官……? ファトゥスとか言ったかな……」
「相棒はそこらへん詳しいから、君の謎に覚束ない説明は必要ないと思うよ」
「覚束ないですか? 普通では?」

 博士の部屋にずっと居たにしてはまだ知ってる方だろうがよ。ラララ言えるかな、君は言えるかな、ラララ言えるかな、執行官の名前ー! 私はちょっとパッと出てこないですけども。

「公子が「詳しい」って言うなら、ふたりは私より詳しいかもしれないですね」
「そんなわけ……、ある、のか?」
「見ての通りこの調子だし、ありえなくないね」
「全然ありますよ。だって私博士の部屋から出たこと全然ないし……、そのクセ博士についても別に詳しくないですから」

 なにせ第1村人は博士、第2村人は公子である。ファデュイのことはこれっぽっちもわからない。じっくり考えれば頭の中に少しくらいは情報がありそうだけど、それだけ。

「じゃあ博士のことは省くとして、まず私は博士の実験用動物なんですよ」
「実験!?」
「まずで話す内容とは思えない……」
「そんな重く考えなくても大丈夫ですよ。大事なことでもないし、そんなに掘り下げないので。えーと、私は博士の部屋から1歩も出たことない状態だったんですけど、ある日博士が居なかったもんだから部屋から出たら会ったのが公子です」

 ただただそれだけの顔見知り。本当に顔を見知ってるだけ。これで公子についての説明終わりましたよ、と両手をひらひら。必要なことはすべて説明した筈だが、旅人もパイモンも額に手を当てて微妙な顔をしている。ど、どうして……。

「情報量が多い」
「えーっと、とりあえず、ファデュイではないんだよな……?」
「そうですね、私個人はファデュイ組織員ではないと思います。あくまで私の認識では、ですけど。公子はどう思います?」
「俺も君のことを部下だとか思ったことはないね。博士の所有物って認識に近い」
「ですって」

 旅人とパイモンは「実験台」「博士」「部屋から出たことない」「公子とはただの顔見知り」などの情報から、とりあえず私がファデュイ所属の怪しい人物かどうかの判別を優先したようだ。他はそのまま有耶無耶にしてくれると私が助かる。
 博士はファデュイだが、そのモルモットの私もそうかと言われるとちょっと違う。志願した覚えもない。公子もそうだそうだと言っています。怪しくはあるかもしれませんが!

「実験台にされてたなんて……」
「世を憂うのも仕方ない、のかな」

 実験台の下りに悲痛な顔をするふたりに、はいともいいえとも言わずニコ! と笑顔をお届けする。ああまあ、そこらへんは(私に都合のいいように)いい感じに受け取っていただいて。公子からの胡乱な目は気にしない。私そういう細かいこと気にしない質なのでね。

「過ぎたことはいいんですよ。それより私は、逃げ出した先で公子と鉢合わせてしまったことのほうをどうにかしたいんですけど」
「俺?」
「あ、そうか。公子はファデュイの人間だもんな」

 ここで俺を話題に出す? みたいな顔するじゃん。しかもパイモンにまで「あ、そうか」とか言われてる。ファデュイ所属じゃないとは言ったけど、ポジション的には脱走兵とそう変わりない私vs一応執行官の公子。とは言え、本当に心配してるかって言うとそうでもない。今のうちに言質取ってやろうって思っただけだよ、賢いだろ。

「「博士から逃げ出した」って言っちゃいましたからねぇ。でも逃げ出した実験台1匹程度、博士がどうこう言うとは思えませんけど」
「そこは俺も同意見かな」

 そして、そんな博士を知っている公子は態々私を捕獲しに来たりはしないよね。
 博士の「逃げ出した実験台云々」というのは本当だ。でも私は博士にとって、他の数多の実験台とはちょっと違う模様。これはまあ、私も最近なんとなく知ったことだから当然公子が知るわけもない。まあでもそんなことは些事だよね、ハム太郎。とっても些事なのだ! そうそう、私そういう細かいこと気にしない質なのでね! ははっ!
 博士が私を連れ戻そうとする確率は、公子が想像するよりずっと高いだろう。部屋に軟禁(いや監禁?)するくらいには私の実験にご執心だったみたいだから。悪いね公子。私の人生がかかってるからさ。嘘はついてない、ちょっと情報の出し惜しみしてるだけ。はい。ほんとだよ。

「見逃してくれます?」
「どうしようかな」
「そこをなんとか」
「ええ?」
「値切りかよ……」

 なんて実のない会話なんだ。恐らく、公子は私のことなんてどうでもいいと思っている。ちょっと顔合わせただけの他人だし。博士の部屋から出たことがなく、ロクにファデュイのことも知らない可哀想な実験台だもの。どうでもいいし捨て置いてもいいかなー、みたいな雰囲気を感じる。あー、ありがとうございますありがとうございます。現状では滅茶苦茶ありがたいですその温度感。

「公子様! ここに居たのですか」
「あれっ、もう仕事の時間? はぁ……」

 ついでに運も味方して会話切り上げの予感。ここで会話を切り上げて立ち去ることは、実質の見逃しだ。万歳。
 公子に駆け寄って来たのは、おそらくファデュイの人間。察するに、仕事に呼び戻しに来たらしい。「結局相棒との息抜きもできなかった」と文句を垂れる公子は、旅人に「戦わないけどね」と一刀両断されている。やめてよ、笑っちゃうだろ。断られてやんのー。
 あ、ていうか今なんて言った?

「公子、「様」……?」
「ん?」

 へー、ほー、ふーん。様、いるんだ? 公子に様。だって課長に様とかさんとかつけないから。ファトゥスの「公子」とか「博士」は所謂「課長」「部長」みたいなものだと思っていた。公子のタルタリヤ、課長の佐藤。しかし今のを聞くに、どうやらそういうわけではないらしい。

「公子って佐藤だったんですね」
「違うけど」
「なるほど」
「聞いてる?」

 聞いてる聞いてる。公子は佐藤課長の課長ではなく佐藤の部分。私が日々博士のことを博士博士と呼んでいたのは、名前を呼び捨てていたようなものということ……? 突然仮とはいえ上司のような相手に失礼ぶちかましていた疑惑が浮上したが、当の博士からの訂正は今まで1度だってなかった。まあ博士は……語感がな、役職に近いからな。仮に必要だったとして、博士はモルモットに自分がどう呼ばれるかとかあまり執着しなさそう。
 でもそうか、通常公子には様が必要だったのか。

「ふーん……、公子様」
「えっ、急になに? 不気味だな」

 ド失礼な奴だなこいつ。
 突然の私の敬い姿勢にドン引きしながらも、公子は「まあなんでもいいや、俺は戻るよ」と仕事に戻っていった。公子のなんでもいいってどうでもいいってことだよな。彼の私への距離感、路傍にいる興味ない他人の飼い犬相手みたいだな。扱いがぞんざいということ。それでも何もしてこない分博士よりはよっぽど善良。ほんとに博士はもう。

「なんだか怒涛の展開だったな……」
「嵐のようだった」
「台風の目みたいでしたね」

 あ、しまった、私はファデュイから逃げ出した身だから別に公子を敬う必要ないんだ。敬い損。そもそも上司でもなんでもな……、ないよな? ないない。元飼い主の同僚。……しっかり他人だな。

「さて、流れで見逃してもらえましたし、またどこかここから遠い静かなところとか教えてもらえたり……」
「駄目だぞ!」
「うん、駄目」
「えぇ……困る……」


──
次の週


「うわっ!? お、起きた、のか……?」

 旅人に教えてもらったのは人通りが少なく静かな森のはずなのだけど、目覚めてすぐ人間と顔を合わせるとは何事? 少ないだけで人通りはあるからか。
 1度なんちゃって入水未遂をしている要警戒対象である私が「命大事にするので人の寄り付かない静かなところ教えて下さい」とか言っても勿論信用してもらえるわけがない。仕方なく身体の事情を伝えて旅人から場所を教えてもらうことにはなんとか成功した。一応これでもやむを得ない理由があるんですよ、私にもね……。「たまに様子を見に行くから」と遠回しな「テメーくれぐれも自殺再チャレンジとかするんじゃねぇぞ」を言いつけられた私の明日はどっちだ! こっちかな。あっちかな。そっちかな。

「おはようございます、ええと、お嬢さん?」
「お、おはようございます……?」

 互いに混乱しながらも挨拶を交わす。こんな状況でも律儀に挨拶を返してくれるなんて、ちょっと感動した。博士は1度たりとも「おはよう」なんて返してくれなかったからさ。やっぱりアタシたち別れて正解だったわね……。

「あなたはこんなところで何を?」
「あたしは森のパトロールを……って、どちらかというと、それはこっちが聞きたい。こんなところで何してるんだ? 行き倒れかと思ったんだけど、元気そう、だよな?」

 パトロール。なるほど。この森にはパトロールをする人が居たのか。不審人物待ったなしの私、残念ながら善良な人間に対する心構えができてなかった。何をどう説明したら森に住みたがる不審人物を安全と認識してもらえるだろうか。無理かな……。私だったら「怪しい! 有罪!」って言う。

「うーん、私は身体の事情で、人から離れたところで生活してるんです。前にいた場所を離れたので新たな拠点が必要で、知り合いに聞いたらこの森を勧められたので」

 私の独断ではないですよ、というので警戒心を減らしていこう作戦。責任転嫁じゃないです。違うよ。流石にね、流石にそんな、旅人に責任を押し付けるような真似は……、ちょっとする!
 森を勧められてそのまま寝床を探したのだけど、パトロールする人が存在するということはもしや誰かに許可が必要だったのだろうか。スピードを重視してそういうところを疎かにしてしまった。今まで博士の部屋しか知らなかったもんだからさ……。次は博士のせいにしました。はい、すみません。イマジナリー博士が中指立ててくる。だからごめんて。

「あの、私有地とかじゃないですよね? 大丈夫? 罪に問われたりとか」
「そ、それは大丈夫だと思う! 森はみんなのものだから。あたしたちのパトロールも、森で迷ったりした人の助けっていうのが大きいんだ」

 森はみんなのもの、いい言葉です。心に刻んでいこうね。

「身体の事情か……。もしかして、ずっと眠ってたのはそれ? あたし、何日か前にここであんたを見つけて、パトロールのついでに様子を見に来てたんだ」
「見られてたんですね」

 身体の事情とぼかしたものの、寝こけてる現場をバチコリ目撃されていた。目覚めたときも丁度目の前に居たことだし、恐らく常人よりはるかに長い睡眠をとるということはなんとなく察されているだろう。しかし私の様子見でここに来ていたということは、本来ここはきちんと人通りの少ない場所ということ。要望通り。流石旅人、感謝永遠に。

「あっ、あの、ごめん。身体のこと、言いたくないだろ。無理しなくていい。話してみてわかったけど、多分あんたは悪い人じゃないし……」

 ……え、絶滅危惧種? こんな純真無垢で人を思いやれる優しい子がまだ存在したんですか? 保護して、保護。思い返せば、旅人とパイモンもそうだったか。みんな保護して。早急に。こういう子は私みたいなずるい大人の餌食になるんだから! ちゃんと保護監督者つけて! 自分で言ってて虚しい。
 そしてずるい大人である私はこういうとき「わーいラッキー」ってここぞとばかりに乗っかるんだよ。汚いね。

「その、気を悪くしないでほしいんだけど、最初あんたを見たとき……、なんだか落ち着かなくて。それでずっと気になってたんだ。どうしてなのか、あたしにもわからないんだけど」

 「あんたが悪い人じゃなさそうで安心したよ」と言うお嬢さん。これで彼女が頬を染めてたりしたら「恋かな?」ってニコニコできたものの、どちらかと言わずとも彼女の顔色はそれとは反対。顔色が悪いってことだよォ!

「生理的嫌悪感、かな……」
「あ、あぁー! ごめん! ちが、あの、そんなつもりじゃ! 今は落ち着いてるから!」
「無理しなくていいんですよ」
「本当に! 本当に大丈夫!」

 「無理しなくていいよ」「大丈夫だから!」のやり取りを何度か繰り返す。いや、ほんと、無理しないでほしい。生理的なものって気合ではどうにもならないしさ。よくそんな男を信用してくれたよ。やっぱり保護監督者必要じゃない? 大丈夫?

 結局、原因もよくわからないし、勘違いかもしれないということで落ち着いた。話してみたら全然……みたいなことを言っていたので、もしかしたら見た目が誰かに似ているのかもしれない。嫌いな人とかかな……、嫌だな……。

「……あれ、なにか、人の声がする」
「え? …………あっ、もしかして、師匠の声かな」

 どこかから誰かの声がする。よく耳を凝らしてみると更にはっきりと。「これい」というのは、このお嬢さんの名前だろうか。知らぬ声は、今彼女が言った師匠のものとして、あとパイモンの声もしているような……? 幻聴? 夢の中で幻聴とはこれ如何に。博士の薬でくらいしか聞いたことないぞ。この夢の殆どはまだ博士が占めているからこの話はやめよう。

「これい、ってあなたの名前ですか? 呼ばれてるみたいですね」
「うん、……呼ばれてる。あたし行くよ」
「はい」

 ばいばい、と互いに手を振って別れる。癒やされるなぁ。今まで博士くらいしか人を知らなかったせいで、夢の中で知り合う人みんないい人に見える。博士の対応が塩過ぎたせいです。あーあ、全部博士のせい。

 目覚めてすぐ人と話すのは博士以来だったな。逃げ出してから、私の体感ではまだそんなに経ってないけど。中々爽やかで晴れやかな目覚めだ。いや、嘘。森は視覚情報では湿っぽい。うわ、なんかキノコ生えた猪が居る。怖。あれ本体は猪かキノコかどっちだ。




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