短編 | ナノ


▼ 選ばれなかったほうの穹

※開拓者=星(女主人公)
※開拓者の過去や記憶に関してガバガバ捏造




 目が覚めたら、裏路地に捨てられていた。

 地球に住む普通の人間として、生きて死んだ記憶はある。しかし、その記憶と現状が一切結びつかない。この身体の、生まれてからここに至るまでの記憶がまっさらでなにもないのだ。記憶喪失、と言っていいのだろうか。なんてハードモードなんだ。ここはどこ、私は誰? なんで路地裏に捨てられているんだ、俺は。俺って人間であってる? 実はゴミだったりする?

「……ねぇ、君。どうしたの? 具合が悪いのかしら」
「……俺?」
「そう、君よ。立てる? 名前は?」
「俺は、……えっと、立てるけど。名前は、わからない」
「……そう。身体は痛くない? いくつか質問するけれど、答えられる?」


 申し訳程度に掛けられていたコートを握りしめて途方に暮れていた俺に声をかけてくれたのは、ボルダータウンで医者をしているナターシャだった。ナターシャはいくつか質問をしたあと、「記憶喪失ね」と困った顔をして俺を診療所まで連れて行ってくれたのだが。

「ごめんなさいね、記憶喪失の君に頼み事ばかり」
「ううん、記憶がなくたって身体は健康だし、働かざる者食うべからずだから。寝るところを貸してくれるだけでもありがたいよ。それじゃあ」
「ええ。……ちゃんと帰ってきてね」
「うん? うん、もちろん」

 当然、下層部の逼迫した状況で人をひとり簡単に面倒見れるわけもない。元々あんなところに放置されていた時点で詰んだも同然だったわけだし、声をかけてくれた上に寝床まで貸してくれたナターシャには感謝してもしきれないくらいだ。それに、仕事だっていくつかくれるのだから、実質全部お世話されているようなもの。

 ナターシャのところでお世話になってわかったことがある。俺は多分記憶喪失じゃなくて、そもそもその部分の記憶が存在しないということ。……っていうか、選ばれなかった男主人公なんだよな。星穹の穹のほう。いや、選ばれなかった方って捨てられるの? それにしたってそこらへんに捨てるなよな、倫理観どうなってるんだ。生身の人体やぞ。
 どうして俺が穹なのかは……、知らないけど。まあなんか、星核の代わりに俺の魂が入ったってことで取り敢えず納得してる。どうせわかる日なんか来ないし、そんな感じに適当でいい。割り切ってるつもりでも、あの日掛けられていたコートは未練がましく大事に持ってるけど。あれ誰のだろ。カフカ? ……なわけないかぁ。

「穹さん、……穹さーん? 穹さん聞こえてます?」

 今頃、星核を埋め込まれた星は何をしているのだろうか。ベロブルグは未だ下層部と上層部にわかれているし、これから星穹列車がベロブルグに来るのだろうけど。見た目似てるし、怪しまれたりするんだろうか。

「あのぉ」
「っうわ、びっくりした」

 突然眼前に現れたサンポに驚けば、そいつは「何度も呼びましたよ」と困ったように笑った。……困ったように見えるだけで、大抵はちっとも困っていないのだ。お陰様で罪悪感というのを感じずに済んでいる。

「なに、用事?」
「随分と遠い目をしていたものですから、少しばかり心配になりまして。穹さんはボクの大切なビジネスパートナーですから、ええ」

 サンポが個人的に俺のことを心配するなんてことはな…………、いや、あるな。仕事を頼みたいときだ。助かるな、仕事はあればあるだけいい。お金はあると安心につながるから。

「丁度良かった。ナターシャのお遣いが終わったら時間が空くから、仕事あるならやるよ」
「おや、流石穹さん話が早い。それは良かった! ……しかしまあ、気持ちいいくらいボクの心配を無視してくれましたね。もしかして聞こえてませんでした?」
「サンポが心配するのはお金のことだけだから……」
「まさか、そんなことはありませんよ! ボクは心優しい人と評判なんですから!」

 それはどこの界隈での話だよ。大仰な身振り手振りで「そんなこと言われて悲しいです」を表すサンポ。そういうのが嘘くさいんだよな。別にどうだっていいけど。仕事と報酬をくれるならば、どれだけサンポが胡散臭くて狡猾でも構わない。

「それに穹さんはこう、浮世離れしていて心配なんですよ。今だって横顔が儚くて……」
「ぼーっとしててカモっぽい?」
「言ってませんよそんなことォ! 穹さんはどうにも、ボクの言っていることを悪いように解釈しますね」
「ああ……なんだろう、前世の記憶とかかな。サンポ要注意って」
「前世の記憶、ですか……?」

 前世の記憶(ガチ)により、サンポの言葉には何かと裏を感じてしまう。それがなかったとしても、お前のことは胡散臭いと思ってただろうけどな。
 前世の記憶なんてちょっと面白おかしく言ってみれば、サンポなんかは「そんな根拠のないことで!? 酷いですよぅ、今の目の前のボクを信じてください穹さん! ほら、清廉潔白!」なんて言いそうなものだけど。前世とか来世とか馴染みなかったかな。

「もしそうなら、穹さんとボクは前世からのながーーーい仲ということですねぇ。ええ、それはなんだか、ふふ」
「サンポとそんなに長い付き合いなのは嫌だな。やっぱり気のせいだ」
「ああっ! そんな、つれない人ですねぇ……。あ、そうそう。穹さんに聞きたいこともあったんでした」
「なに?」
「ご兄弟って、居ます?」

 「ご兄弟」とサンポの言葉をそのままオウム返しする。俺は一応記憶喪失ということになっているけれど、その抜けている記憶に大した中身がないことは知っている。つまるところ、俺が認識していなければ居ないはずだ。星(という名前なのかは知らないけど)は兄弟ではないし。多分。

「多分いない。……けど、俺の知らない兄弟が、どこかにいない保証もないな」
「知らない兄弟って……、あー、ええ、はい、なるほど」

 サンポが俺の記憶喪失についてナターシャに聞いているかは知らないが、サンポなら知っていそうだ。仮に知らなくてもさして問題はない。自分の預かり知らぬところで生まれているかもしれない兄弟、というのは特異ではあるがありえる。納得できたならそれでいい。サンポも、俺が認識していないとわかればいいのだろう、軽く頷いてみせた。

「俺に似た人でも見かけた?」
「いいえ? 聞いてみただけですよ。ナターシャさんといる穹さんは弟のようですからねぇ」
「そう? ナターシャがお姉ちゃんか……」

 本人からは聞いていないが、たしかナターシャは兄がいたはず。妹属性を持ちながらも、みんなのお姉さんか。流石ナターシャ。俺もナターシャの弟なら嬉しいもんな。怒ると怖いけど、やっぱり優しいし、美人だし、頭もいいし、人望もある。ボルダータウン内姉にしたい人ランキング堂々1位をとれるだろう。

「えーっと、もしかして、なにか複雑な気持ちでもあります?」
「なんで? 俺はナターシャがお姉ちゃんだったら嬉しいけど。……サンポにはわかんないかなー」
「おや? おやおやおや、急に心の距離を離してくるじゃないですか! ボクにもわかりますよ、ナターシャさんは優しいみんなのお姉さんですからね!」
「無理しなくていいよ。サンポと俺とじゃ色々違うし」

 年齢も、ナターシャからの扱いも違う。ナターシャは俺を庇護すべき者として扱ってくれるし、年下として見られている。サンポはなぁ……、ほら、こんなだし。話を合わせてくれなくたって構わない。それで今更臍曲げて「やっぱ仕事しない」なんて言うつもりないし。ていうか、サンポがナターシャの弟になりたいとか言い出したらちょっと引くだろ。

「色々、に含みを感じないでもないですが……、まあいいでしょう。事実ですからね。さて、ではお遣いが終わったらまた会いましょう」
「うん、それじゃ」

───

 サンポから斡旋された仕事を終えて、ナターシャに仕事の報告をした後のこと。次の日も仕事をしようか、それとも裂界の侵食が進んだ場所へ足を運んで物資を少しでも集めてこようかなんてフラフラしていたら、サンポに捕まった。

「ああ、よかった、ここに居たんですね穹さん!」
「なんだ? また仕事の話か? 近頃は随分忙しいんだな」
「ええ、ええそうです。なので穹さんに長期で頼みたい仕事があるんですよ。どうしても穹さんにしか頼めなくて!」
「長期? 構わないけど、それならナターシャに連絡を……」
「ナターシャさんにはボクから言っておきますから。とにかく急ぎなんですよ! 早く早く!」

 俺の返事すら待たずに、サンポは背中をぐいぐい押してくる。何をそんなに必死になっているんだか。って、こっちは上層部への抜け道があるとか言ってた方向だ。ついに上層部での活動も困難になってきて、俺にやらせようとしてるのか。

「仕方ないな……」
「ああ! なんて慈悲深いんでしょう、下層部の光! 希望の星!」
「はいはい」

 こうしてサンポに付き合わされ続け、ナターシャの診療所へ戻ることもなく幾日か過ぎた。サンポからの仕事終了の知らせを受けて、漸くボルダータウンへ帰ることができる。

「漸く終わったか……。思ったより時間かかったし、もう暫くはサンポの顔は見たくないな」
「なんてこと言うんですか! ボクが穹さんに何をしたと言うんです、酷いですよ」
「長いことサンポの顔しか見れてないからだよ。ナターシャの顔が見たい……。男よりきれいなお姉さんの顔が見たいのは普通だろ?」
「なぁんだ。そんなことならこのサンポ、ひと肌脱ぎましょうか!」
「いい、いらない。ほんとにいらない。はよ帰らせろ」

 お前の「ひと肌脱ぐ」はアレだろ、女装。バレない程度にはよくできてるみたいだけど、サンポとわかってて見たくはない。間に合ってます。
 サンポの防御の薄い脇腹をどついて歩き出すと、「アァ、酷いっ!」と声を上げたサンポが後ろから追いかけてくる。ちょっと喜んでるだろ、実のところ。

「そういえば、穹さんご存知ですか?」
「なにが?」
「上層部と下層部の隔たり、なくなるそうですよ」
「えっ」

 知らないうちにメインストーリー終わってる? 俺、マジで少っっっしも知らなかったんだけど。なんで誰も俺のこと呼んでくれなかったの? こんな一大事なのに。ハブ? お前のせいだろサンポ。おま、俺がお前の仕事を引き受けている間、星穹列車メンバーに出会って、救出して、さらに上層部まで送り届けたんだろ? 絶対に騒動の全てを知ってただろ。おい。

「お前……」

 俺のことハブにしただろと思わず疑いの目を向けてしまうが、サンポは素知らぬ顔。それもそのはず、本来ならば俺の知らぬことなのだから。突っ込まれては困るので、俺もこれ以上文句のつけようがない。クソ、「だって穹さん勝手に動いて邪魔なんですもん」という幻聴すら聞こえてくる。今心の中で思ってるだろ? そうなんだろ? 口に出せよ、そしたらシメてやるのに。

「そんな顔して見ないでくださいよぉ。確かに下層部で騒動はいくつかありましたけど、こんな大事になるだなんてことはこのサンポですら予測不可能だったんですから。それに、穹さんの仕事はそれはもう大切な仕事ですから、そちらに専念して欲しかったんですよ」

 ね? だから怒らないでください(はあと)というふざけた声を聞き流し、過ぎてしまったことは仕方がないと切り替える。実際問題、俺がそこに居たとして何ができたということもないだろうから。でもこの恨み覚えておくからな。いつか何かしらでハブにしてやる。寂しい思いをしろ。

「……はあ。ボルダータウンの様子は? 上層部との行き来もできるようになって、やっぱり活気付いてる?」
「そうですねぇ……、多少は浮ついていますけど、なにかが劇的に変わった感じは正直ありませんよ。ほら、ボクなんかはよく上に行ったり下に行ったりしてましたから余計に」
「サンポはな……」

 なんて参考にならないやつなんだ。しかし実際のところ、活動拠点や家が変わるわけじゃないので、物資に余裕ができる以外にはそう変わらないのかもしれない。ゲームの知識を引っ張り出してきてみても、やっぱりそう変わりなさそうだ。 

 サンポと別れ診療所に戻り、ナターシャに「戻ったよ」と声をかけると、俺の姿を認めたナターシャが小走りで近寄ってきた。えっなになに? なんだ、その反応?

「穹! よかった」
「ナターシャ?」
「……いえ、随分長い間居なかったから。久しぶりに顔が見れて浮かれてしまったわ」
「え?」

 先ほどの自分の行動を思い出したか、少し恥じらった様子のナターシャ。……俺の顔を見て、うっかり浮かれたナターシャ?

「……えっ!? 俺も! 俺もナターシャに会えて嬉しい! ナターシャもそうなんだ、嬉しい」
「ええ。もちろん。サンポから長く留守にするとは聞いたけど、やっぱり心配だもの。……おかえり、穹」

 「ただいま」と元気よく返事をして、仕事中サンポとしかロクに会話できないことが如何に苦痛だったかを語っていく。上層部近くでシルバーメインに顔を覚えられるわけにはいかないし、他に人もそんなに居ないし。……の割にサンポはしょっちゅう「調子はいかがですか?」なんて顔を見にきてちょっかいかけて帰っていく。なんなんだあいつは。

「うふふ、そっちも大変だったのね」
「そう! ……あ、そっか。ナターシャも色々あった?」
「色々……、ええ、色々。穹は詳しい話は知らないのね」
「うん、全然」

 いつの間にかすべてが終わっていたから、気持ちは浦島太郎。そういえばサンポもナターシャも、星穹列車に乗ってやって来た開拓者たちの話はしないな。もう羅浮に向かってしまったのだろうか。行動が早い。どんな感じだったんだろうか、聞いたら教えてくれるかな。

「……待っ…………今は……」
「……? サンポの声か?」
「騒がしいわね」

 診療所の前で、サンポが誰かと話しているような声がする。扉を貫通してくるような騒ぎなんて、サンポにしては珍しい。騙されたと騒ぐ相手を宥める側に立つことが多いサンポは、自分自身が声を荒らげることは少ないのだ。本当にカス野郎だなと思う。しみじみ。

「ナターシャ、俺が見てくるよ」

 診療所の目の前で騒ぎを起こされては堪らない。そもそも、サンポとは先ほど別れたばかりなのに。なにか俺に伝え忘れたこととか……、もしかして、診療所に用事か? 怪我……、なんてヘマをするタイプじゃないし。うーん、わからん。

「サンポ、なに騒いでるんだ」
「アッ! ちょ、」
「……!」

 サンポと話していたのは、3人組の男女。俺が出てきたことに気がついたサンポは俺を背に隠そうとしたが、すでにバッチリ顔を見てしまった。おそらく、お互いに。

「え、誰? なんか……、星に似てない?」

 そう、星穹列車ヤリーロVI開拓メンバーである! 俺を指さしながら疑問を口にしたのは三月なのか。丹恒は訝しげにこちらを見ていて……、「似ている」と言われた星もジッと俺を見ているが、目には好奇心が溢れているように見える。さすが、未知のものに興奮する開拓者。
 どうしたものかとサンポを見れば、サンポは気まずそうに視線を彷徨わせていた。なんだ、その反応。「あっちゃーやらかしたー」という顔をしている。珍しいな、お前のそんな顔。

「えーっと、サンポ?」
「あー……、御両方一旦落ち着いてくださいね。……穹さんボクの後ろに隠れて、さあ早く」
「は?」

 ギュ、とサンポと俺の間にあった距離が縮まる。眼前にはサンポの背中。あのさ、隠れるったってもうとっくに手遅れだと思うんだ、俺は。そのちょっと声を潜めたやりとりも聞こえてるだろ。サンポはそのまま診療所の扉の脇にズレた。

「失礼しました! 診療所に御用事でしたよね? さあどうぞ」
「さあどうぞじゃないよね!?」
「診療所に入るのを止めたかと思ったら……」

 先程のサンポの声は、開拓者たちが診療所へ入ることを止めるためのものだったらしい。理由は、中に開拓者に似た顔立ちの俺が居たからだろう。今のサンポの行動からしてそれは明らかだ。混乱させまいとしたのか、それとも他の理由があるのかは知らないが……。

「……とりあえず、中入ったら?」
「穹さぁん……」

 それが理由ならもう出会ってしまったのだし、中に入ってゆっくり話せばいい。がっくりと肩を落としたサンポを放って、開拓者たちを中へと招く。ナターシャは少し驚いた顔をしたが、「そういうことね」とサンポの声の原因を察したようだった。


「えーっと、初対面なのは俺だけ?」

 首を傾げると、同意とともに開拓者たちから自己紹介が飛んでくる。三月なのか、丹恒、星。やっぱり開拓者の名前は星だったか。上層部と下層部が合併した理由の一因でもある、という補足がサンポとナターシャから入る。彼らが目の前に居る為、それ以上の話は長くなるから割愛されたが。

「俺は穹。ナターシャのところでお世話になってるんだ」
「ナターシャのところに? じゃあ、今まで1度も会わなかったのはすごい偶然なんだね」
「いや、近頃は暫く留守にしてた。サンポからの依頼で、上層部近く行ったりとかで」
「アッ」
「上層部の近く……? それは聞いてないわね」

 サンポがナターシャから隠れるように、俺の後ろへと移動した。俺のこと盾にしてるぞこいつ。体格差のせいで全然隠れられてないけど。ナターシャに一体なんて伝えたんだか。

「まあまあ、今はそんなこといいじゃないですか!」
「ええ、この話は後で」

 話をはぐらかしたサンポだったが、ただ執行猶予がついただけだったようだな。今小さい声で「ぁわ……」って聞こえた。なんかでっかくてかわいくない生き物だ。

「君たちはどうしたの?」
「下層部に居ると、たまに誰かに間違えられることがあって。話を聞いたら、診療所に私に似た人が居るっていうから。ナターシャに聞いてみようと思って」
「おや。似ているとはいえ、性別が違うのに間違えるだなんて、失礼な人たちですね」

 星と俺とを見比べては、みな口々に「似てるけど」と言う。そりゃあ、似てるだろう。旅人と違ってきょうだいではないけど。

「でも確かに、こうやって並べてみると間違えるのも頷けるくらい似てるかも」
「……もしかして、穹は私の兄弟?」
「いえ、それは違いますよ星さん。穹さんに兄弟は居ませんからね。他人の空似……、とかじゃないですか?」

 星の疑問に俺より先に答えたサンポは俺の両肩に手を置いて、「ね?」と同意を求めてくる。珍しく語気が強い。言いくるめ技能が発揮されている予感。普段のサンポなら、それが真実かどうか関係なく「生き別れの兄弟ですか! なんて運命的なんでしょう!」なんて囃し立てそうなものなのに。

「サンポ、やめましょう。……穹には記憶がないの。だから、兄弟が居たのかもわからないのよ」
「記憶がない?」
「それって、星と一緒じゃない?」

 鶴の一声ならぬナターシャのひと声で口を閉ざしたサンポと、俺の記憶がないことに星との更なる共通点を見出したなのか。
 なのかの口から語られたのは、ヤリーロYに来る前の宇宙ステーションヘルタでのこと。星との出会い。

「って感じで……、正確なことはわからないけど、少なくともこれだけ似てたら他人じゃない気はするよね。兄弟揃って記憶喪失なんて不思議だけど……」
「問題は、なぜ穹はヤリーロYに居るのか」

 丹恒が疑問を口にする。星は星核を身体に宿し宇宙ステーションヘルタで、開拓者たちに拾われるのを見越して置き去りにされていた。かたや俺はというと……。

「なんだろう、捨てるのに丁度いい場所だったのかな」
「……捨てる?」
「穹……」

 思い返してみれば、記憶の始まりは路地裏。完全に捨てられている。不法投棄やめろや! と思っていた記憶があるので完全にそう。ヤリーロYは、星穹列車の干渉がなければ滅びるのを待つだけの惑星だったはずだから。星核を身体に宿し何らかの運命を背負っている星と違って、俺は星穹列車のメンバーに拾われる必要はなく、不要なものだったのだろう。ナターシャが傷ついたような声で俺の名前を呼んだ。捨てられたのは俺で、別にそんなこと気にしたりしていないのに。ナターシャがそんな顔する必要、ないのにな……。
 星はつかつかと俺の前に歩いてきて、そうっと胸元……、恐らく彼女の身体だと星核が埋められている場所に触れた。彼女は今なにを思って俺に触れているのだろう。表情は固く……、目は少し悲しげに見える。

「穹」
「うん」
「私が守るよ」

 そう言って、星はキツく俺に抱きついた。列車組も、ナターシャも驚いている。俺もちょっと理解が追いついていない。

「え、なに? なに? 護持の炎?」
「星、アンタいきなりどうしちゃったの!?」
「困りますよお姉さん! お触り禁止です、聞いてます!?」
「守る……この命……」
「存護の運命獲得しておかしくなっちゃった!? た、丹恒ー! どうしよう!」

 ああ、存護か……。それは……、うん、仕方ないな……。守護の気持ちが爆発しちゃったか。脳裏に「存護はアホ」という無礼極まりないアッハのセリフが過ぎる。お前は今お呼びじゃない。帰れ。
 引っ付いて離れない星、引き剥がそうとするサンポ。丹恒に助けを求めるなのか、頭を抱えている丹恒。ナターシャは、少し困ったような、でもちょっとだけ笑顔で俺を見ている。

「穹、私がお姉ちゃんだよ」
「え? ……俺、弟よりお兄ちゃんがいいな」
「じゃあ私が妹でいい。お兄ちゃん」
「マイペースがふたり! 似たもの兄弟勘弁してよぉ!」

 星をお姉ちゃんと呼ぶことに違和感を覚えて希望を口にすると、案外スルッと通った。なんて柔軟な妹なんだ。星はどっちが兄か姉かは特にこだわりないらしい。妹……、妹ってどんなだろ。「妹よ!」って語りかけるのはなんか違うよな? 迷った結果、とりあえず頭を撫でてみる。されるがままだけど、どこか満足気。うーん、なるほど、妹。距離の縮め方が尋常じゃない。俺には本当に妹が居たのかもしれないと思えてきた。

「穹さんあなた兄弟居ないって言いましたよね!?」
「俺の知らない兄弟がここに居たのかもしれない」

 記憶がないのでなんとも言えませんけども。人造人間ってそこらへんよくわからないからな。遺伝子検査してみたら、案外本当に妹かもしれない。俺の預かり知らぬところで生まれていた兄弟。つい先日サンポとそんな話したな。

「なんていい加減な発言……!」
「サンポには言われたくないけど」
「ボクほど誠実な商人は居ませんよ! 全く、困った人ですねぇ……」

 やれやれと首を振ったサンポを、俺から離れないまま星はじっとりと責めるような視線で見つめる。

「……サンポは、私から穹のことを隠してたの?」
「隠すだなんて人聞きの悪い。どうしても穹さんにしか頼めない仕事があって、穹さんは診療所から長く離れていた、それだけ。偶然ですよ」

 でも、それなら星たちに俺のことを話していたって良さそうなものだけど。話すようなことでもなかった、とか? 上層部下層部、星核でバタバタしていて話すタイミングがなかったのかもしれない。

「でも、これだけ似てたら普通話題にあげそうじゃない? 横に並べたらほんとに双子みたいだし……」

 なのかは星の援護射撃に回ったようだ。「ほらこっち向いて」と言われたので星と共になのかのほうを向けば、なのかは丹恒と声を合わせて「似てる……」と呟いた。

「そんなことはナターシャさんも同じくでしょう? 皆さん、ご自分たちがどれだけ忙しなく動いていたかお忘れですか?」
「むむ……そう言われると……」

 流石ナターシャ、徳が高い。サンポだけの言動では怪しいが、ナターシャを引き合いに出せば大抵のことは納得できる。実際問題、ベロブルグの上層部下層部問題にかかりきりだった開拓者たちは忙しなかったことだろう。

「それよりも問題は、星をどうするかだろう。いつまでそうしているつもりだ?」
「穹が列車に乗るって言うまで」
「えっ、俺?」
「なんてことですか! そんな急に!」

 悲鳴を上げるサンポ以外は、星の発言にそう驚いていない。そっか、記憶喪失同士、肉親かもしれない相手に出会えたとなるとそうなるか。確かにそうかも。あまりそういうのを気にしてこなかったからなあ。だって俺は誰かに捨てられてヤリーロVIに。そしてナターシャに拾われてボルダータウンの診療所に居るのだから。

「穹、君はどうしたい?」
「どう……? どうしたいって言われても、よくわからない」

 俺は診療所を居場所として認識しているし、サンポが斡旋する仕事もある。居場所も記憶も探す必要を感じていないのだ。星とは出会ったばかりで、肉親とか兄弟といわれてもあまりピンとこないし……。いや、今絶賛引っ付かれているし、「妹居たかもしれないな……」と思い始めているけど。

「君は今まで、失った記憶を取り戻すことにも、居たかもしれない肉親を探すことにも興味がなかったみたいだけど……。今星を前にしても、何も変わらない?」
「何……か……?」

 そうナターシャに言われて、目の前の星を見る。彼女は表情の動きこそ少ないものの、目が雄弁に語るタイプだ。俺に縋るような……、そんな目。俺とは違って、星の身体には星核が埋め込まれている。なくした記憶は彼女の不安を煽っているだろう。肉親かもしれない俺を、やっと掴めた自分自身の手がかりのように感じているのかもしれない。俺も記憶喪失だけど。

「穹、私の心には、穴が空いている」
「穴?」
「穹とこうしてひとつでいると、それが埋まる。今まで気にしてなかったのに、穹と会って、またこの穴が空くのは耐えられないと思った。私には穹が必要。穹にも、私を必要としてほしい」

 私の心には、穹の形の穴が空いているの。そう暫定妹に言われて、突き放せるやつがいるだろうか。……俺には無理。そっとナターシャを伺い見れば、彼女は優しく俺を見ていて、「穹の好きにしていい」と言っているようだった。
 星の背中に腕を回して、ぎゅうっ、と抱きしめる。今誰かの悲鳴聞こえたな。

「うん。一緒にいる」
「っ! 丹恒! 丹恒!」
「三月、叩くな」
「一緒……! 嬉しい、ヴェルトと姫子に連絡する。あ、写真送ろう。なの、撮って」
「任せて!」

 なのかの掛け声に合わせて、ピースサインでポーズをとる。あとは星が丹恒たちと話し合いながら列車待機組と連絡をとるのを待つだけ。今頃星は、スマホで星穹列車ファミリーのグループに写真を送っているのだろう。一体どんな会話が織りなされるのか、すこし興味があるな。
 俺も、ナターシャとサンポと話をしておかないと。

「ナターシャ、その」
「いいのよ、穹。いつかはそんな日が来ると思ってた。覚えておいてほしいのは、ここも君の帰る場所だってことと、私が君のことを家族のように思っているってこと」
「うん。俺もナターシャのこと大好き。あの日俺を見つけてくれたのが、ナターシャで良かった」

 墓はナターシャと同じところに入れてもらおうかなと言うと、今その話をするのは縁起が悪いわよと苦笑いで怒られた。でも、嫌だとか、駄目だとは言われなくて少し嬉しい。俺も先日サンポに「兄弟みたいだ」と言われて嬉しかったこととか、俺もナターシャのこと家族みたいに思っていたことを話すと、ナターシャは顔を綻ばせて「そんなこと言われたら、行かせたくなくなっちゃうわ」と笑った。

「あのぉ、穹さん?」
「あっサンポ。また機会があったら会おうな」
「どうしてボクにはそんなに軽いんですか! ボクがどんな思いでふたりの会話を聞いていたかわかります?」

 「今まで一緒に仕事をしてきた仲じゃないですか」から始まり「そんなボクを置いて行ってしまうなんて」「胸が張り裂けそうで」「ボクのことは代えのきく都合のいい」「あの熱い夜は」とあるんだかないんだかよくわからないメモリーズが語られる。うるせえ。

「はぁ……、こうなるだろうから会わせたくなかったんです……」
「は? なんだ、やっぱりわざとか」

 ポツリと呟いた言葉に確信した。サンポといえば、星たちがヤリーロYに来て最初に出会う人物だ。当然サンポは星と俺が似ていることに気がついただろう。だというのに、星にも俺にもそのことを告げず、会うことを妨害するかのように仕事をねじ込んできた。そこまで会わせたくなかった理由って……。

「サンポもしかして……、俺が居なくなると寂しいのか?」
「……ええ! そうですよ! その通りです。これから毎日穹さんの顔が見られないかと思うと、胸が張り裂けそうです! ああ困りましたねえどうしてくれるんですか穹さん!」
「うるさっ。別に今までも毎日は見てなかっただろ」
「穹さんが知らないだけですよ」
「なに……怖……」

 声が静かで本気を感じるのが余計恐怖を煽る。なに、サンポ。どうした?
 賢いサンポは最悪(?)の事態を予想して俺を他所にやっていたらしいが、努力虚しくこうして俺が星穹列車に乗る流れになってしまったことを本当に悔しがっているらしい。なに、「穹さんはいつも想定通りにいかないんですから!」って? 悪口か? 受けて立つぞオイ。

「連絡くださいね。写真は1日1枚で……」
「なんでナターシャより束縛してくるんだお前」

 お前は俺の何なんだよ。


──────


 「穹さん、今何してます?」「本読んでる」「写真送ってください」「【本の表紙】」「本読んでる穹さんの写真が欲しいんですよ!」…………一体何なんだ。星穹列車に乗ってヤリーロYを出てから、サンポからの連絡が鬱陶しいくらいある。メッセージを確認するのもやめてため息を吐くと、丹恒が何事かと顔を上げた。

「丹恒……、悪いけどちょっと俺の写真撮ってくれる?」
「構わないが……」

 顔の横に本を掲げ、もう片方の手は適当にVサインを作る。笑顔を浮かべる気にもなれず仏頂面だけど、それはまあ、サンポのせいだから。

「これでいいのか?」
「ありがとう、助かる」

 画面を見ると「穹さん?」「無視ですか?」「怒りました?」とメッセージが連なっている。そこに丹恒の撮ってくれた写真を送付して、「マジで面倒くさいからもうこれでおとなしくしてくれ」と送って画面を閉じておく。強制されるとなんでこんなに面倒で億劫になるんだろう。のんびり本も読めやしない。

 ベロブルグにはない本が多数置いてある列車のアーカイブは興味深く、本をいくつか読むうちに丹恒との距離は普通の友人程度に縮まってきた。といっても、静寂の支配する部屋の中で会話もなしに一緒にいるだけだが。最初の頃とは違って、静けさの中の気まずさがなくなってきた。
 星はじっとしていられない質らしく、俺が本を読み始めると悲しげな雰囲気を纏ってアーカイブから退室する。邪魔をしないように、ということらしい。その姿に罪悪感が刺激されないでもないが、アーカイブに居るとき以外はべったりなので、まあいいかなと思っている。

「そろそろ、羅浮につく頃かな」
「……気をつけろよ」
「うん」

 俺がアーカイブに籠もっている間に、星核ハンターからの通信があったらしい。カフカの言葉通り羅浮へ赴くか否かの多数決が行われたが、それに関して俺は不参加とさせてもらった。開拓者となって日が浅いし、どうすればいいかなんて決められないので……。どっちにせよ羅浮に行くのは必然だろうから、参加しなくてもいいかなと思ったのもある。
 実は俺個人は羅浮に向かうことに乗り気じゃない。捨てた物が意外なところに拾われていたこと、カフカが知ったらどんな反応をするのか。それを目の当たりにするのが少し怖くて……、日和っている。俺は勇気と開拓心の足りない男。だってカフカに「あら、生きてたの? 困ったわね」なんて言われたら泣……、きは、しないけど! 俺にはナターシャが居るので。ただ、傷付きはする。野垂れ死ぬことを望まれていたら誰だってそうだろう。運良くカフカからの通信中は席を外していたが、星は俺と一緒に羅浮に行きたいと言い、初の開拓として悪くないんじゃないかと姫子たちもそれを支持した。残念ながら、カフカとの遭遇は避けられさそうだ。気が重い。

───

「俺を忘れたと……、そう言ったのか」

 拝啓、カフカを追いかけに行った星。お兄ちゃんは今、初対面のはずの男に「俺たち会ったことあるよね?」という類の言葉をかけられています。ナンパ? 茶化したいところだけど、男の目はぐるぐるしててえらい怖い感じだし流石の俺もちょっと無理。逸れてごめん、でもこいつが物陰に引っ張り込んだせいだし、できるだけ早く助けてほしい。本当に。後ろは壁、前は男、左右は男の腕。超怖いんだ。

「笑えん冗談だ」
「は? いや、冗談でもないし……、忘れたっていうか、記憶喪失……。いや、忘れたことになるのか……? でも故意じゃないし……」

 この近い距離でなんとか視線をそらして言い訳するしか、俺にはできない。俺は、弱い……。

「ごめ、えっと、なにか、俺に恨み、とか……?」

 圧が強すぎてもうそれしかない。男……、刃は丹恒に恨みを持つ男だし、俺にもなにか恨みがあるのかもしれない。思い当たる節はもちろんないし、なくした記憶部分に理由があるとも到底思えないんだけど……。

「……頭を打ったのか」
「頭? ああ、頭……えっと、多分?」

 刃が尋ねているのは、おそらく記憶喪失の原因についてだろう。確か最初にナターシャが拾ってくれたとき、頭を打った形跡があると言っていた。スターレイルの主人公はカフカの暗示による記憶喪失だったし、俺が記憶喪失なのも普通に受け止めていたけど、もしかして俺の記憶喪失って事故なのか? でも、そうなると裏路地に捨てられていた理由がつかない。どうだったとしても、今現在刃に迫られている状況の異質さは変わらないんだけど……。

「ふん、それで己に似た片割れの近くに居る訳か。お前が居るべきはあの小娘のそばではない。帰るぞ、小僧」
「は!? え、ちょっと待ってくれ、帰るってどこに、うわっ!? ぐえっ」

 先程まであった突き刺すような怒りを鎮めたらしい刃に突然荷物のように肩に担ぎ上げられ、腹が圧迫される。俺が食後じゃなくてよかったな、食後だったら吐いてた。
 何も説明されず、刃だけが勝手に納得して行動している。俺にも説明をくれ、お前は俺の何なんだ。

「お前っ……、なんなんだよ一体!」
「刃」
「名前聞いた訳じゃな……、ったァ! ちょっ、ええ!?」
「喧しい……、少しは大人しくしろ」

 信じられない! こいつ、初対面の相手の尻ひっぱたいたぞ! 俺だってサンポの尻はまだ叩いたことないのに!

「そんなのお前のせ、イっ! てぇ……! 痛、ごめ……、わかった、わかったおとなしくするから……!」

 ナターシャにも叩かれたことないのに……! 腹の圧迫感にも耐え、これ以上尻が割れないようおとなしくするしかない。こいつ叩く手に容赦がないから、冗談抜きに4つとか6つに割れてたらどうしよう。星が「穹のお尻を……守れなかった……!」って泣いてしまうかもしれない。なんだそれ。

「カフカが太卜司に連れられるまでまだ時間がある」
「……どうすんの?」
「待機だ」

 待機……って、俺を連れたまま? 俺はこのまま刃と逃げる逃げないの攻防をしなければいけないってことか。俺の力で刃に勝つことができるだろうか。今頃はきっと、俺がいないことに気がついた星が心配しているだろうし、はやくみんなと合流しなくては。さすがに置いていかれることはないと思うけど……。思うけど、さあ……。

 ひと気のない建物内に放り込まれ、刃と地獄の強制ふたりきりにされた俺の運命や如何に。この野郎誘拐しておきながら、道中もここに着いてからも俺の過去については一切話してくれなかった。なにか知っている風だったのに。刃の言葉を額面通り受け取るならば、きっと俺は記憶を失う前星核ハンターと行動を共にしていたのだろう。それは、星も同じだと推測される。ただ……、なぜ刃は俺を星核ハンターへと連れ戻そうとしているのか。もしかして報連相うまくいってない? 刃、ハブられてるのか? そうだった場合、「あら刃ちゃん変なもの拾ってきて。ダメよ、元の場所に返してらっしゃい」とか言われる俺の気持ち考えて欲しいな。
 そろ、と忍び足で扉の方へと近寄る。まだ大丈夫、気づいてない。もう少し……、もう少し……。

「どこへ行く」
「うわっ!」
「待機だと、言ったはずだが」

 ふう、やれやれ小僧はいつも落ち着きがない。みたいな顔してる。不思議とこの仏頂面が呆れ顔だとわかるのは、俺の無くした記憶のお陰か?

「俺はお前のこと知らないし……、帰るとか待機とか言われたって困る」
「……? カフカは、……いや、お前の都合など関係ない。カフカと合流すればお前の考えも変わる」

 変わったら、困るな……。刃の口振りじゃ、俺は星を置いて星核ハンターたちと共にいくってことか? ナターシャの診療所で見た星の悲しげな顔が頭を過ぎる。あんな顔をした星を置いて、俺だけひとりどこか遠くへ、なんてできないよな。でも、刃の移動が早すぎてここがどこなのか今ひとつわからない今、カフカと刃が合流する瞬間が、俺が星たちと合流できる瞬間でもあるだろう。おとなしく待つ……、結局それか。

───

「穹……、記憶を無くしてしまったの?」

 あれー?

 刃がカフカと合流する時なんとか刃から逃げてやろうと思っていたのだけど、それが刃に筒抜けだったらしい。俺の知らない俺を知っている刃からすると、俺のしそうなことなど容易にわかるんだとか。怖い顔で言われてめちゃくちゃ怖かったし、記憶がそこまでしかない。気がついたら海が見える? 砂浜? みたいな場所で、カフカとご対面していた。ここはどこ? 俺は穹。星穹列車に乗るナナシビト。よかった、今回は記憶なくしてないな。刃に海に投げ捨てられて今度は不法投棄の漂流物とか洒落にならん。
 ぼうっとカフカを見つめていると質問に答えなくても記憶喪失だとわかったようで、カフカは「そう……、そんなことになっていたのね」と溜め息を吐いた。

「穹、私はカフカ。さあ、呼んで?」
「……カフカ?」
「そうよ。穹は今までどこで、何をしていたのか。教えてくれる?」
「……えっと」

 言っていいのか、判断がつかない。なぜカフカがそんな質問をしてくるのか意図が読めないからだ。捨てたものに対する態度にしては少し可笑しい。なら、俺って何? 頭がぐちゃぐちゃになりそう! こんなの初めて!

「まずは私の方から話すべきかもしれないわね。君と星は、星核をその身に宿すために生まれた人造人間。私は君たちに戦闘テクニックと常識を教えた、謂わば育ての親……、かしら」
「育ての親?」
「そう。怖がらないで、かわいい子。星核を宿すことになったのは星だった。君の身体は星核を受け入れるにはすこし脆かったみたいね。エリオに言わせれば、その代わりになにか興味深いものが身体に入っている……、らしいわ。どうかしら、少しは私のこと信用できそう?」

 俺の身体は脆い。それが魂に起因するものなのかどうか……、それは考えても詮無いことか。俺と星の生い立ちはわかった。でも、俺がボルダータウンに捨てられていた理由がこれだけではわからない。

「……俺は、ヤリーロVIの下町の裏路地に。……捨てられてた」
「捨てる? ……そう、記憶を失った上にそんなところに居たのなら、そう思うのも仕方ないわね。だけど穹、私は君を捨てたりしていないわ。君は奇物の暴発で転移してしまったの。きっとそのとき記憶を失ってしまったのね……」

 「エリオに不確定要素とノイズが酷いなんて溜め息を吐かせるのは君くらいよ」とカフカは笑う。

「信じて、穹。私は君を捨てたりしない。……私のコート、一緒になかったかしら。寝ている君に、私が掛けたのよ」
「!」

 あの、コート。今は星穹列車に置いてあるそれをカフカが知っているのなら、奇物の暴発という話も辻褄が合う、気がする。

「……わかった、信じる」

 でも、カフカや刃と一緒には行くわけにはいかない。俺は捨てられたんじゃないとわかって気持ちは上向いたけど、でも俺の今帰る場所は星穹列車だ。星のそば。

「っ、うふふ、「羅浮で再会する」とは言われたけど、まさか穹がこんな様子だなんて……。刃ちゃんに迫られて怖くなかった?」
「カフカ」
「ちょっと怖かった」
「そうでしょう、可哀想に。刃ちゃんは君に対して距離が近いもの」
「カフカ」

 すごい、刃にやめろと圧をかけられているのにものともしてない。

「君が言いたいことはわかってるわ。星穹列車に戻りたいんでしょう」
「えっ、なんで……」
「ふふ、穹が戻ってくるか、それとも星と共にいることを望むか……。後者の可能性がとても高い、そうエリオも言っていたもの。星は記憶をなくしても、きっと君について回っているんでしょうね」

 俺について回る星を想像したのか、カフカは笑みをこぼして俺の頭を撫でた。その手つきは少し、ナターシャに似ている、……気がする。

「……もし、羅浮で最初に君に会ったのが刃ちゃんじゃなくて、私だったら」
「カフカだったら……?」
「ふふ、何も変わらない、わかってるわ。刃ちゃん、残念だけどそういう訳だから」
「…………」

 ふ、不服そうな顔をしている。眉間に寄った皺、ギュッと結ばれた口、不満を訴えかけてくる目。でも刃はエリオに忠誠を誓っているらしいから、従うほかないみたいだ。

「星はずっと君を心配していたから、戻ったら沢山甘やかしてあげるといいわ。それじゃあ穹、『聞いて』」


──────


 目が覚めたら、星穹列車に戻ってきていた。俺が起きるやいなや突進してきた星に押し潰され、もう1回意識を飛ばす羽目になったけど俺はとても健康体。
 カフカに「聞いて」と言われた内容は、騒動が一段落するまで微睡んでいてというものだった。そんな使い方できるんだ? 便利だなと思うと同時に、記憶を再度消されることがないことに安堵した。俺記憶喪失恐怖症になっちゃったかも。なんだそれ。

「心配した」
「ごめん」
「もうどこにも行かないでほしい。……こう、手のひらサイズになれない? 持って歩く。私が。ずっと」
「無理だな……」

 「心配したよ!」とぷんぷん怒るなのかと、くっついて離れてくれない星の反応があまりにもオーバーなので、ヴェルトや丹恒は俺に何も言わない。なのかや星に「そこまでにしてやったらどうだ?」とかは言ってくれるのでどちらかというと俺の味方。姫子は「無事だったならひとまずそれでいいわ」と珈琲を飲んでいるらしい。曰く、説教や心配は姫子の分まで星がするだろうから、その分休ませてくれるんだとか。ひ、姫子さん……!!

「刃に担がれてる穹を見たとき、心臓が止まるかと思った」
「俺もあいつに誘拐されたときは怖過ぎて泣いちゃうかと思った」

 心の中で星に早く助けてほしいと願ったくらいには。あいつ俺が記憶喪失だって判明しても容赦なかったし。

「穹、後で羅浮のこと聞いてくれる?」
「ん? うん、聞く」
「よし。じゃあ、丹恒と交代」
「えっ、なに、交代?」

 順番制説教? 俺と同じくよくわかっていないらしいヴェルトも連れて「あとは若いおふたりでってやつだよね!」となのかも出ていってしまった。それお見合いのやつ。

「……えーっと、丹恒先生?」
「なんだ、その呼び方は」

 叱られるかな、と背筋を伸ばしてみたけど、別にそういうわけではないようだ。丹恒は至極不思議そうに首を傾げている。

「いや、ちょっと雰囲気が。丹恒は俺になにか用事?」
「少し聞きたいことがあっただけだ。勿論答えられないならそれでも構わない。俺もお前に言えないことはいくつかある」

 丹恒は少し沈んだ顔で言うが、俺は丹恒の事情というのを少しだけ、しかも一方的に知っているので、なんとも言えない気持ちになる。過去を暴き立てようとしたわけじゃないから所謂不可抗力というやつだろうけど……。うん、答えられる質問だといいな。

「そう難しい顔をしなくていい。ただ個人的に俺が気になっているだけのことだ、誰にも言わない」
「そっか。……俺そんなに難しい顔してた?」
「ああ。お前も星も慣れてくると何を考えているかよくわかる」

 そういえば、サンポやナターシャも、俺が「何を考えているかわからない」と言われていることを笑っていた。こんなにわかりやすいのに、と。慣れてくると、俺が無表情でもそう深刻なことを考えていないことがバレバレってことだ。深刻な顔、できるようにしておこうかな。

「聞きたいのは、刃とはどういう関係なのか……。記憶喪失のお前にこんなことを聞いても、とは思うんだが。何故刃がお前を連れ去ったのか、その理由をお前自身はちゃんと知っているのかを知りたい」
「刃と俺の関係……」

 単純に言うと他人だ。記憶喪失前に一緒に行動していたようだが、それは星も同じこと。星の失った記憶や星核ハンターとの関係性は、どの程度星穹列車のメンバーに知られていたのだったか? 星核ハンターと関係があったというくらいで星の立場が悪くなったりはしないと思うけど……。

「記憶を失う前の俺は、刃と知り合いだったらしい。刃は俺をもとの場所へ連れて行きたかったみたいだけど、カフカは俺が星穹列車に残りたいって気持ちを優先すべきだって思ってた。ふたりの会話からは、それくらいしかわかることはないかな」
「知り合い……、それだけか」
「記憶を失う前は実は結構仲のいい友人だったとか、そういうこと? うーん、正直、たとえ記憶を失う前だったとしても、あいつと知り合い以上の関係にはなれる気がしないけど……」

 記憶を失う前だろうと後だろうと、俺というものが大きく変わるとは思えない。俺と話しているときの刃とカフカの反応からしてもそれは伺える。

「刃も別に俺になにか思い出してほしいみたいな雰囲気はなかったから、特に仲良くはなかったと思う」

 最初に忘れたのかと責めるように言われたけど、あれはなにか約束事があったとかではなく、この顔を忘れるとかそんなことある!? っていうニュアンスだったと思う。あいつの執着心は好意より憎悪のほうが強そうだということは、丹恒も身を以て知っている筈だ。もしも丹恒から見て刃が俺になにかしらの執着心を持っているように見えるのならば、刃と俺の仲はプラスよりマイナスじゃないかなと思う。

「そうか……。なら、今お前は刃に対してどういった印象を持っている?」
「印象? あー、そうだな、印象……、雰囲気が怖いとか? 体格は結構よかったよな。俺のこと抱えて動けるくらいだし」
「それくらい俺にもできる」
「あはは、なに張り合ってるんだよ、変なの」

 珍しく感情を顕にした丹恒に思わず笑ってしまう。丹恒が強いってことくらいみんな知ってるのに、高々俺を抱えることができるとかそんなことで張り合うなんて。相手が刃だからだろうか。

「刃はカフカから俺を連れていくことはできないって言われてたから、もう俺のことを連れて行こうとはしないはずだ。多分大丈夫じゃないか?」
「……お前はあいつにあまり興味がないんだな」
「えっ。興味がないわけじゃないけど……うん……、いや、もしかしたら興味ないのかも……」

 刃のことは一方的に上辺の情報を知っている上に、しばらくは会わないだろうと思っているから……。興味か……、確かに言われてみればないのかも……。

「まあ、興味津々に追いかけられるよりはいい。……もとよりお前は、なににも深い興味を持たなかったか」
「え、心外だ。俺ってそんなになにもかもどうでも良さそう?」
「どうでもいいというより、優先順位が低い」
「どうでもいいんだよ、それ」

 どうなってもいい、どうでもいい。優先順位が低いってことじゃん。全部一緒!

「えー……、俺結構人生楽しんでるけどなあ。丹恒から見て、俺はなにを蔑ろにしてる?」
「失った記憶、開拓先の人との交流……」
「記憶は……、だって、焦ったって戻らないし、別にどうだって……、いい……うん……」

 記憶を蔑ろにしているのは自覚がある。けど!

「人との交流はさ、今俺それより大事なことがあるから」
「大事なこと?」
「星穹列車のみんなとの時間。正直今はそっちのほうが大事かな。星やなのかや丹恒……、そっちで手一杯だから、開拓先にまで興味持ってられないのかも」

 あまり意識したことなかったけど、俺ってキャパシティ狭いのかも。

「確かに、ちょっともったいない気もする。気をつけるよ」
「いや、咎めたい訳じゃないんだ。お前はそのままでいい」
「そう?」
「星がふたりになっても困る」
「それはそう」

 好奇心旺盛開拓モンスター。そんなところもかわいいなと思うけど、確かにふたりいたら大変だ。丹恒は止めるんじゃなくて付き合ってくれるから尚更。

「もしかして、俺が刃に興味持って近付かないか心配だったのか?」

 俺のなくした記憶に関係ありそうで、向こうから接触してきた男。刃に狙われる丹恒からすれば、近付いてほしくないだろうし、向こうから近付いてくるのも勘弁してほしいだろう。

「大丈夫! 俺どっちかというと、刃よりカフカのほうが気になるし」
「カフカ? ……なぜ?」
「え、だって……、俺、美人なおねえさん好きだから……」

 ナターシャも好き。精神年齢がどうこうとかは関係なく、俺に対して年長者として接してくる人を暫定おねえさんとする。この気持ち、多分アニメに造詣が深いヴェルトならわかってくれるはずだ。

「俺に対して害意はなかったし……、頭撫でてくれたし……」

 カフカとの別れは不慮の事故であり、カフカ自身も俺を嫌っているわけではないのが先日発覚した。俺が捨てられたわけじゃないことも。結局手放すことができず列車まで持ってきてしまったコートも、今では心穏やかに見ることができる。捨てなくて良かった。いつか返そう。

「……そうか。少し待っていてくれ」
「えっ? あ、うん。いいよ」

 何か考え込む仕草をした丹恒は、部屋を1度出ていった。……が、すぐにまた扉が開く。

「早かったな丹こ……おっ? ……おおお?」

 長い髪、透き通った角、肩や胸元が開いた服。丹恒、変身した? 龍尊パワー、メイクアップ。

「どうだ」
「どうだ!? え、どう、……綺麗だよ?」
「そうか……」

 どことなく納得していない雰囲気だ。俺は今何を求められている? 飲月の姿への感想を求められたのではと思ったんだけど……、丹恒も男の子だし、綺麗とかよりかっこいいのほうがよかった?

「星からは「おねえさんみたい」と言われたんだが」
「星と俺って趣味似てるかも……。丹恒はそう言われて普通に受け取ったんだ?」
「各々が抱く感想に口を出すつもりはない。……髪が長いと女性に見えるのか?」
「そういうことじゃないと思うけど」

 心の広い男、丹恒。世の中には、男性に対して「ママ」であったり「おねえさん」であったりと不思議な感想を抱く者が存在する。その気持ちは俺もわかるのでなんとも言い難い。悪いだなんてとても。癖は、みんな違ってみんないい。
 それで、丹恒がわざわざおねえさんみたいと言われた姿に変わって現れた訳は……。

「……まさか、俺が「おねえさんが好き」って言ったから?」
「カフカは星核ハンターだ、危険だからあまり近寄って欲しくない。……だが、流石にこれを代わりにでは無理か。星の言葉を真に受け過ぎたな」
「代わりに自分の身体を差出すってつもりで? 丹恒、自分を大事にしてくれ。言ってくれれば聞くから」
「ああ、わかった、それ以上は……。俺も少し無理があったと思っている」
「いや、無理とかではない。それとこれは話が別だから。全然。その姿の丹恒はかなり美人なおねえさんだ」
「……お前が好きなら、それでいい」

 うりうりと俺の頭を撫で回す丹恒の手つきに繊細さはないが、これはこれで。犬の気持ちになれていい。癖が歪む音がする。

「なんでもしてやるから、暫くは列車から出ずにおとなしくしていてくれ」
「わかった。……うん、でも「なんでも」とか言うのは良くないぞ丹恒……」

 属性にえっちなおねえさんが追加されちゃうぞ! 今なんでもって言ったよね?

「お前に俺の都合を聞いてもらうんだ、俺も応えるべきだろう」
「そうかな……」

 俺、わかるよ。俺が無茶な頼みをしないって見越して言ってるんだ。つまりこれは…………、信用! 丹恒からの信用は、得難い雰囲気がある。同じ言葉を言われたとして、丹恒とサンポじゃ天と地ほどの差があるよな。これも信用の差だな。

「……あっ」
「どうした?」

 サンポ。そう、サンポで思い出した。ばふばふいつもスマホをしまっている辺りを叩くと、無事スマホの硬質さが布越しに伝わる。どこかに落っことしてなくてよかった!

「やばいやばい。サンポのメッセージ、3回に1回くらいは返すようにしてるんだ。未読で放置しちゃったから……」

 「ああ……」とこの世の終わりみたいな声を出した為に、丹恒がスマホを覗き込む。今丹恒「うわ」って言ったな。
 サンポからメッセージがたくさんと……、ああ……、ナターシャからも……。サンポのやつナターシャに喋ったな。

「よし、丹恒。写真撮って。五体満足の証明すれば余計な心配かけないだろうし」
「待て、写真はともかく、なぜ服を捲るんだ」
「服の下とか見えないところにも傷はありませんよっていうアピール」

 丹恒が渋々といった雰囲気を出しながらも撮ってくれたので、ナターシャとサンポのメッセージグループを作って送る。「心配かけてごめん。ちょっと連絡取れない状況になったけど、全然元気」と。これで大丈夫だろう。

「おっけー、ありがとう丹恒! 列車内ならウロウロしていいんだよな? 星の話聞きに行かないか?」
「ああ。立てるか?」
「めちゃくちゃ元気」

 …………よかった、メッセージに刃と匿名のアカウントが増えていたのはバレてないみたいだ。いつの間にか入ってたやつだけど、消せって言われるとちょっと勿体ない気持ちがある。別に会いたいとかそんなんじゃないけど。こう、ミーハーな心? みたいな。多分星のスマホにも入ってるだろうし、別に危険じゃない。大丈夫大丈夫。



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