短編 | ナノ


▼ 旅人の義理の……


ネタのこれ(親と子)
※not旅人
※旅人=空



 璃月の街並みの中。壁に背を預けていた青年が、待ち人を見つけたのかぎこちなく控えめに手を振る。一見すると近寄りがたい冷たい雰囲気の青年だが、近寄ってきた長い三つ編みの少年には少しだけ笑みを見せた。気を許している相手なのだろう。

「ジョン! ごめん、少し待たせた?」
「別に、そうでもない」

 無愛想な返事だが、内容は少年を気負わせないためのもの。それを少年もわかっているのか、気を悪くした様子はなく嬉しそうに微笑んでいる。

「ならよかった。あ、少し屈んで」

 素直に少年の要求に応えた青年は軽く腰を曲げる。少年の手は青年の髪を軽く梳くと、頭を撫でて離れていった。

「……なんだよ」
「髪が伸びてきたなって」
「少しな。……このまま、また伸ばす」
「また髪紐を作ろう。蛍は……、もしかしたら怒るかもしれないけど、俺とジョンのふたりでお揃いのやつを」
「紐で括るくらいだと、だいぶかかるぞ」
「ずっと待つよ」

 そんな仲睦まじいふたりの様子を物陰から見守る怪しい影が。

「仲良くやってるみたいだな……!」

 旅人の浮遊する相棒、もといパイモンは、ふたりの仲を応援しつつも、少しだけ心配していた。なにせふたりの初対面は苛烈も苛烈だったのだ。しかし出だしから好調な雰囲気を察して、物陰で「よし!」と拳を握った。
 そして、その背後にまたしても怪しい影。

「やあおチビちゃん、珍しくひとりだと思ったら、相棒のストーキング?」
「うわああああ!!」

 背後からかけられた声に、思わず叫び声を上げたパイモン。驚いて後ろを振り返ったパイモンが見たものは、見知った顔の男の笑み。

「なっ、なんだ、公子か。びっくりさせるなよ!」
「あっはは、ごめんごめん。あんまりコソコソしてるからさ」

 公子は悪びれもせず、笑みを浮かべながらパイモンを諌める。パイモンが腕を組んで睨めつけてもどこ吹く風だ。

「ああ、おチビちゃん、お詫びにいいこと教えてあげるよ」
「いいこと?」
「さっきの叫び声で、君が見てたふたりがこっちに気付いたみたいだ」
「ええっ!?」

 パイモンが慌てて確認した先、青年と少年の目は、しっかりと物陰に居るパイモンを捉えていた。

───

 自分は彼らを愛していた。きっと、彼らも自分を愛してくれているはずだと、そう思っていた。

 愛していたのは自分だけだったのかと、悲しみにのまれたのは、敵対していた者たちに捕まり暴行を受けてしばらく経った後。
 彼と揃いになるよう伸ばした髪を切られた。彼らがくれた髪紐とともに、打ち捨てられたという。それでも、彼らは自分を探している筈だと耐えた。しかし待てど暮せど彼らは現れず。ついに「彼らは異世界からの旅人で、もうこの世界から旅立った」と無情にも告げられた。

 ずっと無視してきた「可哀想に」「捨てられたんだよお前は」という言葉が嫌に脳に響き渡る。

 そして悲しみは、容易く憎しみに変わった。捕まった自分が悪いのだ、弱みになる存在である自分が。そう何度も彼らは悪くないと自分に言い聞かせたが、「自分だったら何があっても助けに行ったのに」と少しでも思ってしまってからは、もう、駄目だった。彼らと自分は同じ気持ちではない。彼らにとって自分はその程度の存在だ。そう思うと、ひどく悲しくて、苦しくて。愛してくれていたという自覚があったから、だから余計に「なんで」「どうして」が止まなかった。

 そして、失意と憎しみの中、死んだ。

 物心ついたとき、見知らぬ世界に生まれ変わっていることを自覚した。生きる理由もなく、だからといって死ぬ理由もなく、愛することも愛されることも恐ろしく、しかし新しい生を受けてなお彼らに縛られ続けるのも癪で。……どうしたらいいかわからないまま、惰性で生き続けた。
 新しい命になったとて、心の淀みは消えない。親しい人を作らず、集団にも属さずにひとりで生きてきた。きっと、裏切られるのが怖かったから。

 再会したとき、燻っていた憎しみは一気に燃え上がった。互いに姿は皮肉にもあのときと同じ。驚愕に見開かれた目が、「彼は俺を俺だと認識している」と如実に語っていた。交わす言葉はひとつもなく、交わる剣と剣。防戦一方の彼に高まる苛立ち。

「ジョン!? くっ……! どうしてここに……!?」
「なぜ戦わない! 防ぐだけでは俺は殺せないぞ!」
「なっ、なんなんだよお前! 旅人っ……!」

 俺たちの攻防の間に入れるはずもなく、声を上げるだけの幼子。ああそうか、俺なんかよりもっといいものを見つけたとでも? 悲しみから目を逸らし、燃え上がる憎悪。その感情のままに剣を薙ぎ払って、彼を弾き飛ばす。

「うっ……!」
「ああっ! 旅人っ!」
「来るな。来たらこいつを殺す」

 倒れ伏した彼の首に剣を突き付けて牽制する。あの浮遊する幼子になにかできるとは思わなかったが、彼の周りのどれもこれもを滅茶苦茶にしたくて仕方がなくて、無害であろう相手にも牙を剥く。
 幼子に切っ先が向けられることを危惧したか、彼は荒く息を吐きながら、倒れ伏したそのまま俺の名前を口にした。

「っ、お前にその名前を呼ばれる筋合いはない!」

 ギリ、と剣を握る手が怒りで軋む。「だいすきな君への、最初の贈り物だから」と、顔を綻ばせて度々彼が紡いだ名前も、もう憎しみの象徴でしかない。目の前が真っ赤になりそうなほどの怒りの中、彼のそばに落ちたあるものに視線は吸い寄せられた。恐らく戦いの最中、衝撃で鞄の中から出てきたであろうそれは、俺と、彼と、彼女の……。

「お、前が……なんで、それを……」
「ジョンの遺髪、だって……」

 俺と彼らで揃いで誂えた髪紐と、それで束ねられた髪。俺が捕まったときに切られた髪だ。それを、遺髪だと、ずっと持っていたのか……? 俺を見捨てたくせに……? なぜ、なら、どうして……。
 ポロ、と彼の目から水滴が落ちる。瞳はまっすぐ、俺を見ていた。

「生きててくれて、よかった……。守れなくて、ごめん」

 なんで。

───

「なんてことがあったから、思わず後を……。へへへ……」
「別に、文句なんて言ってないだろ。好きにしろよ」

 ストーキングに失敗したパイモンは、バツが悪そうに頬を掻く。彼の「相棒」なのだから、心配になるのは当然だろう。それに、後ろから見ていたことなど気配で早々に気づいていた。

「へえ! 精神的ハンデがあるにしろ、相棒に勝つなんて!」
「すごく強くなってて感動した」
「別に……。俺が強くなったっつーより、あんたが弱くなったんじゃないのか」

 紆余曲折あったが、俺と彼との蟠りはとけた。あれだけ憎悪を剥き出しにした手前、まだ前と同じようにとはいかないが。それでも、互いに後悔と悲しみとを乗り越えて少しずつ歩み寄っている最中、だと思う。俺にとって都合のいい勘違いでなければ。

「ジョン、そんな他人行儀にしないで」
「……空?」
「もうひと声」
「そんなもんはない」
「あるよね?」

 暫し沈黙。ジッと見つめてくる瞳が居心地悪くて、視線をそらしてため息を吐く。俺は昔からこの目に弱いんだ。

「…………とうさん」
「うん」
「えっ」

 昔はそれこそ飽きるくらい呼んでいたが、もう随分と呼んでいないのだ。慣れないし照れくさい。嬉しそうな父を見ると、まあ、そう呼ぶのも悪くないかなと思うけど。

「ふたりはこれからどうするんだ?」
「素材が欲しいから、秘境に行こうかな。風龍廃墟、奔狼領、黄金屋、伏龍の木、鳴神島天守……」
「強敵ばっかりじゃないか! 何に使うんだ、そんなにも……」
「髪紐を作るんじゃなかったのか?」

 強敵揃いらしい秘境の羅列に疑問を覚える。父と俺は先程まで髪紐を作るという話をしていなかったか? 別に、他に用事があるというのなら付き合うつもりだが。

「旅人お前、まさか髪紐にその素材全部使うつもりか!? どんな髪紐作るつもりなんだよ!」
「息子への愛が……留まるところを知らなくて……」
「留まらな過ぎるぞ!」
「ちょっ、ちょっと待って!」

 ポンポンとテンポよく進む会話に待ったをかけたのは、パイモンを驚かせて「見つかったものは仕方ないし、座って話そう」とさぞ詫びのように振る舞って自分の都合のいいように事を運んだ男。そういえば先程、俺が「父さん」と呼んだときに気の抜けた声を上げていたな。
 男はしきりに俺と父の顔を見比べたかと思うと、父を指をさした。

「父親?」
「うん」

 そして次は俺を指さして。

「息子?」
「だったらなんだ」
「はあ、なるほど?」

 なるほどと言いつつ、男の目は未だ混乱している。年齢は俺のほうが上に見えるし、父がこの年の子持ちには見えないという話だろう。

「義理の」
「俺が腹を痛めて産んだよ」
「おい嘘をつくな、無理がある」

 別に隠すようなことじゃないし、考えればすぐにわかることだ。俺の言葉を遮り、曇りなき眼で大嘘をつく父を肘で小突く。男とパイモンが父の嘘に一瞬ギョッとしていたが、まさか信じたってことはないよな? 男だぞ?

「吃驚した、相棒があまりにも真っ直ぐな目で言うもんだからさ」
「オイラも信じるところだったぞ」
「本気か?」

 ちょっと引く。父はそんなふたりに満足げに頷いている。なんでだよ。

「相棒の言葉には妙な説得力があるからね……」
「それは……、まあ、わかるけど」
「だろう?」

 俺にもその説得力分けてほしいよ、と言う男は確かに、光のない瞳のまま浮かべる笑みが怪しさを感じさせる。俺が前に仕事で知り合った黒髪眼鏡の男よりかは遥かにマシだけど。

「血縁がどうであれ、家族は家族だよ」
「確かに、そうだね」
「じゃあタルタリヤは秘境どうする?」
「俺? もちろん一緒に……、と言いたいところなんだけど、家族の時間を邪魔するのは気が引けるな。おチビちゃんと一緒に待ってるから、ゆっくり楽しんできなよ」

 予想外の留守番に声を上げたパイモンも、たう……、た、……、る? の「美味しいお店を知ってるんだ」の言葉に素早い変り身を披露した。食い意地が張ってる。

「ふたりがこう言ってくれてるし、久しぶりに親子水入らずしようか」
「俺はパイモンが居ても気にしないけど」
「それは俺だけ仲間外れみたいになるから駄目」
「オイラの留守番はお前の事情かよ!」

───

 モンド、璃月、稲妻と父の旅順を追うように秘境を訪れ、少しだけ街も見回った。父は行く先行く先で知り合いに俺を息子だと触れ周り、その度に俺は義理の息子だと注釈を入れるハメになる。助かるのは、誰も彼も俺と父の年齢についてや、深いところには触れないところだ。父は相変わらず人間関係に恵まれている。

「そろそろパイモンを迎えに行ってあげようか」
「……父さん」

 話さなければならないことがある。俺と父の間にはたくさん。今までのことはもういい、大切なのはこれからのこと。

「俺は1度スネージナヤに戻る」
「……スネージナヤ?」
「冬国だ。俺の今の拠点はそこにある」

 正しくは、そこで生まれ、そこで仕事をしてきた。
 俺は父と再会したとき、彼が「生きていてよかった」と言ったことを覚えている。父は俺が1度死んだことを恐らく知らない。いや、もしかすると違和感に気がついていながら、考えないようにしているのかもしれないな。彼は優しい人だから、俺が憎しみと苦痛の中、死という結末を迎えたとは思いたくないのだろう。ならば尚更、態々伝える必要はない。俺と父は再会した、それだけでいい。

「俺はまた、旅をしたいと思う。……できるなら、あんたと一緒に行きたい」
「勿論、そのつもりだよ」
「そうか……!」

 一世一代の告白というくらい緊張したひと言も、「勿論」と返されて流石に笑みが溢れる。

「なら尚更スネージナヤの拠点は片さないとな」

 もともと大した拠点ではない上に、私物もそうない。しかし、仕事にあたっての多少の人間関係というのを清算しなければならないのだ。人間関係の構築は最小限にしてきたが、どうしても多少は避けられない。黒髪眼鏡の胡散臭い男と孤児集めが趣味の奴には適当でいいとして、たまに顔を見に来てた近所のバアさんくらいには挨拶しよう。

「拠点を片付けに……。そっか。一緒に行きたいと思ってたのが、俺だけじゃなくて安心した。ジョンにはつらい思いをさせちゃったから、てっきり……」
「やめろよ。あんなふうにした後じゃ説得力ないけど、あんたたちが悪かったわけじゃないだろ」

 結局のところ、八つ当たりに近いのだ、あれは。自分の情けなさと、悲しみと、寂しさと、全部憎しみにして彼らにぶつけることで逃げていた。自分の弱さと向き合えなかった俺の駄目なところ。そもそも、彼らは好きで俺を置いていった訳じゃない。敵の術中にまんまとハマっていたと思うと恥ずかしさまで湧いてくる。

「安心しろよ、今はあんたより強くなったんだ。そう簡単にはやられない」
「……生意気」
「事実だろ」
「再戦したら俺が勝つよ。父としての威厳があるから」
「どうだかな」

 俺が少しだけ嫌味っぽく笑うと、育ての親としての威信が傷ついたのかムキになって返してくる。まあ若干の精神的ハンデがあったことは認めるが、それでも彼と同等くらいには強くなっているだろう。

 本当は、父のそばに居ることに迷いがあった。1度死んだ身であるし、世界を旅する父たちとはいろんなものが違う。でも、父も俺も互いに離れ難いと思っているのなら、その心のまま従おうと。たまにまだ憎まれ口をきいてしまうが、俺だって彼らが大好きなのだ。長く一緒にいられるならそうしたい。
 そしていつか離れるときが来ても、互いに「さよなら」が言えるなら、きっと前よりつらい別れにはならないだろう。


──────


「こんな俺に都合のいい地脈異常があっていいの!?」

 父の叫びに思わず呆れる。秘境の地脈異常で身体が小さくなった息子に言う言葉がそれかよ。
 勿論、父だって第一声がそれだった訳じゃない。ちゃんと真っ先に俺の身体に他の異常がないか調べ、錬金術や仙術に詳しい人物から「身体に異常なし」「影響も直に治るだろう」とお墨付きを得てからのこれだ。

「中身はそのまま、なんだよな……?」
「ああ、パイモンのこともわかる」

 首を傾げながら俺の周りを飛ぶパイモンを安心させようと答える。実のところ、中身が変わらないことに1番安堵しているのは俺だ。中身まで後退していたら、恐らく俺は父に襲いかかっていただろう。そうなると俺が死んで生まれ直していることが父にバレる。そこだけは不幸中の幸いというやつか。

「ジョン、とりあえず写真撮ってもいいかな」
「それより依頼だろ」

 「阿呆なこと言ってないで早く行くぞ」と促すと、名残惜しそうな雰囲気は感じるが、漸く冒険者協会の方へと身体を向けた。しかし、途中で父の足が止まる。

「待って、その身体でついてくるのは危ないんじゃない? ジョンって、その年の頃はまだ戦闘経験も浅かったし……」
「あっ、そうか! 平気そうにしてるけど、急にその身体で動くのは大変だよな」
「は? いや……」

 別に、と言おうとしたところで気がついた。俺は1度戦った記憶があるまま幼い身体を動かしたことがあるが、父の知っているこの年頃の俺は、戦闘経験の浅い子供。急に幼い身体を動かすのは大変だというパイモンの指摘も正しい。

「……身体が戻るまでは待機する」
「なるべく早く帰ってくるね……!」
「危ない人について行ったら駄目だからな!」
「中身そのままだって言ってんだろ」

───

 モンドは自由人が多く、人柄もおおらかな人が多い。駐在するファデュイがいることを除けば、まあ治安は悪くないと思う。それに、モンド城下には西風騎士団が多く居る。危ない大人についていくなんて事態、普通の子供でもそうないだろう。

「おお、本当に小さくなってるんだな」
「大丈夫? なにか不安なこととかはない?」
「ひとりで問題ないから、放っておいてくれ……」

 だから、態々こんなふうに人を寄越す必要はない!
 依頼に行く途中、父は見かける知り合いに「息子が今小さくなってる上にひとりだから、可能なら気にかけてあげてくれ」と触れまわったらしく、先程から顔を見に来る人の多いこと多いこと。今度は騎兵隊長に偵察騎士ときた。偵察騎士はともかく、騎兵隊長は話を聞いて面白半分に見に来ただけだろうな。

「そうつれないことを言うなよ。こんなに可愛い子供がひとりで居たら、いくら騎士団のお膝元といえど血迷うやつがいるかもしれない、って心配して駆けつけたんだぜ」
「もしそんな奴がいるなら、橋で鳥に餌をやってる子供なんかはとっくに餌食になってるな」
「ははっ、可愛い見た目に対して中身はいつも通りだな」
「旅人は「小さくなった」しか言ってなかったら、てっきり……えへへ、ごめん」
「気にしてない」

 騎兵隊長の発言はともかく、偵察騎士のは善意だ。子供がひとりで出歩く治安の良さも、彼女らの仕事の賜物だろう。

「心配したってのは本当なんだが……、まあ、この分だと大丈夫そうだな」
「でもくれぐれも無茶はしないようにね!」

 大きく手を振る偵察騎士に小さく手を振り返し、ふたりの背中を見送った。そしてガイアに「大丈夫」と言わしめた、隣に座る男に目を向ける。

「あんたも行っていいぞ」
「何故だい? ガイアは僕を見て「大丈夫そうだ」と言ったのだし、僕が居たほうが適当じゃないかな」
「俺はひとりで問題ない。いつまでもこんなところに居ないで、仕事なり趣味なりしたほうが有意義だろ」

 父と別れて早々に俺の横に居座った男は、次々顔を見に来る人たちを何度も俺と見送っている。つまりずっと横にいるということ。たまにスケッチなどをしているようだが、俺は父と別れてから同じ場所に留まっているから景色も変わりない。さぞ暇なことだろう。父に頼まれたからといって、律儀にずっとそばに居る必要はない。

「僕はずっと仕事をしているわけではないよ。騎士団にも当然休みはあるし、趣味なら今満喫してる」
「趣味って、変わりのない景色を描くことか?」
「君を見ること」
「…………地脈異常で変異した生物の観察ね」
「そう歪曲したとり方をしなくても、言葉のままだよ」

 「ほら、見るかい」と錬金術師が見せたスケッチには、風景ではなく俺の顔が描かれていた。歪曲も何も、普通に生物観察だろ、これは。

「僕にとってこの時間はとても有意義だ」
「あ、そう。……そういえはあんた、あの爆弾の子はどうした?」
「クレーかい?」

 火花騎士、だったか。可愛らしい見た目の恐ろしい爆弾を使う子供。彼女は錬金術師の妹だと聞いている。休みはしょっちゅう一緒に居ると父が言っていたし、錬金術師が休みなら彼女はどこへ行ったのだろう。俺に構っているよりそちらのほうが大切じゃないのか。

「クレーは今日、レザーと遊ぶと言って朝から居ないよ」
「はっ、放っておかれてるのか、アルベドおにーいちゃん」

 錬金術師が目を少し見開いた。今は子供の姿とはいえ、俺に「おにいちゃん」と言われるのはやはりキツいものがあったか。嫌味のつもりだからキツいのが正解。嫌なら嫌でもう少し嫌そうな顔してくんねぇかな。

「僕は君の兄ではない」
「当たり前だろ」
「でも、悪くないね」
「…………」

 表情の変化が少ない錬金術師が、ほんの少しだけ笑みを見せた。想定外の反応だ。見た目が幼いというだけでそんな気持ちになれるものだろうか。本来の俺の姿を知っているというのに。
 ただ揶揄するだけのつもりが、思ってもない反応を返されてしまい沈黙する。ボケ殺し、というのはこういうときに使うのだろうか。別にボケたつもりはないんだが、勢いは殺された。後からじわじわと恥ずかしくなってくる。

「……君は僕が苦手なのかな」

 沈黙を破ったのは錬金術師。首を傾げてはいるが、表情はさして変わらない。そう思われていることが悲しいとか残念だとか、逆に嬉しいとかそういった感情はなく、ただ事実を確認しているだけのように見える。

「別に苦手じゃない」
「嫌い?」
「嫌いでもない。なに、俺の態度? 悪いけどいつもこんなもんだよ」
「うん、それは知ってる」

 知っていると言う割に、雰囲気が「納得してません」と訴えかけてくる。彼が「苦手か」「嫌いか」と問いかけてくるのは俺の態度のせいかと思ったが、曰く違うらしい。こうなったら俺にもうわかることなどない。深層心理では彼のことが嫌いなのか? そんなことはわからん。

「君は今日会ってからずっと、僕に立ち去ってほしいみたいだから。現に、先程からそういった類の発言を何度かしているよね」
「……」

 確かに何度か言った。「暇なのか」とか「子守しなくていい」とか他にも折を見て色々。どこ吹く風といった態度に見えたが、意外に気にしていたらしい。
 言うべきか、言わざるべきか。でも言わなければ納得は得られない。自分の些細な見栄で彼に誤解を与えてしまったのなら、正直に白状すべきだろう。

「……格好悪いだろ、見られたくないんだよ」
「格好悪い? この現状に君の落ち度はない筈だけど」
「単純に恥ずかしいんだよ。わかんねぇかな」
「はずかしい……、なるほど……」

 俺に落ち度はない、確かにそうだ。地脈異常という誰にも予測できない不条理に巻き込まれただけ。しかしそれでも、子供の姿になってそれを大多数に見られるなんて恥ずかしいだろ。「かわいいね」「誘拐されそう」なんて言われて。幼い子供はかわいい、その心理は俺にもよくわかる。わかってはいるが、それで羞恥心と居心地の悪さはなくならない。
 隣にいた錬金術師にしきりに立ち去るよう言っていたのはこれが原因だ。俺の答えに少しは納得したのか、彼はそれ以上言葉を重ねなかった。

「おーいジョン!」
「あ、パイモン」

 静寂を切り裂いたのは、元気いっぱいなパイモンの声。その後ろには父の姿も見え……、何持ってんだあの人。

「依頼っ、終わった……!」
「おつかれ」

 乱れた息を整えている父が抱えているのは、釣り竿に四方八方の網、花火の筒、風船……、何? なぜそんなものを抱えているんだ。

「随分と大荷物だね」
「アルベド、一緒に居たんだな! これは旅人が「依頼が終わったらジョンと一緒に遊ぶんだ」って楽しみにしてたやつだぞ」
「子供か」

 俺は何度彼に中身はそのままだと伝えればいいのだろう。

「1つ依頼が終わるたびに「パイモン! 依頼あといくつ!?」って聞かれて、オイラちょっと怖かったんだぞ……」
「そっちも大変だったんだな」

 今の父の様子を見れば、パイモンが「ちょっと怖かった」と評した状況もなんとなくわかる。可哀想に。

「こっちはなにかあったのか?」
「父さんが言いふらしたお陰で、いろんな奴が俺の醜態を見に来てくれたよ」
「あはは……、ごめん……」

 苦笑いする父は「可愛過ぎて心配になっちゃって」とそれでも尚自分の判断の正当性を主張した。あんたのそれは親バカって言うんだよ。いろんな奴筆頭の錬金術師はシレッと視線を他所にやり、自分は関係ありませんみたいな顔をしている。お前もだよ。
 ここがモンド城下じゃなければ、恐らく狼の少年や火花騎士とも顔を合わせることになっていただろう。影から少し伺い見ていただけのようだが、アカツキワイナリーの貴公子も居たし、本当に、モンドでの知り合いはほぼ全員俺の醜態を見たと言っても過言ではない。誰も彼も世話焼きな質なのがここで災いした。後からそれを笑うような奴が(一部を除いて)居ないのが唯一の救いだ。

「まあいい。それで、あんたの抱えてるそれはなんだ」
「ジョンはその年の頃は遊びたい盛りだったよね」
「中身も子供だった頃はな!」

 本気で俺と遊ぶつもりだったのか。釣りや四方八方の網は大人でも楽しめなくはないかもしれないが、この人は幼少の俺が好きそうな遊び道具を出しただけなのだろう。「精神が身体に多少引っ張られたりしないかなって」? ご心配どうも、そうはならん。

「そう言うと思って、別コースも用意してあるよ」
「別コース?」
「七国衣装着替え写真撮影コース」

 よいしょ、と父が釣り竿たちをしまって代わりに出したのは、モンドや璃月、あとよく知らない国々の郷土服。いつどこでそんなもの集めたんだ。錬金術師もパイモンも、その揃えの良さに驚いている。いや、パイモンは「オイラも知らない間に用意したのか!? いつ!?」とちょっと引いているが。

「その頃って着せ替え人形にされるのも写真撮るのも嫌がってたけど、中身が大人ならできるよね? それとも、やっぱり釣りとかする?」

 たっぷりの沈黙の後、観念してもう何年口にしてないかという言葉を吐いた。

「…………遊ぼう」


───


「やあ、戻ったんだね」
「今朝にはな」

 昨日は見上げていた錬金術師の顔を見下ろす。身体に異変が起きたとき、直に戻るだろうと判断した為に一応確認しに来たようだ。

「旅人は?」
「依頼に行ってる。俺は大事をとって待機だと」
「そう。なら少し話せるかな。今日は僕も騎士団の仕事があるから、少しでいいんだけど」
「ん」

 どうせ父が帰ってくるまでは暇だ。昨日並んで座っていたベンチに再び腰掛ける。

「昨日はどうだった?」
「あー……、釣りは元々好きだし、なんだかんだ言って楽しかった」

 錬金術師はあの後父に誘われたものの、俺の姿が戻るまでは遠慮しておくと立ち去った。「彼の嫌がることはしたくないからね」と。彼は俺が「この姿を見られるのは嫌だ」と言ったことを指したのだろうけど、その会話を知らない父からは「嫌なの……?」と縋る目で見つめられることになった。俺は父に見つめられることに滅法弱い。
 とはいえ、釣りは元々好きだったから普通に楽しい時間を過ごして終わった。その日の晩飯にするに十分な量が釣れたし、なにより父が楽しそうだったから結果的には悪くない。

「君が無事に戻ってよかった」
「あんたにもだいぶ迷惑掛けたな」
「そうでもないよ。有意義な時間だと言っただろう?」
「あー……、言ってたかな」

 言っていたような、ああ、そうだ。もっと有意義に時間を使えとかそういう応酬で。

「まあ、とにかく助かったし、ありがとよ。昨日あんたが居なかったら、ここでも声を掛けられてたかもしれないし……」
「声?」
「ああ。大袈裟だと思ってたけど、居るんだな」

 昨日父たちと釣りをしていたとき、俺がひとりになったタイミングで声をかけてきた奴がいた。「きみ、かわいいね」と不審者全開の台詞と息の荒さ。そいつを即不審者認定した俺は漸く、父の「危ない」が大袈裟でないこと、錬金術師がそばに居たのはこういった事態を防ぐ為だったことを痛感した。

「……それで、その不審者は?」
「シメた。パイモンと父さんが危ないからな。あんたも気をつけろよ」
「僕は、……いや、うん、そうだね」

 思い返してみれば、モンドにはああいった不審者の好みそうな見目の奴が多い。昨今は性別など関係ないのだ。錬金術師も大きな瞳が印象的な美しい顔立ちをしているし、アカツキワイナリーの貴公子なんかも背が高かろうが顔は所謂「カワイイ」に寄っている。

「それじゃあ、俺は少し身体を動かしに行く。昨日のは念入りにシメたが、油断しないようにな」
「わかった」

 モンド城下ならよっぽどいいだろうけど、騎士団は外での仕事もある。流石にドラゴンスパインは……、安全、か? 寒さという危険があるが、こと不審者においては逆に安全だな。どこに居ても危険を意識しなければいけないとは。父さんたち、大丈夫だろうか。

「君も気をつけて」
「俺? ……あー、うん」

 流石に、俺はもう大丈夫だろ。



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