つぷりつぷりと額に水滴を浮かべては、熱くこもった息が苦しそうに吐き出される。流れていった汗の通り道をタオルでそっと押さえると、呻くような声が聞こえて、どうしていいか分からなくなった。
こういう場合の対処は今までにどこかで習ったのかもしれないけれど、それを詰め込んだ頭が乱れていては何の役にも立たない。かろうじて止血ができたくらいだ。
だって、だって。身体中のいたるところから血を流した人に行うべき処置なんて。わからないし、生半可な知識で行ってもし取り返しのつかないことになってしまったらと考えると、なさけないことに身体のすべては固まって、動いてくれなくなるのだから。
檜佐木、と。そんな名前と、そんな声を、しているらしい。進学費用を貯めるために始めたアルバイトから帰ってようやく家の前に辿り着いた私の目の前に突然落ちてきた、白い隕石。直ぐさまそれを消し去った、黒い、背の高い、檜佐木さん。足が竦んで動けなくなった私に仕事と名前を教えて、わたしがその名を復唱しようとした瞬間に、苦悶の表情を浮かべて倒れたひと。
駆けずり回るように頭を回し、止血をし、ちょうど近くに住んでいた同級生の手を借りて家に運んでベッドに寝かせた。同級生は、普通の医者じゃ駄目だから治せそうな人を呼んでくると言い残して走っていってしまった。心当たりがあるらしいけれど、なにか特別なお医者さんなのだろうか。
檜佐木さん、の服は、黒い。黒色の、着物。腰に差してあったのは、刀のようなもの。藁でできた草履。空から。それらがすべて、彼の言った“死神”の証明であるのなら。
特別なお医者さん。必要といえば、必要なのかもしれない。
「う……ん…」
何度目かの呻きをもらした檜佐木さんが、ゆっくりと目を開く。頭は動かず、うすく現れた黒目だけがこちらに流れてきた。苦しそうな息がまたひとつ、吐き出される。
「だ、大丈夫ですか?」
「おま、え……」
「霞水と申します。あの、」
続きを言えないまま、檜佐木さんは再び目を閉じてしまう。どうやら話すことすら、苦しくてならないらしい。汗を押さえ、タオルを洗面器につける。水は透明がかってはいるけれど、それでもたしかに赤に染まって見えた。タオルも一緒に新しくしてきたほうがいいだろうか。
この場を離れるのは不安だけれど、ここにじっとしていたところで何もできることはないし。
「霞水…、」
「は、はい」
目を閉じたまま、檜佐木さんがわたしの名前を呼ぶ。立ち上がろうと伸ばしかけた膝をふたたび折って枕元に近付くと、色の無い唇が僅かに動いた。
「怪我、ないか?」
「はい。檜佐木さんが助けてくださったおかげで」
「そうか……それなら、よかった」
それだけ言い残して目を閉じてしまった檜佐木さんに不安を煽られたけれど、それに気付いたのか彼はうすく口を開き、すこし寝ると言い残した。
深く長い息を続ける檜佐木さんの額に浮かんだ汗を流れる前にタオルでつかまえて、固まった髪をそっとほぐす。ぱらぱらと、乾いた紅い破片がシーツに落ちていった。血の色。
唾を飲みこみ深呼吸をして、近くに置いておいた携帯電話を握りしめる。こめかみを汗がつたって、同時にライトが点滅した。
(っあさの、お医者さんは)
(今アパートの前!もうすぐ着くから鍵!)
(わかった!)
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