覚えていることがある。それは私が目を覚ました朝のことで、どうやら二週間振りの起床だったらしいその朝、家族は全員涙を流し鼻水を流し、つまり非常に情けない顔をして、私に抱き着いてきたのだった。ありがとうありがとうと、何度も言う母親に。私はただ、おはようと返した。







 おはよう、おはよう。涙声で何度も返される朝の挨拶をあたたかな胸のなかで聞きながら、まだ記憶に新しい日のことを思い出した。

 胸に押し付けられていたせいで供給のストップしていた新鮮な空気をそろそろ確保せねばならんと顔を上げると、ひどく情けない顔をしたその女性、古市家の母は、おはよう、ヒカリ!と。満面の笑みを浮かべて、涙をこぼした。



 いきなり部屋に入ってきて、わたしが挨拶を返した瞬間ぼろぼろと泣き出して心の底から嬉しそうに笑った。状況だけを並べれば情緒不安定の疑われる母に連れられて階段を下り、病院食より少しだけ栄養価は低そうだけれどその分お洒落な朝ごはんを食べて、ヒカリの部屋へ戻る。

 当たり前のようについてきた貴之を見つめると、私と瓜二つの顔をした彼は気まずそうに下を向いた。不穏な空気を打破する能力に長けている古市貴之にしては珍しい反応だ。

 その理由は、解らないわけではない。むしろ自分のことのように理解ができた。


「ヒカリくん、病気だったの?」

「病気…つーか。身体も弱かったけど、二年くらい前から声が出なくてな。一応治療中なんだけど、他の病気もあるから、お医者さんも難しいって」


 だから、古市家の母はあんなにも嬉しそうに泣いていたのか。二週間ずっと死の淵をさ迷っていた娘を決して諦めずに待っていた母親と似た泣き方。笑っているのに、涙を流している。泣いているのに、嬉しそうに。


「ごめん…言えなくて。中身は違っても、ヒカリが喋ってるって思ったら、昔みたいにいっぱい喋れるって思ったら、オレも嬉しくて」

「…ん、いいよ。こっちこそごめんね。気づかなかった」


 貴之って、呼んでたな。その言い回しに、曇った表情に。違和感のひとつも覚えなかった。事実とはいえ、原作にヒカリという人物が存在しないことを何度も告げてしまった。それは間違いなく私の過失だ。哀しむ人の表情は何度も、いやというほど見てきたくせに。

 貴之が顔を上げて首を振る。ギャグのいつまでも乱入してこないシリアスにこの男は似合わない。そう思ったら、なんだか笑えてきてしまった。


「何で笑ってんだよ、ヒカリ」

「やっ、なんか貴之の顔見てたらおかしくなってきて」

「ちょっ、ひどくね!?同じカオなのに!」


 何の因果だろうか。古市ヒカリと私は、似ている気がする。どことなく寂しげで実用性のない部屋の作りも、大切な人をずっと待たせているところも。そういう繋がりがきっかけで私はヒカリに成り代わったのかもしれない。

 けれど、もし、夢が覚めたら。ヒカリは再び声を失い、あのあたたかな家族を待たせてしまうのだ。期待を裏切ってしまうのだ。そう考えると、心臓がきりりと痛んで。笑いとばすしかなくなった。笑うことが得意な果敢無い病人には、なりたくないのに。





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