きれいな音楽が流れはじめるわけでもなければ、一切の音声が止むわけでもない。けれど、イヅルくんの近くに寄ると変化するのは、まちがいなく“音”だった。



 図書室の入口を通ってカウンターの前を右折、突き当たりを左折、一番奥の机、窓際。壁を向いて何かをするのがお好きな幼馴染みの定位置。

 下校時刻の近付いた学校内でもとくべつ清閑な部屋のなかを、息を半分とめてしまうくらい慎重に進み、着いた場所に当たり前に在る背中に、そっと片手の平をおしあてた。


 伸ばしている方が雰囲気に合うのに。校則通りに短く切り揃えられた髪は、まばゆく在りながら、森厳な図書室に不思議と馴染む。イヅルくんの金色。

 うすくて細長くて、見た目にはとても頼りない。そんな背中は、今日は常温だ。つめたくない。


「帰る?」

「ん、もうちょっと」


 そっか。いつまでとも決めていない私の期限を当たり前のように受け止めて、背中に手を置かれたままのイヅルくんが読書を再開する。

 わたしの行動に対するこの幼馴染みの反応には、すべてどこかしらに慣れたところがある。まるで私の人生を終りまで予習してきたかのように。そんなこと、ただの人間にできるはずがないけれど。イヅルくんになら、不可能ではない気がした。


 だって、言葉にしない物事の、更に奥まで。はっきりと見通してしまう。イヅルくんは、魔法使いなのだ。


 時計の音、コツ、コツ。まるで足音のようなリズムが幾つか刻まれつづけ、そのあとで、しめやかな音楽が流れはじめた。イヅルくんの音ではない。だれの耳にも馴染んでしまう完全下校の音楽。


 立ち上がったイヅルくんが本をまるでお姫さまを扱うかのように丁寧に鞄に仕舞い、こちらに手を差し出す。日焼けをしても赤くなるだけでおしまいの、イヅルくんの白い肌。


 その手を通り過ぎ、首の後ろに手を伸ばす。指が確かに感じた畝のような膨らみは、昨日の傷。

 その端から端までをなぞるように指を滑らせると、まるで交換しあえるかのように、冷たく美しい指が私の頬を撫でた。







(きみのいたみは、きっと私が解いてあげる)
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