一度だけ、浦原さんと、キスをしたことがある。それは彼の気まぐれで、そうしたあと、冷えた唇を押さえて言葉を失った私の頭を浦原さんは優しく撫でた。それも同じく、一度きりだった。



 商店によく来る高校生の男の子と比べたら大人でも、浦原さんと比べたら子供のわたしは、彼の気まぐれについて何を言うこともできない。言ってもきっとはぐらかされるだけだし、大人の余裕とやらにまた私は赤い顔をさせられてしまうだけなのだ。悔しい。


 テッサイさんに料理を教わったお礼の店番をしながら、ぼんやりと唇の味を思い出す。味という味はしなかったけれど、感触は、すこしかさついていたように思う。やはり男の人は女の子みたいにケアをしないものなのだろうか。私なんて唇が乾くと落ち着かないのに。

 いつのまにか丸めていた背を叩かれて、あわてて振り向く。すると、傍らに置かれたお盆にはあたたかい湯気をのぼらせる湯呑みが二つと、おいしそうなおまんじゅうが四つ。浦原さんが口元をゆるめる。


「おやつの時間にだあれも居ないってのは寂しいっスね」

「ほ、他の皆さんは?」

「もうすぐ黒崎サンたちが来るんで、勉強部屋の整備してます」


 さすがに一人じゃ淋しいんで、一緒におやつしてくださいな。おまんじゅうを私に差し出した浦原さんはおだやかに微笑んでいる。いつもならこんな距離は大したことないのに、あんな出来事を思い出してしまったせいでどうしようもなく心臓が高鳴るのが聞こえる。


「今朝は、起こしに来てくれてありがとうございました」

「あ、いえ…どうも…」


 まるで狙ったかのように。触れられたくないところを的確に撫でられて、思わずそっけない返事をしてしまう。浦原さんの大きな手が、無骨な指が、わたしの首に触れる。いけない、と思う。いけない。やっぱり、謝らなければ。


「寝ぼけてたってワケじゃあ、ないんスけどね」


 はじめて見た浦原さんの寝顔は本当に奇麗で、それが言い訳になるはずもないけれど、たしかにそれは原因のひとつだった。あまりに無防備な彼が信じられなくて、このときだけなら、手に入ると思った。ほんの一瞬くらい、人生は長いのだから、ほんの一瞬くらいは、私が専有したっていいと。

 触れる寸前に、目を閉じたままの浦原さんが私を引き寄せて。ふれあったのはその一度だけ。そのあと、彼は私の髪を一撫でして、私は、何も言えずに逃げた。

 浦原さんと、キスをした。


 畳みかけるように言葉を向ける浦原さんから目を逸らして、楊枝をおまんじゅうに入刀する。おいしそうなこしあんが現れたけれど、素直に喜べる状況ではない。

 こちらを窺うように動きをとめていた浦原さんが、ふいに手を伸ばし、私の髪を撫でる。顔をあげると、キスをしたあとのあの優しい目が見えた。心臓の奥の部屋が狭くなる。


「すみません、でした…」

「ありゃ、なんで奏サンが謝るんスか?」

「だって、私が先に」

「最終的に触れさせたのはボクっスけどねえ」


 ま、ボクは謝る気なんてないっスけど♪悪戯っ子のように笑った浦原さんが帽子を取り、顔を近付けてくる。きれい。香ってくるのはタバコだ。名前は知らないけれど、浦原さんが好む甘いフレーバーのタバコ。


「だって、誰だってずうっと好きなひとがここまで近づけば、ついキスしちゃうでしょう」


 ケアされていない唇はやはりかさついていて、味という味はしなかったけれど甘い香りがした。大人の余裕にやはり赤い顔にさせられてしまう私の髪に触れた浦原さんの手は、こんどは何往復もしている。













(ま、そうなるよう仕向けたのはボクなんスけどね)


111017

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