職員室中の空気が一気に凍りついた理由は、顔を上げたらすぐに分かった。とりあえず目を合わさないようにと決めたのか、不自然なほど誰の目も向いていない職員室の入口。仏頂面をしたそのひとは、不機嫌そうな空気を満遍なく撒き散らしている。

 その腕力とは裏腹にひどく温厚な人であることは、初めて会った日にはもう知っていた。およそ教師らしくない風貌ながらあんがい真面目だし、頼りがいがあるから私もよく助けられている。私生活に介入してしまった今でも、やはり根本はいいひとであることに変わりはない。


 けれど、温厚なひとほど怒ると恐いというのか。いつもの少年のような笑顔とは正反対の仏頂面で、早乙女先生は私の腕を掴み職員室から連れ出した。

 え?


「あ、あのっ、早乙女先生?」

「どうにも口淋しくってならねぇ」

「はあ……あ、煙草切れ?」


 心底安堵したような顔できれいに見捨ててくれた先生方にはあとでタバスコチップスでも配布して親交を深めるとして、このひとはいったいどうしたというのだろう。煙草が切れた。それでどうして私を連れ出す必要性が生まれるのか。

 鍵がないと入れないはずの会議室にぽいっと放り込まれると、禅さん、と自然に口から名前が飛び出した。最近やっと慣れてきた、私生活限定の呼び方だ。


「煙草、売ってなかったんですか?」

「金がなかった」

「あー、それは災難なことで。じゃあたまにはプレゼントさせてください。お財布が職員室に、」


 鞄を取りに戻ろうと禅さんが寄り掛かっているドアに近付くと、どうしてか腕をつかまれて、どうしてかドアに押し付けられてしまった。一瞬の動きに驚いて見上げた先には、やはり不機嫌そうな禅さんの顔。


「待ってられっかよ、くそったれ」


 おしつけられた唇はいつもほど煙草の味がしなくて、でも舌にはしっかりと苦いものが染み付いていた。煙草を吸うときはそんなにしないでしょうと抗議したくなるほど深く絡んできた舌で呼吸が苦しかったけれど、それが禅さんのせいならば悪くはないと思えてしまった。これ以上好きになると危ないかもしれないとは、このごろ毎日のように考えることで。


 煙草の匂いがする息を吐いてそのまま耳を舌で遊びはじめた禅さんを押しのけると、唇ならいいと思ったのかまた塞がれてしまう。甘いキスなのに、味はひどく苦い。

 遠くの方でいつもより小さく響くチャイムの音を聞きながら、今度からは私も彼の煙草を常備しておこうと決めた。




(…?……んー!!)
(…なんだよ、唇もダメなのか)
(ちがう!チャイム!ホームルーム!)
(オマエは事務員だろ)
(禅さんは先生ですよ)




111009

ヘビースモーカー+煙草切れ=口淋しい=キスで補充の公式がいつまで経っても抜けません。ありきたりですが。さみしがりのおっさんたまらない。


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