彼女が好む甘さに調整したホットコーヒーのカップをふたつ、机の安全な位置に置いて、椅子に腰を下ろす。

 窓から入り込む夕陽に照らされたベッドには不自然な膨らみができていて、頭まですっかり潜ってしまっているものだからそれを見ただけでは正体の判別がつかない。

 まあ、雑に置かれた鞄やコート、二階に上がる前の母の言葉から、確信はできているのだけれど。わかっていたからこそ彼女好みのホットコーヒーをつくって、持って上がってきたのだ。


 もそり、膨らみが身じろぐ。気配を感じたのか出てきた頭はくしゃくしゃで、やっと見えた懐かしい目は嬉しそうに笑った。

 年上なのに、布団を握る仕草はまるで小さな子供みたいだ。白い手がこちらに伸ばされて、手招きをするように揺れる。


「ホットコーヒー、飲む?」

「あとでいい」

「冷めちゃうよ」

「いい」


 はやく、と招くその手の薬指。けっして高価ではないというそれの内側には、彼女の名前と、おれじゃないひとの名前が並べて刻んである。細い彼女の指からそれは、抜こうと思えば抜けてしまえそうに思えた。

 椅子から立ち上がりのろのろとベッドに向かうと、満足げに笑った彼女が布団を上げておれのスペースを示す。こうされるたびに思っていたのだけれど、いまのおれにそこはすこし広すぎる。


「新婚生活はどう、順調?」

「はは、それ訊く?」


 足を絡めて体温を奪いながら昔みたいに抱き着いてくる彼女の腕のなかで、じっと動きを止める。久しぶりに会った彼女からはすこし違う匂いがした。


「それなり、かな」

「そう」

「うん。…ねえ、平介くん」

「ん?」


 名前を呼んだきり彼女は何も言わなくなって、そのうち静かに眠ってしまった。腕の力は緩まず、背中ばかりが温かくなる。隠そうとされているものをわざわざ覗き見ようと思うほどおれは野暮でもない。眠る彼女が後ろで背中ばかりを温める。

 しがみつくようにつよくなる彼女の腕のなかで大人しくしながら、そういえば昔は正面からしか許してもらえなかったのにな、と、そんなどうでもいいことをぼんやりと考えた。









(大丈夫。ずっとここで、だまっているよ)

111006

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