子供の頃から、坂の上にある家に住むのが夢だった。理由はといえば単に帰宅するだけで空に近付けるからという何とも子供らしいもので、だから一人暮らしをするとなったら第一条件は坂の上であることだ、と心に決めていた。そして実際にそうなった。

 坂の途中にある家並みを見ながら、だんだんと空に近づいてゆく。坂を登ったすぐのところにあるアパートはまさに理想的で、しかもそこの三階ともなればテンションは上がりっぱなしである。

 理想ではなく現実的に考えて、帰宅するたびに坂を上がるのは厳しいだろうという懸念もあるだろうけれど、私にとってはそんなもの何の問題にもならない。私の家は空に近いところ。なんて素敵なんだろう。

 だんだんと空に近づいてくるのが嬉しくなって、目の前の折り畳みベッドを押してみると、前方からおどろいた声が聞こえた。


「いきなり押すなよ、びっくりするだろ」

「あ、すみません」


 私が電車で様々な人の助けを借りながら一生懸命運んできたベッドを、東条さんは片手で軽々と引っ張り上げている。やっぱり男のひとは力があるな。羨ましい。

 すこしは手伝いたいけれど触ると邪魔にしかならなさそうなので、大人しく手を引っ込めて東条さんの背中を見つめる。この広くて固い背中に、なんど飛び付いたことだろう。


 一年先輩の東条さんには、中学時代から何かとお世話になっている。今日だって引っ越し業者に預け忘れたベッドをさてどうして坂の上まで持っていこうかと悩んでいたら、電車を降りたところで、通りすがりの東条さんに声をかけてもらった。行くはずだったバイトの時間を変えてもらってまで、人助けをしてくれているのだ。東条さんみたいな優しさを私も身につけたい。


「お。あのアパートか」

「ハイ♪素敵な物件でしょう」


 坂の上のアパートはレトロな作りで、築二十年と少し古いけれど中は結構きれいで造りもしっかりしている。共有の屋上にも住人であればいつだって出ることができる。学校までの距離も考えて何軒も回った結果、ようやく見つけた最高の物件だ。


「オマエずっと言ってたもんな。空に近いところがいいんだって」

「覚えていてくださったんですか?」

「そりゃな。将来家買う時にも考えなきゃなんねえし」

「……え?」


 私がなにげなく話したことも律儀に覚えていてくれる東条さんが好きだ。そう実感したと同時に聞こえた不可解な返事に、覚えず間抜けた声を出す。

 将来とは、東条さんの将来だろうか。でも空に近い家が好きなのは私で、それが東条さんの将来に関わることはないはず。


「うっし。三階だったな」

「あ、ハイ!エレベーターあるんで…」

「使わなくてもいけるだろ。よっこらしょ」


 いつのまにか着いていたアパートの階段の前で、東条さんは軽々とベッドを持ち上げてしまう。たくましい腕に触りたくなる気持ちを押し込めて後ろをついていく。

 負荷がかかっても息ひとつ切れていない東条さんが、三階まで階段を上がっただけで肩で息をしている私を笑い飛ばす。さすがに運動不足だろうか。ここに住みはじめたら、億劫がらずに階段で上がるようにしよう。

 息も絶え絶えに鍵を開け、先に東条さんにベッドを運び込んでもらう。狭い部屋がよけい小さく見えてしまうくらい、大きな身体だ。何故だかじっとしていられなくなって、焦るようにつけたばかりのカーテンを開けると、透明な窓の向こうに青く白い空が見えた。


「おっ。いい景色じゃねえか」


 うれしそうに笑う東条さんが私の隣に並んで、ベランダに出ていいかと尋ねる。もしかしたら東条さんも、空に近いところが好きなのだろうか。それならば先程の発言にも納得がいく。私にとってだけ都合の良すぎる解釈を、嘲笑ってやることができる。

 窓を開けると、心地好い風と入れ代わりに東条さんが外に出ていった。大好きな空を背景に、大好きな人。それを数秒堪能してから、ずっと触れたかった肩に少しだけ指を置いてみた。













(将来はもっと高いトコがいいな)
(なら私は東条さんより高いところにします)
(何言ってんだ、一緒に住むんだろ)
(え?それはどういう…)
(…あ、そういやまだ言ってなかったか。オレがオマエを好きだってこと)



110929

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