大分古びてきたパンプスに今日も足を入れ、玄関にある鏡で適当に身だしなみを確認する。どうせ歩いているうちに乱れてしまうけれど、一応。

 ヨシ、行こう。気合を入れるように一人で呟いてからドアノブに手をかけると、後ろからばたばたと足音が近付いてきた。


「奏ちゃーん!仕事行く前に頼むわ」

「あれ、起きてたの」


 そんなに急がなくても名前を呼べば止まるのに、慌ただしく走ってきたオサムさんは両手でセーフなんてやっている。

 中学校教師のくせに毎日微妙に教師らしくない格好をしている彼が、今日は何故だかスーツなんかに身を包んでいる。どうやらそのネクタイを締めてほしいらしく少し身を縮めた彼の首元に、手を伸ばした。


「めずらしいね、そんなシッカリした格好。何かあるの?」

「参観日や参観日。どんな美人なオネエサンが来るかも分からんからなあっ苦しい苦しい!!!」

「へえそれは楽しみだねえ。わたしも美人サンは大好きだよ」


 微笑みを崩さないまま、適当な位置を越えてネクタイを締めてやる。仮にも恋人の前でそんなことを言うとは、どういう了見だ。


「冗談や冗談。こーんな可愛えカノジョ放ったらかして他行けるかいな」

「オサムさんは可愛い人より奇麗な人のほうがお好きなんでしょ」

「そりゃそうやけど…って違う違う!奏ちゃん、誤解や!」

「もういいです」


 とりあえず謝罪の言葉は言わせられたのでネクタイを結びなおし、襟を元に戻して首元を整える。

 一歩離れて全体像を見てみると、欲目かもしれないけれどオサムさんはけっこうな男前で。手入れのされていない疎らな無精ひげを見ないでおけばかなり仕事ができそうな有能サラリーマンに見えなくもない。いや、なにかしらの専門職の方が似合うだろうか。

 ふたたび見上げると、必死に弁解の言葉を並べているオサムさんが見えて顔が緩む。朝から元気だなこのひとは。

 私が怒っていないことに気付いて拍子抜けしたような顔になったオサムさんは、また大きなジェスチャーでセーフをした。なにがセーフだ。それに笑ってしまう私も私なのだけれど。このひとといると、どうも怒りが長続きしない。


 ネクタイの固い部分をかるく叩いて、鞄を肩に持ち直す。気合は入れなおさなくてもいい。このひとと笑いあって、そのうえにまた気合を入れたら却って調子に乗りすぎてしまいそうだから。自重自重。


 じゃっ、と、開いた手を挙げて。


「今日の夜ゴハンはカレーだからね」

「おお!楽しみにしとくわ」


 ハイタッチをしたせいでじんじんと痛む手を、握り込む。いってらっしゃい、いってきます。同じ家に帰る人の元気な笑顔を見ながら開いた玄関扉から始まる今日は、昨日よりも明るくなりそうだ。










(お出かけ前には、あなたの笑顔)


110905

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