鍵をかける音、台所にお弁当箱を置く音、居間へのドアをあける音、閉める音。寝室のドアを開ける音。二度目の閉める気力は起きなかったらしい。それからの音は、彼が吐く疲れた息の音だけだった。


 わざと空けておいたスペースにもぐりこんでくる彼から香るは、土と金属と汗の匂い。一生懸命働いたという証し。今日も、こんな時間まで。



「おかえりなさい」

「おー…」



 起きていると知るやいなや彼は背中を向けた私の腰に手を回して、色々なところに触れてから、満足したようにやんわりと抱き着いてくる。返事にはなんとも覇気がない。まあいつものことだけれど。

 お腹の位置に落ち着いた手にそっと手を重ねると、ごつごつした男らしい感触。


「お風呂、はいらないの?」

「…クサいか?」

「ううん、そうじゃないけど」

「ならいい…。めんどくせえ」

「そ」



 こわばった作業着で、しかも汗をかいたまま。さすがに寝づらいだろうと訊ねたけれど、答えは予想通りのもの。

 重ねていた手が、そっと包まれる。それを合図とするようにすぐ耳元で聞こえ始めた無防備な寝息が、なんだかくすぐったくて。温もった身体が、うれしくて。

 体勢はそのままで、ゆっくりと深呼吸をする。

 石油のようなにおいと、彼の汗の匂い。彼が、彼の毎日が、わたしをすべて包み込んでいることがわかる。


 ここで。わたしの、となりで。このひとは、いきてくれている。

 それを確かめればたしかめるほど、空気が入った身体の奥はゆるやかにほぐれて。


 きつく瞑りすぎた目を、ようやく、休ませてあげることができた。








(あなたがいなきゃねむれない)

110829



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