スプーンいっぱいにすくったプリンを、落ちるまえにと急いで口に運ぶ。途端に広がる幸せな味に、頭のなかを占領していた暗い色が、すこしだけ薄まったような、そんな気がした。


 特に何がオシマイになったわけでもない。ただ、今日はなぜだか失敗を重ねに重ねてしまって。久しぶりに怒鳴られて怖くて、なにより自分が情けなくて。庇ってくれる声にも、ただただ申し訳なくて。

 解決はしたし、取り返しのつかないことにはならなかった。けれど、そのあとずっと頭のなかを回り続けている後悔が。反省点とその解決策をノートにいくら書き出しても、消えてはくれなくて。


 いやしかし。身体の求めるままにプリンを買ってきてよかった。普段は甘いものなんてお金を出してまで食べようとは思わないのに、ときどき猛烈に食べたくなってしまうのだ。


 スプーンを口に運ぶ。すると玄関で鍵の音がして、ほどなくして理一さんがリビングに帰ってきた。


「おかえりなさい」

「ただいま、奏ちゃん。珍しいな」

「何がですか?」

「プリン。甘いものあんまり好きじゃないだろ?」

「あー…なんか、猛烈に食べたくなってしまいまして」

「猛烈に」

「…もうれつに」


 仕事疲れの身体を労いもしない無精な恋人を責めることもせず、当たり前のように理一さんは上着をハンガーに掛け、冷蔵庫を開け、水を飲む。その姿を目で追いながら、先程まで頭のほぼ全面を占めていた暗い色のことは絶対に話さないでおこうと決めた。

 きっと話しても、理一さんは私の望む通りの応え方をしてくれるのだろう。けれどやはり、疲れているひと相手になら尚更、愚痴るようなことはしたくない。


「理一さんの分もありますよ、プリン」

「うん、あとで食べるよ」


 スプーンにカラメルを溜めていた私の隣に腰を下ろし、理一さんがテレビをつける。そうして、ごく自然に、ぽすんと私の頭に手を置いた。

 やさしい手つきで撫でられて、会社でも帰り道でも、帰ってきて一人になっても必死に我慢しつづけていた涙が、ひどく簡単に零れてしまいそうになる。


 このひとは本当、ずるい。

 俯いたまま精一杯のプライドとして膝をぺちんと叩くと、理一さんはその手に軽く触れ、穏やかに笑った。


「奏ちゃんが糖分補給してるときは、辛いことがあったときだからね」

「なんですかその指標」

「はは。プリン、一口ちょうだい?」

「だから理一さんの分ありますよって。持ってきましょうか?」

「ううん、いい。奏ちゃんのを食べたいから」


 不公平だから、あとでこっちからも分けてあげるね。そんな妙に律儀な理一さんに、プリンとカラメルの両方を上手にすくったスプーンを差し出す。あーんと開けた口をぱくりと閉じた理一さんは、いたって普通の感想を述べていつも通りにテレビを見はじめた。


 離れてはいるとはいえ、そんなに大きな年齢差があるわけでもないのに。理一さんはいつも私よりずっと大人で、参ってしまう。

 今日だってきっと私が話さないかぎりは、なにも聞いてこないつもりなのだろう。甘いものを補給したことでモヤモヤが私のなかから消え去っていたなら、もうそれでいいと。わざわざ蒸し返すようなことはしなくていいと。


 それはありがたくて、だからこそとても、こわくて。

 でも。かるく触れられたままにされている手はまるで、“いいよ”と言われているようで。テレビのなかで笑う元気な司会者さんの声を聞きながら、そっと手を動かし繋いでみると、理一さんの方からも応答があった。










(もう、大丈夫だよ)

120202

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