フラグをへし折る


小さな声で泣いているのを見ました。
何度も唇を噛み締めては耐え忍び。
ごめんなさいとすみませんを繰り返し。
歌をうたっていたね、とても小さな声で。



綾部喜八郎は無表情でそれを眺めていた。隣に座る同室者の滝夜叉丸は僅かに驚きを滲ませ、目の前で頭を下げる最上級生を見ていた。
ありがとうと頭を下げていたのは最上級生、六年生の苗字名前。その手に持った忍たまの友を見て嗚呼と溜息を漏らしたのはどちらだったのか。
四年生の綾部喜八郎は相変わらず蛸壺を掘っているし、平滝夜叉丸は相変わらず自慢話ばかりだし、田村三木ヱ門は相変わらず火器を愛でているし、斉藤タカ丸は相変わらず髪にばかり興味を持つし。つまり四年生は相変わらずだと言うのが誰もの認識だった。
それでも名前に懐いていたのは彼らも同じで、喜八郎は天女を狙うように蛸壺を掘ったし、滝夜叉丸や三木ヱ門は判り易く天女の凡庸なる容姿を笑っては罵倒したし、タカ丸はおろおろと右往左往していた。
忍術学園で最も判り易く天女に敵対していたのは、他でもなく四年生の彼らだった。

「頭を上げてください名前先輩!そのように畳に擦り付けられては先輩の柔肌に傷が…!」
「柔肌とか。滝、変態みたいな言い方だね」
「煩いぞ喜八郎!あああ名前先輩!お願いしますから頭を上げてください!名前先輩のお綺麗な顔に万が一、傷でも出来ては大事ですから!」
「名前先輩の顔が好きですとか。もう手の施しようがないね、滝。あ、わたしは名前先輩のぜんぶが好きですよ。滝夜叉丸と違って」
「ええい、喧しいからお前は黙っていろ!」

無表情で淡々と軽快に軽口を叩く喜八郎と激昂し矢継ぎ早に言葉を紡ぐ滝夜叉丸を前に、名前は小さく吹き出した。四年生は他の学年と違って群れることをしない。仲間意識が低いのではなく個が確立しているのだ。だから天女が降って来たからと言って何が変わる訳でもなかった。
確かに名前に懐いていた。それは忍術学園の生徒なら男女学年を問わず懐いていた。好きにも種類があるように、嫌いにも種類があるように、懐くにも度合いがあるのだ。一概に懐いていたからと言って、名前が天女に構うからと言って、敵意を持つものばかりではない。

「ありがとう、二人とも」
「そんな風に言われると照れますね。わたし、あの人を落とすために山ほど蛸壺こさえたのに」
「…茶を煎れて参ります。名前先輩、どうぞごゆっくり」
「ええ。滝夜叉丸も、ありがとう」

軽く頭を下げながら部屋を後にした滝夜叉丸の影が障子に映らなくなるのを待ってから名前は口を開いた。自信家の癖に褒められると照れてしまう後輩は、きっと暫く戻らないだろう。

「マリアさんが蛸壺に落ちたわ」
「へえそうですか」
「見事な棒読みよ、喜八郎。擦り傷を少しと軽い打ち身、今頃は左近に連れられて保健室でしょうね」
「それは痛そうですね。それで、名前先輩はわたしを怒りに来ましたか。掘るのをやめろと言いますか。それとも四年生を止めに来ましたか。滝たちがあの人に嫌味を言うのをやめろと、あの人に意地悪をするのをやめろと言いますか」
「言わないわ。でも、もう大丈夫よ」
「何のお話ですか名前先輩。わたしたちはなんにもしていませんよ。お礼を言われるようなことは、なーんにも」

喜八郎たち四年生と名前の係わり合いはどちらかと言えば他より親しい程度だ。六年生がするように家族のような依存でも、五年生がするように恋慕のような執着でも、三年生がするように子供のような我が儘でもない。名前は頼りになる六年生であり、そこそこ話の判るくのたまだ。
他と比べて喜八郎は名前と親しい。それは名前が喜八郎と同じ委員会に顔を出す間柄だから。その程度でしかない。

「泣いてましたか」
「少しだけ。落ちた時間が悪くてね、気付くのが遅くなってしまったの」
「それはそれは」
「遊びに来ていた伏木蔵がちょうど同じ穴に落ちて、二人いっぺんに救出したそうよ」
「へーえ」

だから名前が誰と親しくしようと構わない。だって喜八郎たちが変わらないように、名前も変わらなかったから。変わらずに作法室へ来て、変わらずに話し掛ければ答えてくれる。それで何が足りないのか喜八郎には判らない。名前は少しも変わっていないのに。

「そう言えば、これなのだけれど。喜八郎は持っているかしら」
「忍たまの友ですね」
「藤内たちが持っていたの。四年生が落としたものを、拾ったそうよ」
「落としたものを?」
「そう。紫色の制服だったと言うのだけれど」
「さあ。わたしも滝夜叉丸も自分のものを持っていますよ」
「じゃあこれは誰のものなのかしら」
「名前先輩」
「なあに」
「四年生に、それを無くすような間抜けはきっといませんよ」

きっと、きっと。いいえ絶対に。

「…今度また、マリアさんに習ったお菓子を作るの」
「そうですか」
「喜八郎は、甘いものが嫌いかしら」
「そんなに好きじゃありませんね」
「そう」

だから他の誰もが言うようにあの天女が悪いとは思わない。名前の交遊関係に喜八郎たちは口出しすることを許されていないから。だから無力な一人の少女を進んで害そうとは思わない。名前があの子と呼ぶ少女は、この学園で一番無力だと知っているから。名前の手がなければ直ぐに死んでしまうだろうと知っているから。

「わたしはそんなに好きじゃありませんが、きっと滝たちは大好きですよ」
「そう」
「はい、きっと」
「じゃあ持って来るわ。喜八郎の分も」



穴掘り小僧のこさえた蛸壺に落ちて、はてさて一般人が無事でいられるものでしょうか。





(だーいせーいこー)

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