フラグをへし折る


忍術学園で半年も暮らせば危機管理能力は市井の人間より何倍も高くなる。だから突然現れた少女に対して学園全体が警戒態勢を取るのは仕方のないことだ。
けれど名前は大きく溜息を吐いた。
隣に腰掛けた留三郎は不思議そうな顔をして体調不良を疑ったが、それを笑顔で往なしながら名前はもう一度溜息を吐いた。
人間が他人を疑うのは得体が知れないからだ。だから学園長先生が少女の滞在を許したとしても、己の身と仲間の身を守るために得体の知れない存在を警戒するのは仕方のないことだ。

「わたし、先に戻るわね」
「ああ、本当に体調が悪いなら保健室へ行けよ?今日は伊作が当番だから気兼ねする必要もないだろ」
「そうね。心配してくれてありがとう、留三郎」

泣きそうな顔をして食事を終えた少女はふらふらと危なっかしい足取りで食堂から出て行った。少女がマンホールから落ちて五日目、そろそろお互いの我慢も限界だと名前は足早に少女の細い背中を追った。



ここがどこだか判らない。

そう訴えた少女は高いビルと二酸化炭素に囲まれた世界からの来訪者だった。纏っていた着衣も、握り締めていた革袋の中身も、少女の訴えを裏付けるには足りなかったのだ。なぜならそれを証明する手段は何もなかった。それが少女の不運の始まり。
疑いを晴らす術はなかった。少女はひとりぼっちで、忍術学園は関係者以外に対して閉塞的だった。それは学園の在り方として間違ってはいない。だからこそ少女はただ不運だった。

得体が知れないから疑うのなら、その正体を知っている者に疑う謂れはない。
忍たまたちが警戒の色を強める中で、くのたまたちが傍観の体を貫いてくれていることだけが、名前にとっても少女にとっても僅かばかりの幸運だった。
若しくのたままでもが集団として少女を警戒したなら学園は右も左も判らない少女を排斥しただろう。とても容易に。
名前は水場の脇にしゃがみ込んで嗚咽を漏らす少女の背に声を掛けた。

「生水は飲まない方が良いわ」
「っえ?あ…の」
「どうしてもと言うなら止めたりはしないけれど。白湯を準備するまで待てるようなら、それまで我慢して頂戴」

赤く染まった目が痛々しく、名前は懐から取り出した手拭いで頬を伝う滴を拭った。年の頃は十六歳、張りのある肌に形の良い眉、可愛らしい娘だ。焦げ茶色のローファーにセーラー服。間違いないと名前は内心で嘆息した。色の剥げてしまったピンク色のネイル、赤かっただろう唇が乾燥によって皹割れて痛々しかった。

「よろしいですか天女さま、死にたくなければわたしの言うことを聞いてください。それで命だけは保証されます」
「え?」
「頷いて、そうしてわたしの手を取ってくださいな」
「え、あ…はい」

躊躇いがちに伸ばされた細い腕を掴み上げ、名前はにっこりと微笑んだ。立ち上がった少女は握られた手と名前の顔を交互に眺めながら困惑したように首を傾げた。

「わたし、あなたとお友達になりたいの。ねえ、構わないでしょう?」

得体の知れない少女も名前にとっては同郷の士だった。十五年前に苗字名前として生を受けた赤子は、生まれる前まで文明の利器に囲まれ苗字名前として生きていた。それを知る者は本人以外にない。
十四歳と三ヶ月目の夏、交通事故で亡くなった筈の苗字名前はその後生まれた。二日後か、それとも一ヶ月後か。果たして五年後か百年後か。タイムラグは感じなかった。それでも十四年間を引き継いで名前は生まれた。
だからだろう、少々のことでは揺らがない自信が名前にはある。肉体的には十五歳のうら若き乙女でありながら、精神年齢は疾うに三十路間近である。立派な大人だ。

名前が少女を恐れる理由はない。



「泣かないで頂戴、マリアさま」





聖女の名を持つ少女の手を引いて、名前はくのたま長屋への道を歩いた。神は無情だと知っているから。

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