芥子


※蔑視発言がございますのでご注意ください





「…知って、いた」

わたしは長次の顔を凝視する。知っていた?知っていただと?毒薬が混入された食事だと気付き、剰さえわたしたちがやろうとしていたことを全て知った上で、素知らぬ顔をして食べたと言うのか。冗談じゃない。そう、冗談じゃない。

「どうして…」

六年間を共に過ごしたわたしたちの間には何者にも断つことの出来ない繋がりがあると思っていた。そう信じていたのはわたしだけだったようだけれど。
だってわたしたちは忍術学園で六年間を生き抜いたじゃないか。わたしたちは互いに支え合って生きて来たじゃないか。苦しくも辛くも重ねてきた六年間に、わたしが胡座を掻いていたとでも言うのだろうか。
だからわたしたちの六年間は露と消えたのだろうか。
そんなことはないと信じたかった。わたしは信じていたかったのだ。

「…おれは、名前のことを…ずっと見ていた、から」
「それで」
「……名前が、鍋になにかを入れたのを…」
「見ていたのか?」
「…ああ」
「止めもせずに?」
「……ああ」
「何を入れたのか、判らなんだなんて言わないだろ?」
「…始めは、判らなかった…」
「でも気付いたんだろ。気付いた癖に、長次は何もせんかった」
「……ああ」

それを責める資格がわたしにないことは一番よく知っている。

「長次は、…自殺願望でもあんのかな」
「…さあ、な。だが、…名前となら、悪くはないと思って、いるぞ…」
「は…」

呆れた。呆れた呆れた呆れた!呆れて物も言えない!呆れて笑いが込み上げて来る!なんて馬鹿な男だろう!なんて愚かな男だろう!なんて間抜けな男だろう!なんてくだらないことを言う男だろう!なんて真面目な顔をして言う男だろう!なんて馬鹿な!なんて愚かな!なんて間抜けな!なんて、なんてなんて!

な ん て 愛 し い 男 だ ろ う !

突然笑い出したわたしを見詰める長次の目は変わらずに優しい。わたしが罪人だと知っている癖に、わたしが悪人だと知っている癖に。知っている癖に、変わらぬ態度を取る長次が愚かで笑えて仕方ない。愛しい?そう、わたしはこんなに愚かな感情を向けて来る男が愛しくて愛しくて、仕方ない。

「長次は…馬鹿だったんか」
「…ああ、だろうな」

もう少しで卒業の筈だった。卒業したら学び舎たる学園を去り、故郷の里へ戻って親の決めた許婚の元へ嫁いで、子を産み育てる何の変哲もない女の一生。男勝りだろうが好いた相手が居ようが関係なく女として生まれた以上果たすべき責務だ。くのいちとしてではなく名字に生まれた娘、名前としての責務。それを果たすことに否やはない。逆らうつもりも毛頭ない。本来ならば三年前に果たし終えていた筈の責務を先延ばしにしたのはわたし自身の都合。此の度の顛末について包帯面の許婚には文で詫びた。二度ほど顔を合わせたあの男はきっと笑って仕方のない子だと許してくれるだろう。わたしには勿体ない大きな男だ。父さま、母さま、親不孝者でごめん。
けれど許し得なかったのだ。年々その数を減らした同輩たちは年々その結束を強固なものとしていった。たった六年、されど六年。人生を大局と見るならたかが六年、さしたる長さでないことは判っている。だがわたしの生きた齢十五の歳月にとっての六年の重みがこの様だ。結局わたしはくのいちとしても女としても大成出来なかった。ザマあない。

「言っておくが、わたしは謝らんからな」
「…、ああ」
「先に裏切ったのはそちら。先に言を違えたのもそちら。…そうだろう?」
「……そうだ」
「…気付いていながら、何故止めなんだ」

全部の原因が天女なら、全部の元凶はこのわたしだ。痺れる指先に限界を悟っても、握り締めた拳を叩き付ける先などもう有りはしない。一番最初に天女と呼ばれた女を憎んだのはわたしではない誰かだとしても、一番最初に天女と名乗る女を害してしまおうと口にしたのは、わたしだった。誰かがそれを戯れに口にしたことはあったかも知れないが、違えようなく害意を持って言葉に表したのはわたしだった。

天 女 に 非 ず
あ れ は 賤 女 ぞ

突然に現れて大した理由もなく誰もに愛されるなんて人生上手くいく訳がない。そうであるならわたしたちの六年間は一体なんだったのか。汗水を垂らして食らい付き、死に物狂いで突き進み、そうして何度も胃の中身を戻して飲んでわたしたちは生きて来たのに。あの優遇具合は一体なんだ。なんだと言うんだ。一緒に帯を見立ててくれると約束した仙蔵と、和紙を買いに行くから調度良いと言っていた図書委員と、実習の礼にと茶屋を奢ってくれる約束だった留三郎と、年下の大切な後輩へ何ぞ贈り物をしたいのだと顔を赤くしながらもごもごと言ったので簪を見に行く約束をしていた文次郎と、何だかんだで皆が行くならわたしもと叫んだ小平太がにこにこ笑った体育委員と特には何も言わなんだ長次を連れて参加を表明してこれで全員。どうせ町への道すがら、顔面から地面に突っ込んだ伊作を連れた呆れ顔の学級委員長が合流して、本当にこれで全員。
約束をしてから一月の間にあったことと言えば見知らぬ女が一人学園に増えていた。上級生の忍たまとばかり交流を持とうとする不思議な女。与し易いとは決して言うことの出来ない彼らが、まるで生まれて初めて見たものを親と思うように女を追い慕う雛鳥に見えたそれが幻術の類いであればどれ程に良かっただろう。滑稽が過ぎて笑うに笑えぬ冗談など言葉遊びにもならない。
約束の日、外出届に名を連ねたのは四人きり。名字名前と墨で名を認めながら上にも下にも見当たらぬ彼らの名に覚えたのは小さな諦念。



「………名前を嫁になど、やりたくなかった」

嗚呼何故に今更そんなことを言うのか。



脆い愛


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -