紫陽花


倒れ伏した身体を踏み付けて歩いた。
人は死んでしまえば土塊と代わらないと言ったのは一度だけ実習で身体を重ねた鉢屋だったと思う。その意見を否定も肯定もせず曖昧に笑ったあたしは息絶えた土塊たちを踏み付けて歩く。
死んだ人間が土塊へと帰るなら、死んだ天女は一体何に帰るのだろうか。火薬委員の同輩に鮮やかな紅を塗られた天女さまは、天の御国へと帰るのだろうか。
否、そんなことはありえない。
だって天女さまは人間と同じ毒で死ぬのだから。あたしの作った毒で、死んだのだから。

死したあれはただの死体だ。そこに貴賎などなく、綺麗に飾られた人形に他ならない。

「う…、ぁ」

息絶えた体育委員長の傍らで、虫の息だったあの子を見付けた。
ご自慢の綺麗な顔は血に汚れ、ご自慢の綺麗な髪も砂に塗れていた。それでもあたしが見た中で一番綺麗ないきものに変わりはなく、あたしは感嘆の声を漏らす。嗚呼なんて綺麗。彼岸に片足を突っ込んで尚、平滝夜叉丸は平素と変わらず美しいままだった。

「馬鹿ねえ、さっさと逃げたら良かったのに」

あたしは綺麗なものが好きだ。綺麗な花が好きで綺麗な着物が好き。綺麗な赤が好きで綺麗な黒が好き。綺麗な覚悟が好きで、綺麗ないきものが好き。そこには貴賎も他者の評価も関係はなく、ただあたしの価値観だけが全ての優劣を決め付ける。誰かにとっての屑石でさえ、あたしにとっては真珠に変わるように。誰にもその法は犯せない。犯させない。

「…っ、名字…せんぱ…?」
「相変わらず愚かで可愛らしい反応をするのね、あなた。まあここから逃げ出したところで今日明日が峠であることに代わりないけれど。少なくとも一刻は長く生きられたんじゃないかしら」
「な、ぜ…」
「間抜けな質問ね、平滝夜叉丸。あなたがどこまで知っていて、何について尋ねているのか知らないけれど。何故ここに居るのかと言う意味なら、あなたに会いに。何故こんなことをしたのかと言う意味なら…、そうね。これもあなたの所為」

くのたまたちの計画にあたしが必要だと同輩の女は言った。当たり前だ、あたしは保健委員だもの。仲間にしておいて損はないに決まってる。けれどあたしがこの間抜けな計画に誘われたのは最後の最後だった。好いた男たちに裏切られた憐れな女たちは悲壮な程に綺麗な覚悟を決めて、あたしが頷かなければその場で世を儚んでしまいそうに見えた。だから頷いた?いいえ、あたしにとってもあの天女さまは不要な存在だった。あたしもあの人を消してしまいたかった。ただそれだけ。ただそれだけ。

「あたし、綺麗なものが好きなの」

ただそれだけ。申し訳なさそうな顔をしていた仲間たちと、あたしに大きな違いはない。裏切られた憐れな女。相手は恋人でも許婚でも片想いの相手ですらもなかったけれど。勝手に想って勝手に裏切られただけ。ただそれだけ。だから本当は誰が悪い訳ではなくて、敢えて言うなら悪いのはあたし自身。本来なら誰を責めることも出来ないあたしたちは、元凶である天女と言う存在にに「八つ当たり」を決行した。

「あなたは綺麗だったわ。あなた自身が言うように顔貌も勿論だけれど、誰に何と言われようと己を曲げない意思がとても素敵だった。月並みな言葉になってしまうけれど、…あなたは輝いていたの」
「なに…を」
「だから、と言っても今のあなたにはきっと判らないでしょうね。とても残念なこと」

天女さまが体調を崩されたらしいとあたしに教えてくれたのは当方の不運な委員長。天女とは言えど女性だからと彼はあたしに彼女を預けてくれた。可愛らしいお顔の天女さまは委員長に診て欲しいと訴えていたけれど、顔を真っ赤にした彼は走って逃げてしまったから仕方なく。そう致し方なく。あたしが診て薬を煎じた。

季節の変わり目でしたので、お風邪を召されたのではないでしょうか?そんな訳がないと以前の委員長なら容易に気付いた筈なのに。あたしの見立てが信頼されていると喜ぶよりも、もう手遅れなのだと嘆く気持ちが先立った。
だから内緒ですよ。与えた丸薬が本当は食事に混ぜていたものと同じなんてこと。誰にも内緒で墓場まで持って行くあたしだけの秘密なんですから。

天女さまが今朝方に土塊へとお成りになったと聞いて、賢い同胞たちは予定通りに下級生たちを逃がしに動いただろう。下級生の多くは先生方と一緒に実習に出ていた?そうですよお察しの通り。この機を狙い、意図的に作り出したのですから当然です。計画の存在を知らない仲間たちは最近やたらに増えたお使いの真っ最中。使い物にならない上級生連中の代わりにとそちらへ人手を割いた先生方。この機を逃す道理はなく。ええ盛りましたとも。普段食事に混ぜている量の倍ほどを。昨晩天女さまが就寝前に服用されたであろう風邪薬。仲間たちへの紛うことなき裏切りの証。嗚呼それこそが天女を土塊へと変えたのです。

「…こ、ろす、のですか…?」
「いいえ、死ぬだけ。あたしたちは既に手を下したもの。余計なことをしたりしないわ」
「そ、…か。は…名字先ぱ、…、っは、は…ははっ…!」
「気でも狂れたのかしら、命乞いならしても無駄よ。解毒剤なんて最初から準備してないんだから」
「名字、先輩」
「なに」
「わたしは…美しい、でしょう…?」
「…そうね」

虚ろに澱んだ目で、それでも笑ってみせた平滝夜叉丸は平素と変わらぬ態度で小さく鼻を鳴らした。
お綺麗な天女さま?可愛らしい天女さま?わたしも天女さまを見習い、天女さまのようになりたいです?
どうしても許せなかった。
あたしの見付けた綺麗ないきものが、自身の手により汚され綺麗でなくなることだけは。それだけは許せなかった。
だってあの女はまるで綺麗じゃなかったのに。どうして平滝夜叉丸はあんなただの女を褒めるのか判らなかった。立花仙蔵先輩も、田村三木ヱ門も、誰も彼も。あんなにも綺麗だった人たちが、あんなにも輝いていた人たちが。でも

「あの…天女、より…わたしは美しい、ですか…?」
「今のあなたは、あたしが知ってる内で一番綺麗ないきものだわ」
「ふ…当然、です…」

そう言って綺麗ないきものは満足気に笑うと細く長い息を吐き、静かに長い睫毛を伏せた。天女さまのいなかった頃のように自意識過剰で鬱陶しい平滝夜叉丸がそこにいた。



倒れ伏すあたしの視界が最期に映したのは、世界で一番綺麗な土塊だったのです。



高慢


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