月夜に笑う赤鬼

顔を真っ赤にして恥じらうさまが可愛らしいと、鈴を転がすような声音で口許を覆い隠しながら女が笑った。否、奴が女でないことを既に食満は知っている。奴は女などよりも余程質の悪いものだ。女装用にと食満が購入した着物を肩に掛け、まるで錦絵から抜け出たような顔をして酒を食らっている。鬼だと言われれば信じるだろう。この鬼は人を食らう性の持ち主だ。

「留三郎、あの子は今日もわたしに愛を囁いてくれましたよ。口吸いを恥じらい、触れ合いにさえ禁忌を感じている。嗚呼可愛い、実に可愛らしいわたしの八左ヱ門」
「…自分の部屋へ帰れよ、名前」
「おや酷い。こんな美女が酌をしてやると言うのだから、甘んじて受けるのが礼儀と言うものでしょうに。まさか今更三禁を持ち出すまいね、留三郎」
「ああもう、判ったからさっさと飲んでさっさと帰れ。おまえは夜半に出歩くな」
「わたしの身を案じてくださるなんて、留三郎は実にいい男ですね。でもだめ。わたしには既に心に決めた男があるのですもの、嗚呼案じないでくださいな八左ヱ門。わたしにはあなただけですよ」

月に向かって微笑む容貌は夢心地で、既に一献を傾けている頬は仄かに上気していた。忍たま長屋の屋根上で猪口を傾ける姿は巷の絵師が裸足で逃げ出すだろう理想の女人像だったので、食満はそれを肴に盃を煽った。姿形だけなら実に美しい。ただ真実を知ってしまえば傷付くのは己ばかりだ。

「それで、わたしが世話をしている天女さまについて聞かせてくれるのだそうですが」

愉快な話を期待していますよと竹取の姫のような顔をして、鬼は笑った。



女は逃げていた。変貌してしまった世話係の少女から逃げていた。否、あれは少女などではなかったのだと女は自らの迂闊さを恨んだ。少し考えれば当たり前のことだった。隣接してくのたま長屋があると言うのに、忍たま長屋に女が住まえる訳がないのだ。ならば長屋に居を置く女の正体は何であるのか。そんなものは考えずとも判ることだ。女のように美しい立花仙蔵が男であるように、女のように優しい善法寺伊作が男であるように。名字名前も男である可能性をなぜ考えなかったのか。

「わたしの可愛いハチが泣くのです。名前先輩があの女に盗られてしまうと泣くのです」
「わ、わたしはそんな…!」
「ええ、存じておりますとも。けれどわたしの八左ヱ門は天女さまもご存知の通り聞き分けが良い代わりに物分かりが悪い子でしてね、言い聞かせても理解してはくれないのです」
「ひ…い!」
「わたしの優先順位はいつだってハチが一番なのです。可愛い可愛いわたしのハチ。今こうしている合間にも、可愛いあの子は顔を歪めて涙に暮れているのでしょう。わたしを想って!」

ぎりぎりと万力のように締め上げられる咽喉は女の力では有り得ない。五年の竹谷とキスをしていたから、恋人について頬を染めて嬉しそうに教えてくれたから、一緒に着物を買いに町へ出向いて茶屋で甘味を食べたから。名字は実に少女のような男だった。忍術学園六年は組に席を置く立派な男児でありながら、その仕草は容貌は声音はすべてが女であるかのようだった。女子のような配色を好み、甘味を好み、噂話を好み、男を好んだ。女の目にはそれが仲の良い恋人同士に見えたのだ。ただの一度でさえも、名字を男だと疑ったことはなかった。

「個人的にはあなたに何の恨みもありませんので、少々心苦しいとは思っているのです。それでも、早く帰ってやらねばあの子が泣くのです。わたしがあなたに拘らってばかりいることを嘆くのですから、本当に可愛い子」
「あ、が…!」
「ねえ実に可愛らしいと思いませんか?あなたを恨むでも憎むでも害すでもなく、ただ嘆き悲しみ涙に暮れているのです。優し過ぎるわたしの好い人」
「ひゅ…は、…あ!」
「名前先輩、名前先輩、名前先輩先輩先輩名字名前先輩名前先輩名前先輩おれの名前先輩名前先輩先輩名前先輩名前名前先輩名前、名前、名前、名前名前おれ、の名前、先輩名前名前先輩先輩名字先輩、お、名前名前れの、名前名前先輩名前、名字名前、先輩先輩おれの先輩名前名字、先輩名前、名字、名前先輩おれ、の先輩名字名前先輩名字、名前、名字、先輩おれのおれ、の名字名前、名前先輩、名前おれの、名前、名前!わたしの名前を唱えながら泣いて眠る所為で、あの子の澄んだ眼は赤く充血してしまったのだそうです。それでもわたしに縋るような無様な真似も、あなたを害すような愚かな真似もしないあの子は本当に優しくて可愛らしい。今すぐに抱き締めて頭を撫でて愛していますよと囁いてあげなければ。嗚呼実に可愛らしい、わたしの八左ヱ門!」

嬉々として声を張り上げると男は笑った。自らの名前を連呼しながら赤い着物を纏った男は女の咽喉を手で覆ったまま、まるで秘密を教えるように女の耳元に唇を寄せた。赤い唇を吊り上げたさまは女子にしか見えず、潮江の夢を打ち砕いたそのままの格好で男は囁いた。嗚呼声音まで、女子のようだった。

「あなたと共に茶屋へ行き、あなたとお揃いの櫛を買い、あなたと寝間着でお喋りをして、あなたに侍っていた甲斐がありましたよ天女さま。わたしのハチによる嫉妬によって、五年生の忍たま長屋は水没の危機なのだそうです。ねえ、わたしってとても愛されていると思いませんか?」

くすくすと笑う男は女の首から手を離し、ぱちんと一度だけ指を鳴らした。まるで最初から狙っていたかのように幾つもの棒手裏剣が楔のように撃ち込まれ、そうして大きく見開いた目から一筋の涙だけを零して一人の女が息絶えた。

「わたしは汚れた手であの子に触れる気なんて毛頭ないのですよ天女さま」

だからあなたの息の根を止めるのはわたしではないのですと微笑みながら男は赤い椿の描かれた派手な着物を翻してその場を後にした。からんころんと可愛らしい下駄の音を立てながら、美しい鬼は明るい月夜に背を向けた。



月の国には帰らないなよ竹のかぐや姫
その正体はだれも知らない



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -